戦場の精霊達
湧き上がる、憤怒。
「ロクドウ・ラガンノット……」
全能者は己の眼前で消え去った美しき終焉の末路を、ただ唖然と見詰めていた。
この世の全てを終わらせるはずだった。全てに有終の美を与えられるはずだった。
だと言うのに、何だ? これは、何が起こった?
彼等の計画に利用され、過程の礎と成り果てたはずの者共が。
最高の終焉をーーー……、止めた?
「ロクドウ・ラガンノットォ……!!」
彼の周囲に渦めく魔力の奔流。
傍観者であるその者が、初めて自身が見下していた物語に嘲笑われたのだ。
全ては終焉への過程である、と。そう見下していた物語に。
「どうだよ、神様」
ロクドウは天へと中指を突き立てる。
幾千の因果を紡ぎ、運命の道を歩み果て。
彼等は今、神へ一刃を届かせたのだ。
{……死を}
そんな、ロクドウの指先が吹っ飛んだ。
視認する暇もない。全能者ハリストスより、ツキガミより。
彼女ーーー……、ヌエが行動を起こしたのだ。
{貴方達に、死を}
彼女の蛹は、蝶へ。
纏われていた闇や影は退き、現れたのは光の大羽。
その姿は正しく蝶。蛹より孵りし、妖艶の翼。
「おいおい、酷いことするねェ」
ロクドウの指は即座に再生。
同時に三矛の結界が砲弾のように放たれる。
が、無意味。ヌエの記憶を操るという認識操作の領域居る時点で、攻撃など当たらないし、当たるはずもない。
もし隙を与えて脳に触れられでもすれば、誰が的で誰が味方かさえ解らなくなるだろう。
尤も、ロクドウとニルヴァーにとってはそんなもの、気にする必要もないのだが。
「はァ~いニルヴァー君! 俺の結界魔法は使えてっかなァ!?」
ヌエの周囲に展開される幾千の結界。
その周囲を視界に捕らえられぬ速度で疾駆、跳躍、反射する男。
ただ結界が反動で立てる鋭い音だけがヌエの随に反射する。
{この速度はッ……!!}
結界の展開と破壊を繰り返す空中疾駆。
それは自身がより加速できる位置に、無限の足場を作るということ。
即ち加速に際限はなく、疲労や限界が来るよりも前にーーー……、彼はヌエへと到達できるのだ。
{ですが、関係ありません}
ニルヴァーの一撃は必ず外れる。
認識操作を行った時点で、誰であろうと彼女に攻撃を与えることは出来ないのだ。
故に、彼女は冷静に判断を下し、踵を返して腕先を振るう。
纏われし魔力の流脈が刃となり、頭を突き出して突っ込んでくることになる彼へ。
両断、出来ない。
{……ッ!?}
ニルヴァーは違いなく真正面から突っ込んできていた。
その速度故に何故かなどという考える時間こそ無かったが。
確かに、ニルヴァーはこちらに突っ込んできていたのだ。
{させません……!!}
逸れたのは、ヌエの手刀。
いいや、彼女は狙いを変えたのだ。
方法は解らない。しかし、彼はどうやってか自身へ狙いを定めている。
ならばそれは敢えて無視しよう。どのみち、どうにかなる物ではない。
故に、今は文字通り肉を斬らせて骨を断つ。
ーーー……否、脳を断つ。
「伊達に神の一族なんて呼ばれてねェぜ?」
端から聞こえてきた言葉が、ヌエの耳に届く。
彼女はそれを無視するはずだった。あの男の言葉など、聴く価値も無い。
だが、刹那後にはそれが忠告であったことを知る。
己の手刀が向かう先にあるその現実の、余りに異端さに。
{まさか、自分で脳をッ……!!}
「悪いな。何を言っているのか解らん」
音速を超えた白銀の刃がヌエの首筋へ振り抜かれる。
自身の脚を砕き折りながら着地したニルヴァーは、そのまま勢いを殺すことなくロクドウとフレースの元へ下がって、いや、飛んでいく。
弧円を描いて方向転換し、再びヌエへ視線を向けたニルヴァーの表情は、何処か苦々しかった。
「やっぱ単純にゃ無理か?」
「あぁ。どうやっているのかは知らんが……」
ニルヴァーが掲げた刃の先は、途切れていた。
折れたとか砕けたとか、削られたとかではなく。
文字通り、途切れていたのだ。
「あー、肉体の中に異次元でも隠し持ってんのかねェ。輪郭が次元の狭間だろうし……、こりゃ迂闊に攻撃すりゃこっちがやられるな」
「成る程。そういうことか」
ニルヴァーの両脚は既に再生が終わり、爪先を地面に打ち付けて感触を確認していた。
その様を、ヌエはただ眼を開いて刮目する。
彼等は決して強い訳ではない。いや、むしろ自身よりも遙かに弱い部類に入る。
