重き仮面
「ファナ・パールズッ!!」
{バルド!!}
彼等の叫びは、同時だった。
そして同様に船は一気に船首を砂浜に向け、水龍もまた砂浜へと突撃する。
カイリュウの海面操作による船と巨体揺らす水龍の突貫。どちらが疾いかは言うまでもない。
砂浜を抉るように肉体を旋回させた水龍の頭上、レヴィアはファナとデッドを弾き飛ばすようにしてバルドを保護。
同時に未だ空を舞うファナ達へ憤怒の表情を浮かべ、一気に魚群を解き放った。
幾千の海波よりも巨大な、そして鋭利に、醜悪に。
その身を刃と変えた幾千の魚々が彼女達を襲う、が。
「させるかァアアアアアアアアアッッッ!!!」
魚群を乗り越え、否、魚波を撃ち砕くように。
その巨大な大帆船は空高く舞い上がり、砂浜へ巨大な影を落とす。
しかし、幸にも魚波より疾く彼女達の元に辿り着けたは良いが、不幸にもその余りの疾さに船体は彼女達を悠々と超えてしまった。
それどころか止まりもせず、船底が彼女達を轢き殺すのではないかと言う地点まで、飛び、超えて。
「ブチ破れェエエエエエエエエエエエッッッ!!!」
カイリュウの咆吼と共に爆ぜ飛ぶ船底、否。
それは獣人のーーー……、船底に潜んでいた[超獣団]ココノアによる全力の一撃。
同時に幾多の瓦礫を飛び越え、彼女と同じく獣人であるムーがファナとデットを両脇に抱え込み、再び瓦礫を蹴って船内へと舞い戻った。
いいや、それは最早落下に等しい程に飛び込んだ、と述べるべきか。
「取ったぞ! カイリュウ!!」
その言葉を聞くか聞かぬかの刹那。
甲板の中央にてその男は大きく両脚を開いて踏み込み、肺胞を空で満たし。
その右腕に渾身の剛力を込め、幾多の紫筋を浮かべて。
咆吼、する。
「オォォォオオオオオオオラァアアアアアアアアッッッッッッ!!!」
豪腕が振り抜かれ、船体は海岸沿いの防波堤を大きく擦り切った。
船体が有り得ない速度で、さらには空中で回転して跳ね返るように海面へと叩き戻る。
幾万の爆弾を海面で爆発させたかのような白水の柱に撥ね除けられながらも、船底に大穴の開いたそれはどうにか海へ戻ることが出来たのだ。
「せ、船長!」
「うるせぇ! ぐうたら言う前に船底塞いでこい!! それまでは俺の魔法で浸水を防ぐ!!」
船員達は大慌てで船底へ奔っていくが、その何人かは思わず途中で立ち止まって後方からの仲間に弾かれる、ということを繰り返していた。
当然だろう。大穴が開き、不自然に渦めく海面の近くに倒れる少女。
彼女の腹部からは余りに生々しい臓腑が飛び出し、近くの獣人はただ、その様に拳を握り締めることしか出来ていなかったのだから。
「お、おい、早く手当をっ……」
「……無理、です。血が足りない」
最早、臓腑からは鮮血が流れ出ていなかった。
零れているという表現が正しいほどに、一筋二筋と流れるだけ。
骨肉の狭間から覗く臓腑でさえも、余りに、色褪せていて。
「このままじゃ、もうっ……」
皆が言葉を失う。
同時に誰しもが迫り来る現実を、それを前に、震える。
この場で最大の戦力であるはずの彼女の惨状をーーー……、その現実を、前に。
{バルド……! バルド!!}
水球へ縋り付くように、レヴィアはただ嘆く。
腹部の傷が塞がらない。焼け爛れた骨肉と臓腑が癒着しない。
この回復の水球でさえ追いつかない。致命傷が、治癒しない。
{気をしっかり……! このまま気を失ったら……!!}
「……私には」
バルドが腕を、ファナの臓腑を未だ離さない腕を伸ばす。
レヴィアはそれに構うことなく彼の腕を取って胸元へと抱き寄せた。
生々しい鮮血が、美麗なる白絹を濡らそうと構わない。ただ、その無念に応えるが如く。
{大丈夫……! 私が、奴等を!!}
