蒼天の元で
「まずある程度の目測を述べます」
甲板にて豪風に近い海潮を受けながら、バルドは蒼天を見上げていた。
凄まじい速度で旋回や直進を繰り返す船上では立っていることさえも苦しい、が。
それを言っていられる状況ではないことは間違いない。
少なくとも、幾千と降り注ぎ、幾億と猛り墜とされる隕水を見れば。
「天霊レヴィアは今、目に映るもの全てを破壊する化身となっています。恐らく接近すればあの弾丸のような嵐にぐるぐると、或いは暴れ狂う水龍にぱくりといかれるでしょう」
何処かお気楽な口調に舌打ちしたのは、やはりファナであった。
その様子に呆れて、船長であるカイリュウと超獣団のムーが眉間を抑えてため息を零す。
「……さて、まぁ、そうは言っても我々はあの天霊を殺さなければいけない。彼女を魔力に還元しなければ病原菌も繁殖できないのでね」
「アレを殺せってか? シシッ。……悪い冗談だ」
弾丸が一発、船の付近に着弾する。
轟震は戦場から貨物を幾つも海面へ叩き落とし、船員達も危うく投げ出されそうになるほどだった。
いや、船体でさえ転覆しそうになるほどに、強烈だったのだ。
「……っと。時間は余りないようですね」
一度咳き込み、彼は再び視線を空へ向ける。
全ての要なのだ。あの天霊を殺すことこそが、自分の役目。
そうしなければ計画を発動することも出来ない。彼女を、殺さなければ。
「さて……、魔女にせよ四天災者にせよ南国の王にせよギルドの長にせよ。これ以上待たせるわけにはいきません」
船の、真上。
巨大な水弾、否、一湖水を余さず持ち上げたかのような、重圧。
透き通っているはずの水が彼方にある蝕陽さえも、押し潰すほどの。
「征きましょうか」
バルドは一本の槍を召喚すると共に、大きく振り被ってそれを一湖水へと投擲する。
無論、その些細な刃が巨大な水塊をどうにか出来るはずはない。飲み込まれて終いだろう。
だが、彼は何も言わず軽く息を零す。これから何が起こるのか、全て解っていると言わんばかりに。
「……ふん」
鼻を、鳴らし。
手を掲げた少女より放たれる閃光は、一本の槍を収束点として拡散する。
そう、それこそ巨大な水塊でさえも、全て蒸発させるほどに。
「この四年間、鍛錬をサボってなかったようで何よりだ」
「……貴様を殺す為だけに刃を研いでいただけのことだ」
「ははは、それは怖いね」
豪風が吹き荒び、周囲一帯の雲を晴らす。
熱湯のような雨に船員達は慌てふためき、超獣団の面々は船帆の下に隠れるが、バルドとファナ、そしてカイリュウの視線が向けられる先は変わらない。
「決着……、付けるなら早めにしてくれよ。白き濃煙のオッサンとデッド・アウトを早いトコきっちり治療しなきゃいけねぇし……」
これ以上、こんなに綺麗な海が汚されるのを見たくねぇ。
そう述べる彼の鼻腔からは鮮血が流れ出ていた。
魔力欠乏による症状だ。もう、カイリュウも限界が近い。
然れど、彼はそれを指先で弾き飛ばして、笑う。
「やってこい。サウズの騎士達よ」
バルドの槍が、ファナの炎が、空を切る。
幾千の槍が水面に皆立ち、彼は疾駆した。
唯一の炎が水面を波紋し、彼女は空駆した。
互いを縫うように、駆ける。幾千と降り注ぐ水弾を前に、焔が燃やし、槍が弾き、駆ける。
{あ゛あぁあ゛ァアアアッッ!!}
幾千の魚群纏いし水龍が牙を剥く。
その血走った眼は何かを捕らえているワケではない。
所詮人間二人など容易く飲み込めるからこそ、何かを捕らえるはずもない。
巨大な口腔が迫る。幾千の牙が迫る。真正面より、蒼天を覆う。
「ファナ」
「……無論だ」
刹那、ファナとバルドが重なった。
そしてそれを水龍が視認するよりも前に、彼等は己の中へ消える。
幾千の魚群と共に水面へ激突した時、それを気付けるはずもなかった。
周囲にある鬱蒼とした群勢が、全てすり替わるように射貫き殺されていることに。
真正面からの激突と共に魚群さえも遙かに超える槍や剣が、それ等を貫いていたことに。
「邪魔だ」
その言葉と共に、水龍の眉間が異様に膨張した。
そして必然とでも言わんばかりにそれは爆散し、脳漿や骨片を周囲に散らす。
ただ紅蓮の一閃によって、水龍は容易く死したのだ。
余りに圧倒的であった水龍でさえも、容易く。
「……魔力を残す必要はない」
塵煙の光となって消え逝く水龍の骸を躙り、その男は頬を拭う。
焔纏い、死骸を見下す少女は彼の隣に浮かぶ。
彼等の瞳には意志がある。何者にも砕けず、何物にも折れぬ意志が。
この決戦に全てを賭けるという、意志が。
「ファナ。お前は陳腐な言葉は好きじゃないだろうし、きっと不機嫌になるだろうけど……、それでも敢えて言おう」
自分達の手に、世界の命運が掛かっている。
この手にあるのは槍だ。この手にあるのは焔だ。
背中には立派なものはない。ただ荒れ狂う海と、逃げ惑う船。そしてその上に乗り込む幾人かの弱者と怪我人ばかり。
きっと劇的と言うには余りに足りない場面だろう。仰々しい言葉を吐く舌も、ありはしないけど。
「世界を救おうじゃないか」
それでも、充分だった。
隣に彼が、彼女が居るのであれば。
この刃を振るうにーーー……、充分過ぎる。
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