彼等の契約
時は、四年前まで遡る。
ベルルーク軍の進行がスノウフ国まで伸び、スズカゼ達が激戦を繰り広げていた時へ。
ゼルの依頼により、ギルド所属の[剣修羅]シン・クラウンと[八咫烏]ニルヴァー・ベルグーンが北国へ向かっていた時へ。
彼等が[封殺の狂鬼]にしてベルルーク軍大佐ロクドウ・ラガンノットと激突していた、その時へ。
「か、はッ……!!」
ニルヴァーとシンによる、手榴弾を用いた決死の一撃はロクドウの頭蓋を爆ぜ飛ばしていた。
その一撃によりニルヴァーから血液を奪っていた彼の腕はその肉から離れ、雪原へと沈むことになる。
決着。狂気に満ちていた彼等の闘争は、確かに決着の幕を落としたのだ。
「……ニルヴァー、さん」
「構わなくて良い、シン。その男から目を離すな」
ニルヴァーは抉り返り、臓腑の殆どが飛ばされた胸元を押さえつつも、警戒に満ちた眼でロクドウを睨み付けていた。
再生速度が落ちている。同じ血族であるこの男故に、自身の身から血液という再生を喰らわれた。
故に、あの男はまだ生きているはずだ。例え頭が丸々吹っ飛ばされようとも、間違いなく。
「シン、最大限の警戒を持って体を刻め。悪いが、俺は暫く動けない」
「……了解ッス。ニルヴァーさんは傷を癒やしてください」
シンは剣を構え、煤けた雪地を越えて肉塊へと接近していく。
一切の油断はない。何かが起きた瞬間、その太刀にて一閃を刻む覚悟がある。
故にーーー……。その肉塊の指先が動いた瞬間、シンの剣閃は肉塊を両断するはず、だった。
「取……、引だ……ッ!!」
剣の軌跡が、歪む。
それは待てを示すように掌を整えた腕を跳ね飛ばした。
そのまま、鮮血の尾を引くように、空中で停止したままに。
「躊躇うなッ……! その男に再生させれば、後がない!!」
「…………いや」
シンは敢えてニルヴァーの助言を無視し、ロクドウの肉体が再生するまで待ち続けた。
その喉元に鋒こそ当てれど、彼の眼は切迫に覆われていた。
何かを予期するように、或いは危惧するように。
「話を、聞きましょう」
彼の、何処か怯えを孕んだ言葉にニルヴァーはそれ以上の言葉を持つことは出来なかったのだ。
だが、結果的に行ってしまえばそれが彼にとって僥倖となる。
やがて再生したロクドウの述べた言葉を、ある男の予測した未来を、これから起きる可能性のある出来事を、聴いたために。
「……夢物語だ」
「だと思うンならそォだろうよ。俺だってド頭吹っ飛ばされてちょいと冷静にはなったが、これを心底信じてるワケじゃねぇ」
だが、今まで俺が任務として調査してきて、可能性としてあるのは事実だろう、と。
ロクドウの言葉にニルヴァーは依然半信半疑であったが、シンからすればそんな事はどうでも良かった。
重要なのは、そこではないのだから。
「……スズカゼさんにも、被害は及ぶッスか」
何故その名が出るのか、と。二人は問おうとした。
だが、直後にその問いは呆れへと変わる。
聴くだけ野暮なのだな、という。奇妙にも共通した意識にも。
「さぁなァ。この予測立てた人はあの女が鍵じゃないかと睨んでンのさ。だから色々とちょっかいを掛けてるみたいだが……、断言は出来ねェ」
「可能性は、あるんスね」
「どのみち、あの女が無事で居られるとは思わないけどな」
シン・クラウンにとって、それだけ聴ければ充分だったのだろう。
彼は多くを述べることなく、ロクドウとある契約を行った。
自分は彼女の為に動く。だからお前は任務のためだけに動け、と。
その契約にはニルヴァー自身、決して賛成と言い切れる立場ではなかった。