故に、振り返った彼女の眼に映るのは未だ水龍の尾下を漂う羽虫。
踏み躙れば砕けよう、薙ぎ払えば爆ぜよう、噛み砕けば抉れよう。
にも関わらず、あんな、矮小な、羽虫共がーーー……。
{赦せない……! 私の、仲間を。私達を!!}
「とても……」
天霊が振り被ると共に出現する、極大の水球。
否、最早それを球体と称すには余りある。
彼女の魔力が具現化させた殺意だ。大地一つさえも押し潰すほどの、圧砕の権化。
それを天霊は一切迷うことなく、周囲一帯のシャガル王国ごとであれ、振り落とす。
「重かった」
ぞぶり、と。
白絹に付着した紅色を目印とするが如く。
その槍は、彼女の臓腑を、否。
己の手にある臓腑ごと彼女の臓腑を貫いて。
「やりなさい、ファナ」
その声が届くはずはない。
言葉を失って唖然とする天霊を超えて、怒号飛び交う船の甲板を越えて。
ただ船底で倒れる少女に、届くはずはない。
然れど彼女はーーー……、ファナは、確かに。
偶然か必然か、己の臓腑より零れる鮮血を刻印として。
その一撃を、放つ。
「白炎連鎖……ッ!!」
臓腑丸ごと、一つ。
その威力は最早鮮血で標す程度では済まない。
彼女の残り限られた魔力を放ち尽くす程に、白き炎が。
天へと、上り征く。
{が、ぎゃぁああああああああああああああああああッッッッ!!!}
槍を伝い、臓腑の内部より猛り狂う白炎。
天霊は絶叫し、藻掻き狂い、自身の喉元さえ引き裂いて、周囲の造形物全てを壊さぬ程に暴れ狂い。
少なくとも手元の男を振り払おうと暴れる、が。その槍が引き抜かれることは決してない。
決死だ。今まで耐えてきた男が、祖国の死を飲み込み、唾棄すべき者共に笑顔をくれてやり、ただメイアウスという主の命に従うが如く、仮面を被ってきた男が。
それを、離すはずなどない。
{バァ、ルゥゥウドォおォ…………! な、ァアアぜェえ……!!}
「何故……、と。それを天霊が述べますか?」
それを、強いて言うのなら。
今の自分に言う資格など、きっとないのだろうけれど。
それでも、言う理由がある。必要と、資格がある。
「貫き通すことが、大切なのですよ」
バルドの腕が耀きを放ち、天の鎖を召喚する。
それはファナを束縛していた時の比ではないーーー……、数千近い鎖。
四天災者[魔創]によって作られし、天肢を束縛せし罪鎖なる鎖。
天肢たる天霊を縛る為に創り上げられた、罪人の鎖。
「貴方には神への接続種に、全ての合図になっていただく」
待ち侘びた。全ての計画の開始合図。
天霊。ツキガミという存在を構築するに少なからず関わった存在。
ならばまた、魔力も一部であれ呼応することが出来るはず。
それが狙いだった。潜入し、間諜者たる彼の役目。
天霊を背後から刺し、神を殺す為の接続種とすることこそが、バルド・ローゼフォン唯一の目的。
{ぁ、が}
だが、だ。
彼は一つだけ失策を犯した。
必然であり、偶然である、それは。
{がァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!}
本来であれば、量が必要だったのだ。
臓腑一つではない、もっと、それこそ対価として魂を差し出すほどの。
だが彼は躊躇した。躊躇してしまった。
彼女を、ファナを殺すほどの血液を奪うことを。
それは情。仮面が捨てきれなかった刹那の情。
ただ僅かな、然れど願い続けた情。
それが、天霊の抗いを赦す。
「がっ……」
バルドの片目を潰す、水閃。
弾丸にも等しきそれは、彼から世界の半分を奪う。
鮮血に塗れ、苦痛すら感じ得ぬ彼の肉体は、ただ。
その身をーーー……、彼方へと。
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