純常なる狂気の果て
ユキバにとっても、それは誤算だった。
あくまで歴史上存在し得ぬ物を、彼のみで創造したからこそ。
それは完璧ではない。例えるならば、試行錯誤なくして完成に到ったに等しい。
故に、だ。失敗も存在する。例え幾千幾十の動作が不可能でなくとも、幾億幾万の動作の中には一つだけ不可能が存在するのだ。
それは多くの人々が重ね合い、偶然にも発見するもの。
故に、彼一人では発見できなかった。本気で取り組めば結果も変わっただろうが、あくまで暇潰し、過程の一つだったから。
「ぇ、げぁ……」
水蒸気による電熱の加熱破損。
否、それはむしろ決定打の為に垂らされた一つでしかない。
主なる原因は周囲を掻き毟り、装甲を削った保持者にある。
鋼鉄を肉で掻き毟ることは出来ない。しかし、その構造を知る保持者故に、己の骨で隙間を広げることは出来る。
「ぃ、ひひひ」
斯くして機械の自爆は半分ほど阻止された。
正しく言えばその瞬間が僅かにズレただけではあるが、彼女が鋼鉄に身を隠すには充分であり。
少なくともその全身が鋼鉄に縫い付けられるであろう威力を、重傷程度まで抑えるには充分であった。
「ひひひひ!」
彼女は爆発で抉り返り、花弁のように、刃のようになった縁へと手を掛ける。
少なからず爆炎や蒸気で高熱を帯びているはずの縁へ、平然とだ。
本来ならば反射で手を退けてしまうだろう。だが、彼女はそうしない。
己の肉が焦がされ、皮膚が黒く成り果てようと。
指先の肉が削げ、骨が剥き出しになった手が感触など有すはずがなく。
「ぃ、ひ」
故に、その鋼鉄で熱せられた破片を拾うことが出来た。
銃口が剥き出しとなり、さらには引き摺らねば持ち運べぬほどの重量を誇る、ガトリングガン。
機械の装甲であったのが、先の爆発で爆ぜ飛んだのだろう。
「ゆ、ゆる、ざない」
ずるり、ずるり。
銃口を引き摺りながら、彼女は歩む。否、這うように歩む。
その先に誰が居るのか。黒煙が燻り、炎が肌を溶かす先に誰が居るのか。
瓦礫に沈んだ、一人の女が居る。
「ぃひ、ひひ」
内部に居た自分が動ける程度で済んだのだ。外部の彼等が大した衝撃を受けているとは思えない。
精々爆風の煽りを受けて気絶か、掠り傷。酷くても骨折程度だろう。
しかしそれだけの傷があれば、集中も切れて精霊も消え失せているはずだ。
その身一つで蹲っているだけなはずだ。
「ひひゃはははは」
だからこそ、良い。
自分の手で殺せる。とどめを刺せる。
この心底に渦めく憎悪を晴らすことが出来る。
身体を狂わす火傷を、皮膚上を腐らせる傷を、心を掻き毟る怨嗟を。
「狂っているのだな、貴様は」
火炎の奥央。
チェキーの肩先を支えてリドラは立っていた。
白衣は焦灰に灼かれ、頬端は鉄片に裂かれ。
然れどその男は異様なる女から視線を逸らすことなく、立っていた。
「連中のように、何かに添って、或いは何かの為に狂っているのではなく……、純粋に狂っている」
それが人の正しい狂い方なのだろう。
奴等のように、何かに添って、何かの為に。
若しくは、何かを貫き通して狂うのが異常なのだ。
「……だからこそ、貴様が邪魔してくれるな」
ぃひ、と笑いながら保持者は視線を泳がせた。
先程の爆発で壁面が窪み、機械が逸れている。
そこを潜り抜けてきたかーーー……。いや、そんなのはどうでも良い。
今はただ殺す。自分を邪魔するこの者達を、殺せば良い。
「貴様のように意志無く戦う者が、我々を邪魔してくれるな」
リドラはチェキーを肩で支えたまま、軽く屈み込んだ。
その手に握られるのは小さな、拳大もないほどの瓦礫。
彼はそれを振り被りもせず、投げた。投擲や放り投げたとも言えないほどに、投げたのである。
当然、それが保持者に当たろうと彼女が転ぶ訳ではない。
精々痛いと思う程度のものだろう。
尤もーーー……、その感触さえ無くなってしまった指先からマシンガンを落とさせるには、充分な物であり。
「純粋に狂うとは、恐ろしいな」
リドラはチェキーを支えたまま、保持者が機械を乗り出て姿を現した壁面へと歩んでいく。
再び彼女がガトリングガンを拾い上げて、いや、無理やり持ち上げて壁面へ向けた時にはもう、その闇中へ消えるほどに歩んでいて。
「ど、何処に、ぃひっ」
「貴様が出て来たということはこの先は中枢だろう」
「わ、たし、たしし、をむ、無視していけ、いけると思っ、思うな!」
腕が裂け、焼け焦げた包帯の隙間から覗く肉骨。
それに亀裂が走り、泥のような流血が吹き出そうと、止まらない。
ただ通路を進む彼等を殺すという狂気のために、その銃口が、彼等を。
「無視はしないさ」
我々はな。
その言葉が聞こえるよりも前に保持者は発砲していた。
踏ん張る両脚が捻れる様に抉れ、然れど狂気に満ちた嗤叫が響き渡り。
ただ通路を舐るように幾千の銃弾が弾き飛ばされて、やがて、リドラとチェキーの背中へと。
「ぇひ?」
ごりゅ。
ガトリングガンが吹っ飛んでいくのが見える。
自分の背中が見えて、武骨な鉄塊を持つ腕が見えた。
やがて彼女は、何が起こったのかを理解するまでもなく意識を消す事となる。
いや、理解する間もなく飲み込まれたと言うべきだろう。
「……この先、か」
巨大であろうと、通路に存在するはずもない穴を無視して進み征く濁流。
保持者を飲み込んだそれに一瞥さえくれることもなく。
リドラはチェキーを支えたまま、進んでいく。
背後に濁流をーーー……、失敗作共の進行という、濁流を背負いながら。
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