ロクドウ・ラガンノットには依然ほどの魔力はないし、ニルヴァー・ベルグーンも結界魔法以外は大した技がない。
だと言うのに、どうしてこれ程までに恐ろしいのか。
この男達には不確定要素が多すぎるーーー……。
「であれば、手を貸しますよ」
天より降り注いだ、一言。
彼等が空を見上げるよりも前に、それは巻き起こる。
先刻、幾時間前に行われた、人形共の大進軍。
一国を覆うほどの濁流となっていたそれ等が再びサウズへ進行しているのだ。
だが、違う。その姿は何処か薄く透けており、土煙こそ巻き起こっているが瓦礫や粉塵はそれ等の体を摺り抜けている。
「大地の記憶を再生させました。ヌエさんであれば巻き込まれることもないでしょうがーーー……」
ただ、冷淡に。
ハリストスはロクドウ、ニルヴァー、フレースを見下ろしていた。
俗物や羽虫を見る目ではない。それは、全ての憎悪で刺し殺す眼。
惨めに潰れて死ね、と。己から有終の美を奪った者共への、殺意。
「……に、ニルヴァー」
不安そうに声を零したフレースだが、彼女の耳に届いたのは吹き出すような笑い声だった。
ニルヴァーのものではない。その、何もかも見下すように笑う声は。
全てが思い通りだと喜々として狂い笑う、その声は。
「良ィお膳立てだぜハリストォオオオオスッッ!!」
ロクドウ・ラガンノット。
嘗て弱者と呼ばれたこの男が、何故ゼル・デビットやラッカル・キルラルナに並ぶ強者として世に名を馳せたのか。
魔力や魔術では彼等に半歩及ばない彼が、どうしてそう呼ばれたのか。
ベルルークに属していたからか? 違う。
冷静であり冷徹な男であったからか? 違う。
不死だからか? 確かに理由の一端ではあるだろう。
だが、違う。そうではない。
「……クハハッ」
狂気の策略。
この男の真なる恐ろしさはそこにある。
「吠え面かいてな、全能者」
そもそも、何故彼等は濁流を消し去ることが出来たのか。
既に呑み込まれた世界中の人や獣を、再び戻すことが出来たのか。
彼等が備えている魔力や、ロクドウがこの四年間準備してきたものでは足りるはずもない、超規模の結界魔法でさえ足りるはずはない。
ならば何故か。どうやって、何を元にか。
答えは簡単である。
ーーー……神の半身を、流用したのだ。
「……まさか」
同じ血族故に。
如何なる魔術魔法も通じず、精霊の力も通じない。
そんな濁流を、彼等は敢えて自身の体内に取り込んだのだ。
そして即座にそれを流用。世界の復活へ転換させた、が。
高がその程度で神の半身が尽きるはずもなく。
「そのまさかだよ」
大地に、白煙が舞い上がった。
土煙か? 硝煙か? 災煙か?
違う。それはただの煙草の煙だ。数人が吐き出す、煙草の煙。
然れどーーー……、この世には既にあるはずもない、煙草の煙。
「元より半身程度で復活させられるはずがねぇのは解ってた」
彼等は煙草を捨て、己の衣服を正す。
襟裾を、帽子の縁を、或いは勲章を。
「だったらどうするか? ……簡単だよなァ。肉体がねェのなら、肉体なく魔力そのもので召喚すりゃァ良い」
ロクドウの縁より歩み出る、煙のように不確かな存在。
然れど彼等の眼には確かな光があり、その拳には武器があった。
双対の牙と、刃が如き鎧が。
「精霊としてだよ。……解るか? 神共」
気付けば、フレースの背後には幾千幾万という軍勢が居た。
あの地平線さえも埋め尽くす人形共にも等しい、いや、或いはそれ以上の。
ベルルーク軍の軍旗を掲げる、者達が。
「よぉ? 元気だったか、お前等」
{死してなお呼び出されるとは思いませんでしたが}
{がっはっはっは! 天国に逝けるはずもないと思っておったが、まさか再びこの世とはのう!!}
双対の牙を持つ者は、眼鏡を。
刃の鎧を纏う者は、その禿頭を。
存在を確かめるように、整えながら。
「よォーしテメェ等。大好きな大好きな戦争を始めるとしようか」
神の力を奪い、復活ではなく、その者達の魂さえ魔力に変換して精霊とし。
彼等は再び戦場に跋扈する。どうしようもない、闘争の果てに生きる者達は。
「征くぜ? ネイク、オートバーン。……そして、ベルルーク軍共よ」
{{{Wis、Sir!!!}}}
大地を揺るがす幾千という精霊達の咆吼。
肉はなく、魂もない。刹那の夢が如きその姿。
然れど彼等の眼にある闘争の景色は違いなくーーー……、現なり。
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