撒き餌の抗戦
【サウズ王国】
《城壁外郭》
「……とても良い」
微笑む。彼の眼に映るのは果てなき戦い。弄ばれる一人の女。
然れどその笑みは羽のもがれた虫けらが足掻く姿を見て故の物、ではない。
遙か彼方。瞳を閉じずとも浮かぶような、あの者の姿。
「フフ、何と……」
様々な者が生き様を照らし、散っていく。
敵も味方も傷付き、その戦乱に終止符を打ちながら、倒れていく。
何と美しいのだろう。何と綺麗なのだろう。
何とーーー……、尊い終焉なのだろう。
「もう少し、もう少し……」
自分もその世界へ足を踏み入れたい。
誰もが苦しみ藻掻き、叫び嘲笑い、奔り飛舞する世界へ。
だから、未だ。あと少しだけ、待つ。
何よりも美しい終焉がーーー……、そこにあるから。
「……ッ!」
そんな彼の思惑など知る由もなく、彼女は疾駆する。
自身を追尾する幾千の闇影に銃弾を放って弾き、或いは往なし。
逃げ惑う。逃げ惑い続ける。それしか術が無いのだ。
「このっ……!」
片足を大地に突き刺して急速に停止を駆ける。
積み重ねてきた逃亡の責に追い立てられるが如く凄まじい衝撃が彼女の体を襲うが、それを気にする暇はない。
直後には彼女が進んでいたであろう地点より闇影が這い出て、大地を斬り刻んだ。
中にはスノウフ国の聖堂騎士が落としたであろう剣や盾があったが、それ等さえまるで柔絹が如く。
{よく読まれました}
様々な攻撃を抜き切り、放たれた一弾でさえも容易く防がれる。
弄ばれていることはフレースも解っていた。例え[八咫烏]の暗殺者として名を通した自分であろうとも、所詮はこの戦いについて行けるほどではない。
弾丸も残り少ないし、脚も震えてきた。あと何分だ、あと何歩だ。あとどれだけ、動ける。
{……ご自身でもご理解なさっているようですね}
天霊、ヌエの肉体は漆黒に覆われたまま動かない。
その様子は同じく天霊であるデュー・ラハンの異形と酷似していた。
否、同質であるとさえ言える。幾多の属性が入り交じった彼女だからこそ、様々な天霊の姿を得た彼女だからこそ、だ。
{助けを呼ばれないのですか?}
その問いに、フレースは敢えて笑みで返す。
否、それを笑みと呼ぶには無様過ぎる。悪足掻きにさえ等しい程の、苦痛なる笑み。
「知ってるのよね。私が撒き餌だってことは」
{……流石はギルドで名を馳せていただけのことはあります}
よくある手だ。一人をいたぶり、それを助けに来た仲間を仕留める。
ヌエが狙っているのはそれだろう。ただ冷静に、そして冷徹に相手を仕留めていく。
慢心や闘志さえありはしない。ただ純粋に、目的のみを達成する。
或いは羽虫と侮れば、或いは獣のように猛れば、彼女にも勝機はあっただろう。
然れどこの相手を前にーーー……、フレースの勝機など、あるはずが。
「だからって、逃げるなんて選択肢はないのよね」
狙撃銃の銃鋒が、大地を擦った。
腕を上げることさえ危うくなってきた。力が、込められない。
「私の背中にはあの子が居る。私の大切な、子供が居る」
それだけではない。仲間が、自分を信じて託してくれた多くの人達が居る。
そして、例え違和感があろうと、自分より前に出て戦ったその男が居る。
ならば退く理由などない。例えこの身が裂けようと、信じ託されたものを、信じ託すべき物を前に、膝を折ることなどありはしない。
「進まなきゃいけないのよ。目の前が茨の道だったとしても、母親ってのは」
音速を超える、刹那。
それは遅れて銃声という牙となり、空を斬り裂いた。
だが、遅い。それでもなお、その天霊を前には一手遅れる。
「曲がれッ!!」
盾たる闇影を、縫い。
狙撃者であり、暗殺者たる彼女による必殺の一撃。
弾道を無視し、軌道を偽装し、威力を増幅させる。
嘗ては紅色さえも撃ち抜いた、一発の、弾丸。
{知っています。私は、貴方達全ての能力を見ることが出来る}
幾多の魔を組み合わされ、融け合わさった天霊故に。
例え精神操作、延いては相手の脳を読み込むことさえ、可能。
その弾道の軌道を知り、時点、回避を行うことも、容易く。
「そう。私は知らなかったわね」
弾丸は、弾かれて鳴り響き。
背後の一発を、通す。
「こんなにも速く撃てるなんてね」
それは、重なっていた。
全く同じ弾丸を、全く同じ弾道で、全く同じ軌跡で。
余りの速度による射撃によって銃口は焼け裂き、腕さえも砕ける程に痛めど。
彼女が放てる、最速にして、最大の一撃。
「母は強し、ってね」
ヌエの眉間が弾け飛び、その肉体は大地へと投げ出される。
見開かれた眼が閉じられることはなく、彼女の手元にある闇の球体が消え去ることもなく。
ただその肉体だけが、霧となりて、散り果てる。
「…………」
ヌエの姿が、消えた。
然れど、残っている。闇の球体だけが、残っている。
まだだ。まだ、気を抜いてはいけない。
高が弾丸一発で仕留められるはずなどない。彼女を相手に、今の一撃で決着が着くはずが、ない。
「来る……!」
次の一手が、あるはずだ。
いったい、何処から、来る。
「見事だったな」
その声は、背後から。
蝕陽をその背に覆い隠し、紫透明の足場を疾駆し。
ただ、彼女の銃を跳ね飛ばし、降り立つ。
「…………あ」
反応さえも、赦されず。
その者によって打ち上げられた銃は空中にて微塵となる。
幾千の闇が、否、闇さえなき霧が、噴出するように。
{感謝します、道化師}
道化師と呼ばれた者は紫透明の結界を周囲に纏いながら、軽く頭を垂れた。
もし眼前より今の攻撃が来たのなら、或いは天霊ヌエによる一撃が来たのなら、辛うじてフレースは反応できただろう。
だが、背後。そして連撃。これ等は彼女の反応を上回るに、足り余り。
{私も、漸く準備が整った}
武器を失った彼女の眼前で、天霊は静かにそう述べた。
蟲が蛹となり、蛹が、蝶となり、その天霊を成す。
{待つのは、終わりです}
その者は、否、その女は表情一つ浮かべることはなく。
霧に等しき腕を振るい、闇に等しき脚を、踏み出した。
読んでいただきありがとうございました




