星を護りし者
「……存外、悪くない」
彼は器用に、片手だけで煙草を擦り上げて咥え、指先の灯火で着火する。
悠々と、木漏れ日の中で煙を吸うかのような、面持ちだった。
然れど彼の肉体は幾永と積み上がった土嚢に埋まっており、いや。
彼の肉体が弾かれ、その衝撃で出来上がった土嚢に埋まっているのだ。
だが、肉体に損傷はない。精々、掠り傷ほどしかありはしない。
「それで良いのだ。己の意志無くして、何かに流される生など傀儡と言わずして何と言う」
白煙が、死の大地を揺蕩って。
やがては灰燼となり、風に攫われていく。
「傀儡に魂はない」
指先を振るい、流れて。
その男は微笑むように、口端を歪めた。
殺戮、虐殺、闘争。何と美しきか。
この世にこれ以上の物はない。いや、これより美しい物は、ない。
他にあるとすれば、それは一つ。決して叶わぬ願いを叶えようとする意志だけだ。
{休息は……、済んだか}
「あぁ、吸い終えた」
立ち上がったイーグの眼に映る、天霊。
否、それを最早天霊と称して良いのかは定かではない。
欠片とは言え、神の力を喰らったのだ。
肌先が震える。未だ嘗て、四天災者と対峙した時でなければ、或いはあの者達と対峙した時でなければ味わえなかった感覚だ。
悪くない。存外に、悪くない。
「……さて」
感涙に咽び泣くほどの感情があるならば、如何ほど痛快だろうか。
この眼が涙を流すことはない。この喉が嗚咽を零すことはない。
ただそれ等を代弁するように、口端が裂けるだけだ。己は嗤うことしか知らぬ。
然れどそれで良い。それだけで良い。
闘争には拳と脚と、牙さえあれば、それで良い。
「灼炎に沈め、天霊」
{失せろ、四天災者}
隻腕と豪腕。
互いは交差し、その頬を撃ち抜いた。
衝撃一寸で土嚢の山が吹き飛び大地の大半が抉れ失せる。
だが、彼等の身から流れ出るのは、鮮血一筋のみ。
「ケハッ」
{……未だ嗤うか。狂闘者め}
拳撃、一閃。
否、オロチの拳は大地に突き立てられたのだ。
だが、同時にイーグは己の眼前で隻掌にて虚空を眼前にて圧殺する。
それを擬えるが如く、摩天楼にも等しき岩牙が大地より放たれるのは刹那の後だった。
「嗤うとも」
牙は、一閃では止まぬ。
放たれ、彼を跳ね上げた牙より新たな牙が。
それが幾度も折り重ねられ、やがては雲さえ超えた領域へ彼を跳ね飛ばした。
弄ぶように、ではない。正真正銘、確実に殺す為に。
「嗤わずに居られようか」
幾千と迫る岩牙の軍勢を前に、イーグは隻腕を弾く。
くれてやろう。決死などあるはずもないが、その片鱗を。
蝕陽より這い出る巨人を背にして拳を構える貴様にならば、欠片をくれてやることなど惜しくはない。
「灼炎の堕天翼」
それは嘗て、星の一角さえも喰らい灼いた天叡の炎。
ある少女の、全ての魔を喰らう紅蓮の衣さえ貫いた一撃。
それは確かに、最上の一撃であろう。万物を灼き殺すであろう。
だが、違う、違うのだ。その一撃は、一撃ではない。
ただ翼を広げるだけのそれが、一撃であるはずなどないのだ。
〔星より堕ちし影〕
その詠唱を聴いた瞬間、オロチの表情は豹変した。
恐れ、恐怖、困惑、焦燥、激動。様々な物が入り交じっただろう。
だが、その双眸が歪むことは、決して無かった。
〔堕落せし魂。純血を焦がし願う処女の吊り首〕
詠唱を止めはしない。止まるはずもない。
故にオロチは全ての魔力を収束させる。一切を残すつもりはない。
〔起源の焔は魂を灼き、淵源の殺意は炎により死を与え賜う〕
双腕を大地に撃ち付けたオロチと、天を覆う幾千の腕掌。
巨人のそれよりも遙かに巨大な、そして重圧な大地の土塊。
例え幾千の銀刃、幾千の銃弾であろうとも、永久に破られぬ盾壁。
〔その髄漿を吊すのは何か。その処女を堕落させ首を撥ねたのは何か。その醜き戒律を初めに躙り嗤ったのは何者か〕
その全てをさらに巨大な、星にその身を覆い被せられようほどの巨人が覆った刻。
大地が躍動し、地の果てが刹那の静寂を得た刻。
〔人に宿る、緋き殺意の焔に他ならぬ〕
イーグの背に舞う、堕天の片翼。
それは緋羽を墜とし、隻腕に纏われる。
形状を称すであれば銃。殺意を示すであれば剣。
造形を有すであれば槍。収束を述すであれば杖。
灼炎により創られた死の全ては、違いなく、命を奪う殺戮の権化。
「灼焔」
原初にして、終焉。
それは、一撃であったかどうかさえ不確かな物だった。
巨大な緋焔色が、星を滅す。その一撃の彼方にある、闇宙にて光を放つ幾千の星々を。
焔が尽きることはない。星の一角を遙かに超える、それこそ央さえ抉り抜かんばかりの炎。
果てなく放たれ続けるそれは、ただ無限の彼方へ消えて逝く。
過程にある全てを灼き殺し、殺戮の限りを尽くしてーーー……。
塵一つ残さずに、か。否。その塵という理さえも、灼き殺す。
「…………」
述べるべき言葉はない。
眼前にて、消え失せた大地が答えだ。
称賛はないし、侮蔑もない。ただ奇妙な充実感だけが、彼を満たす。
「……善くぞ」
述べるべき言葉はない、はずだ。
然れど、それでもイーグは称賛せずには居られなかった。
侮蔑などするものか。この様を、何故侮蔑出来ようか。
「護り通した」
その者は、そこに居た。
幾千幾億と重ねられた、壁盾の真正面に。
大地の腕掌が庇ったのは彼ではない。いや、彼は自身を護ろうとはしなかった。
怏々と巨腕を広げ、己の身さえも、全ての魔力さえも盾にして。
その蝕陽より這い出る巨人を、神の半身を護ったのだ。
「……見事なり、天霊オロチ」
灰燼となりて、崩れ逝く。
イーグはその様から眼を外しはしない。
敬意を持って、その死を見届ける為にーーー……。
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