形無く受け継がれるもの
{覚悟は受け継がれる}
ツキガミは、静かにそう述べる。
静寂に零された雫のように、儚い、しかし確固たる存在。
彼の言葉にはどうしようもなく静かだが、何物にも揺るがせぬ確信があった。
{血縁や……、交流ではなく。或いは種族や人種と言ったものでもなく、覚悟や信念、決意といったものは、受け継がれていくのだ}
中でも取り分け、信念や決意という物の種別は違えど、覚悟という物だけは違わない。
誰もがその灯火を瞳に宿す。勝てるはずもない、触れられるはずもない強者に挑む為に、その道を歩んでくる。
それが幾星霜ほどに遠かろうと、断崖のように剃り立つものであろうとも。
彼等は血反吐を吐き、血涙を流し、鮮血を落としながらも、迫ってくるのだ。
絶対的な、その領域へ。
{誰しもが戦士たる資格を持っている}
例え無力であろうと、例え一度は折れた者であろうと。
覚悟を持つ者は等しく戦士である。彼等には道を歩むという誇りがある。
そして、その誇りを持つ者は誰であろうと、比類無く強い。
{貴様もまた、戦士であったぞ}
天を裂いていた業火が、沈んでいく。
現れたのは一人の男だった。否、一人の神だった。
皮膚が焼け爛れて抉れ落ち、骨肉は炭化して崩れ落ちる。
その手に握る槍だけが唯一無傷であり、彼の身を覆う衣は全て焼け落ちていた。
絶対不可害の神が、幾千という傷を負ったのである。
{……故に、今は眠るが良い}
彼の瞳に映るのは、炭だった。
決して揺らぐはずのない水面に、いや、水面だった黒燼の地に伏す炭。
それが人間の形だったこと、そして一人の少女だったことは、幾刻見続けようと理解することは出来ないだろう。
煤を被った、紅蓮の刃が側に無い限りは。
{次に貴様が目覚めた時には、私はもう私ではないのかも知れない}
閉ざされ、孤立したはずの偽界からでも解る。
今、[怠惰]の創り出した蝕陽から半身が出でようとしているのだろう。
天の光を喰らっただけでは足りず、やがては世界の全てを喰らおうとするはずだ。
{……だが、忘れはせんぞ}
自分はそれを止めることはないだろう。
喰らうのであれば、喰らい賜え。喰らい尽くすが良い。
貴様風情に、半身よ、貴様風情に喰らわれるほど、人は弱くないのだ。
彼等の魂は鈍くない。光輝き、生きる為に抗う魂は。
{貴様等の勇士を。我も生きんと戦った貴様等の願いを。弱者であろうとも刃を握ったその覚悟をーーー……}
神槍を、双掌で抑え。
ツキガミは、真なる世界を見上げる。
この世界は残そう。彼女の揺り籠として、暫しの安寧として。
{我は、決して忘却する事はないだろう}
繊彩となりて、彼の姿は彩の彼方へ消えていく。
そして、それは一つの切っ掛けだったのかも知れない。
世界は、変動していく。各地を襲う幾千の機械共さえも飲み込む濁流によって。
光輝く、太陽のように美しい純白の濁流。比喩や形容ではなく、文字通りの濁流だった。
それは全てを飲み込んでいく。機械も人も獣も街も国も、何もかもを。
{世界よ}
境界を越える彼の眼に映るのは、光となりて消え逝く仲間の姿。
形を成して居る訳ではない。光帯のように、群状の光となって流れていくだけだ。
だが、ツキガミには確かに解る。彼等の魂の姿が、願いの為に全てを掛けた彼等の意志が。
{我が半身よ}
誰しもが、朽ちていく。
この世に残るのは己だけだ。衰死はなく、病死も、闘死もない。
神故に、その業を負った。ただ仲間が、歩き去って逝く姿を。
自分は道を後ろ向きに歩いている。彼等は真っ直ぐに歩いている。
振り返ることが出来ない自分に頭を下げ、或いは肩を叩きながら、過ぎ去って逝く。
{我よ}
誰が、望もう。
誰よりも力を手にし、誰よりも歩むべき道を持ち。
やがて名も無き己に名付けられたのは神という称号だった。ツキガミという名だった。
{孤独なる、我よ}
これ程までに恵まれ、孤独。
この星には、幾千の人々が生きるのだろう。
笑い、泣き、喜び、慈しみ、励まし、愛し、誇り、生きるのだろう。
故に美しい。魂とは如何様に、美しきものか。
この己が唯一それを尊ぶのは、自分には存在しないから。
存在しないからだと、思っていたから。
{……愚かなる、我よ}
手を伸ばせば、あったのだ。
こんなにも近くに。こんなにも、側に。
{全知全能故に一を尊ぶことを忘れ、全てを知り尽くすが故に全てを知らなかった我よ}
永劫に続くと思っていた。
幾千と果て無き闘争の中で、世界の中で。
自身はただ刃を振るい、彼等と対等たらんという不叶の願いの中で。
永劫に、続けるのだと思っていた。
{生よ、死よ}
今一度だけ。
この刹那だけ、我と共に在ってくれ。
それ以上を望みはしない。例え望むことさえ赦されずとも、敢えてそれを受け入れよう。
だから、せめて、今だけは。今、この世界、この刻だけは。
嘗てのように、永久の眠りを与える事を、しないでおくれ。
彼等の魂を、彼等の逝き顔を、祈らせておくれ。
{私は、漸く識り得た}
彼等の生き様を。
魂の輝きの理由を。
己にあって、彼等にないもの。
彼等にあって、己にないもの。
自身が唯一、手にすることが出来なかった証。
{人は……、現在を生きているのだな}
彼等の望み、受け継いできたもの。
魂に形はない。血脈も、親縁も、種族も、ありはしない。
故に彼等は生きている。覚悟という魂を持っているからこそ、現在という生のみだからこそ、生きているのだ。
{……そう、あれかし}
神は微笑む。
今少し、漸く辿り着けたからこそ、歩もう。
彼等のように、彼女のように、人々のように。
この輝ける道の彼方へ、今、踵を返してーーー……。
読んでいただきありがとうございました