しかし彼の真摯な思いに免じて、暫し付き合うことにしたのだ。
尤も、その付き合いとやらが己の身を捧げるまでに変わったのはーーー……、直後のことである。
「……奇妙なものだな」
「いや俺の方が気持ち悪いわ」
ニルヴァーは己の喉に埋め込まれた機械を通して発せられる声に、眉根を顰めた。
鋼鉄で覆われた一室。つい先刻終えられた手術台から滴る鮮血の異臭が、奇妙な空気となって滲んでいる空間。
彼等はある男から差し出される衣服や装備といったものに目を通していた。
奇々怪々な仮面や武装。ニルヴァーが嘗て身につけていたような黒尽くめの衣服。
そして、彼等について隅々まで調べ上げられた、情報。
「しかしよォ。色々と良いのか? アンタ。一応はそっち側の人間だろうが」
「良いんだよ。俺は俺のやりたいように、俺の知りたいようにやるからな」
ユキバ・ソラ。
後に[怠惰]と称される彼は血塗れの手袋を脱ぎながらそう言い捨てた。
「まァ、まさか[邪鎖の貴公子]の義手を造ったっつーだけでこんな話を持ち掛けられるとは思わなかったがな」
「……信頼でき、頼れる者が貴方しか居なかった。妻を巻き込むわけにはいかんのでな」
「へーへー、そうですか」
呆れ返るようにぶらぶらを手を振りながら、ユキバは頭を掻き毟る。
そう、彼等の計画に大きく貢献し、ニルヴァーが内情を知る為に潜入する立場、[道化師]という地位を確保したのは他ならぬ彼なのだ。
後に世界を滅ぼす濁流を起こしたのが彼であれば、それを止める因果を創り出したのも、彼。
尤も、その皮肉でさえ、この男にとっては知欲の一端でしかなかったのだろうが。
「にしても、互いの血液を同調させたら魔力が二分割されたなんざ……。いや、身体の流脈と魔力の流脈を照らし合わせて考えれば不思議な話でもないか? アイツ等がシーシャ国の一族を殺したのはこういうことか」
「分割されたお陰で俺の魔力は随分弱っちまったがな。回復するのにも慣れるのにも時間が掛かるぜ。……ま、魔力が減ったのは都合が良いけどよ」
ニルヴァーの目的が潜入であるのならば、ロクドウの目的は任務の達成だった。
大戦前より自身に任されていた、ツキガミに対する調査。
いや、今となってはもうそれの阻止になっているのだが。
「俺はニルヴァーとしてこれからを過ごす。ニルヴァーは道化師としてこれからを過ごす。だから、ロクドウという人間は消えるだろうよ」
それで良い。自分は良くも悪くも名が大きい。
だが、あの乱戦の中でーーー……、国ごと消えたのなら、疑う者も居ないだろう。
それは何より、動きやすい。
「……取り敢えず、だ。お前等がこれから何をするか知らねぇが、まぁ、ニルヴァーの喉にある変声機を取るまでは俺はお前達に付き合ってやる。そういう契約で良いんだな?」
「あぁ、よろしく頼む」
そうして、彼等は秘密裏の行動を開始する。
様々な地区を廻り、様々な情報を集め、ただ眼前に会うべき者が居ようと会いはしなかった。
繰り返す。耐え続けることだけを、繰り返す。
やがて自軍の敗走を耳にしようと、天霊達の行動を耳にしようと、シンの死を耳にしようと、戦いが起きたことを耳にしようと。
己の妻に刃を向けることになったとしても、己の同胞を見捨てることになったとしても、耐え続けた。
ただーーー……、耐え続けたのだ。
「そして、今だ」
時は再び現在へ。
彼等が背を会わせ、耐え続けた全てを屠ったその時へとーーー……、巻き戻る。
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