神に挑む灯火
【サウズ王国】
《城壁外郭》
「……逝きましたか」
眼に映るのは、地の果て。
その者は未だ手を下すことなく、空を眺めていた。
何人があの巨人に気付くことが出来よう。
魔力を持たぬ者、或いは持っていても少量の者は視認さえ出来ぬあの存在に。
やがては人々全てを喰らい尽くすであろう、あの存在に。
「よく、護り通してくれました」
物語は、終盤へ。
やがては指揮棒を振るう者さえ、居なくなるだろう。
観客は息絶え、誰も彼もが微睡みの中で死を夢見る。
演奏者達さえも、鮮血を流しながら、嗤いながら、絶えていく。
「後は私に任せて、安らかに眠りなさい」
貴方は怒りそうなものですが、と。
微笑む彼は、静かに指先を組む。
「ツキガミ。我が友よ」
全能者たる、その者は。
ただ、空の果てへ、問い掛けた。
届くはずもない言葉で、呟きのように。
「貴方は今、何処に居ますか」
【???】
{…………}
神は、槍を振り払う。
聞こえるはずもない彼方よりの問い掛けに応えるように、天を眺めた。
否、それは天ではない。偽物の空だ。偽物の雲と、蒼だ。
「何処見てんですか」
神の肩先に突き刺さる紅蓮の刃。
眉間より鮮血を流し、口端の半分を吹き飛ばされた少女は、正しく鬼のような形相でそれを深く、突き抜かせて行く。
{……解るか? 魔力が消えた}
「オロチさんですかねぇ。あの人も、まぁ……、無関係な人じゃありませんでしたけど」
ツキガミはその刀剣を難なく掴み、ずるりと引き抜いていく。
傷口は刃を押し出すが如く再生、否、再誕しており、最早それを傷と称して良いかどうかさえも怪しく見えた。
だが、その再誕を容易く赦すスズカゼではない。
「今は、それどころじゃねぇんで」
柄より、手を離し。
「取り敢えず数手の中で解ったのは」
高々と踵を振り上げ。
一気に、振り墜とす。
「アンタに真正面から挑んでも、勝てないって事だけだ」
刀剣は肩先から太股までを貫通し、衣を縫い付けた。
そして同時に万物を焼き尽くす業火が放たれ、神の骨肉を喰らい裂く。
疑形とは世界だ。水面鏡が如き世界の、雲々さえ滅消させる程の爆炎。
で、あれど、足りぬ。未だ、足りぬのだ。
{……何と、猛る焔か}
神は慈愛に満ちた瞳を、静かに閉じる。
折るのは惜しいな、と。業火の中でスズカゼの髄に届いた言葉は間違いでは無かったはずだ。
現に、その者は衣の中で酷く生々しい、腕や臓腑を砕く音を反響させると共に、その剣を彼女へ放り返したのだから。
{よく解る。その剣には、様々な人々の想いが込められているのだろう}
故に折り砕きはしない。
何よりも、それを足蹴にしてでさえ勝とうという、その執念。
それに敬意を払うからこそだ、と。
その言葉が終わらぬ内にスズカゼはそれを拾い、己の傷を拭い去った。
「……確かに、この剣は皆の思いが詰まってます」
この剣と、幾度の戦場を越えてきた。
嘗て四天災者に与えられたがままであった時も、刀であった時もそうだ。
幾人の思いに背を押されて、この道を歩いてきた。
「だけど、それ以上に託されたものがあるから」
だから、アンタをブチ殺す為なら剣を足蹴にする。
後で土下座でも何でもして、謝るから。
墓の前で滑稽に額擦り付けてでもーーー……。
{……で、あるか}
「で、ありますとも」
ツキガミは槍を手にし、深く腰を落とす。
突貫、と言うよりは投擲の構えだ。真正面以外に向けられるはずもない、構え。
だが、彼の眼前にてスズカゼは動かなかった。敢えて言えば、防御の姿勢も取らなかった。
防御の意味はない。精々気休めだ。
故に、回避。その一手しかない。あの攻撃を避けるにはーーー……。
{矛盾せし始祖の法則}
スズカゼはその音を認識した瞬間、大きく跳ね飛んだ。
これだ。これが来る。防御も回避も、意味を成さないこの一撃が。
「かッーーー……!!」
彼女が放ったのは眼前全てを破す爆炎。
無論、ツキガミの姿もまた消え失せるが、先の一撃で手傷一つ見せなかった相手を殺せるとも思っていない。
だが、あの一撃を避けられるのなら、それで良い。目眩ましであろうと、悪足掻きであろうと。
{因果率、というものがある}
スズカゼが、背後に受けたのは爆炎。
熱くはない。それは、自分の放った爆炎だから。
{それを操作する者も嘗ては居た。……だが、我のは少し違っていてな}
因果率をも超える、天上の理。
そうあるべくしてそうあれかし。成るべくして成るもの。
それを、造り替える技。正に、天上の一手。
{回避はさせぬ。貴様という信念故に、手加減もせぬ}
槍鋒が、廻る。
臓腑だけではない。これを喰らえば、身体そのものが吹き飛ぶ。
その悲鳴にも等しい直感を受けた瞬間、スズカゼは槍を殴り飛ばした。
己の腕が回転に巻き込まれて骨ごと砕けようとも、それを受けるよりは安いだろう、と。
然れど、気付けばーーー……、己はまた、その槍先に居たのだ。
{雫は空に落ちない}
世に定められた万辿の摂理。
それを捻曲げるのではなく、造り替えるのでもなく。
ただそうあれかし。そうあった事にする、一撃。
{……それだけのことだ}
肉が、吹き飛ぶ。
眼の端に己の下半身が飛んでいく様が見えた。
槍の捻切りに臓腑は引き抜かれ、肉体さえも消えていく感覚に襲われる。
恐怖。絶対に勝てず、傷らしい傷さえ負わせることは出来ないという、恐怖。
「それが」
勝てない。負ける。
手も足も出ずに、負ける。
「どうした……ッ!!}
スズカゼの衣が、仰がれたように紅蓮の色を増す。
眼に焔が宿り、刃は真無に等しき紅を灯した。
それは嘗て、ある地下にて顕現した姿。暴走し、義手の全制御を解いたゼル・デビットと互角に戦った姿。
然れどあの時のように暴走はなく、意志が消え去るはずなどなく。
「掛かって来いやァッッ!!}
あるのはただ、純然なる闘志のみ。
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