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獣人の姫  作者: MTL2
最終決戦
813/876

弱者の刃


{……正直ね、舐めてたのよ}


震える腕に伝う、鮮血。

それ等は幾多もの生傷に染み込んでは、浅黒い焦膚を喰らって流れていく。

否、余りに冷ややかな汗にさえも、染み込んで。


{ぶっちゃけ雑魚だしさァ。羽虫風情かなとも思ってたんだけどね}


幾千の骨片がその血汗をなぞらせ、滴り。

どろりとしたヘドロのように先峰から雫となりて。

堕ちて、いく。


{……ここまでやるとは思わなかったわ}


そう述べる異貌の顔は、否、サラ・リリエントの顔は。

いつもの様ににこやかに、ただ微笑んでいた。

優しいーーー……、堕睡の朝のように、朗らかな微笑み。


「…………ッ!!」


隻腕が震える。刃片を握り締める掌が紅色が溢れてくる。

噛み締めた奥歯からは唾液に混じって、肉の欠片が落ちてくる。

その届くことのなかった腕の無念を、吐き捨てるように。


{これでも勢いを衰えさせなかったことは本当に感嘆するわ。えぇ、マジでヤバかったもの}


だが、刹那。

本当に秒と述べるにも到らないほどの刹那。

一瞬だけ、その鋒が鈍った。


{それが命取り}


にこやかな微笑みは頬から一筋の汗を流す。

確かに自分は戦闘型ではない。どちらかと言えば潜入や撹乱が主な役割だ。

だが、それでも戦力は他の天霊に劣りこそすれ、人間共には遙かに勝っているし、負けるとも思わない。

それでもなお、ここまで追い詰められたのはーーー……、偏にこの女の覚悟の強さだ。

[強欲]に歪んだとは敢えて言わない。この胸に開いた焦傷さえも、認めよう。


{……けどさ、アンタ達の勝ちを認めるつもりは}


毛頭ない、と。

その言葉と共にデイジーの腕を拘束する骨刃とは別の、背より放たれた幾千のそれ等が空を斬った。

音すらない。或いは金属音の、しゃらんと鳴るかのように、しなやかに。

全ての勝負を決す、一撃は。


「……いつから」


ふと、一瞬。

骨刃が止まる。


「お前はダリオ・タンター(・・・・・・・・)だったんだ……?」


最早、垂れる髪先に瞳を隠した女は静かに問う。

その声に感情はない。後悔だとか悲嘆だとか、若しくは憤怒だとか。

そんな物は一切なく、ただ零すように。


{……最初からよ}


サラ・リリエントという人間は存在しなかった。

或いはその形骸だけが残り、ただその場に窪みだけがあったのだ。

記憶も何もかも擬態出来るその女だからこそ、そこに収まることが出来た。


「そうか」


二人で食べた喫茶店ローティのマシューも。

二人で続けてきた長く辛い訓練も。

二人で護ってきたあの国も。

二人で、二人で、二人でーーー……。


「……そうか」


ただ一度、繰り返し。

彼女の眼は、髪先の狭間から、灯火を照らす。

否ーーー……、その眼孔に宿る、焔を。


「ジュニア」


巨龍が咆吼し、鱗翼にて豪風を斬り潰す。

突貫だ。その巨体を持って、デイジーを救出すると共に異貌を弾くつもりなのだろう。

確かにそうすれば再び戦況を引き戻せる。悪くない手だ、が。

それを幾度も赦す異貌ではない。


{甘ァいんだよォッッッ!!}


デイジーに振りかぶられていた幾千の骨刃が龍へと疾放する。

幾千の刃はこれまでに無い程の速度と硬度で翼を、脚を、首根を、そして巨大な身体を拘束。

一瞬にして龍は束縛の中に沈み、苦悶の呻きを上げる暇もなく全てを封印された。

例えその巨体を用いようと、その鋭尖の爪を持とうと、振り解けぬほどに。


{今度こそ終わりよ……、テメェ等、全部!!}


「あぁ、終わろう」


龍の口腔に装填されていく紅色の紅蓮。

だが、依然として変わらない。所詮その焔が状況を覆すことはない。


{そう何度も同じ手が通じるワケねェだろォ!!}


そうだ、覆すことはないのだ。

全ては下位へ引き下げるだけのこと。

ただ、その焔を吐き出す龍以外の全てを、だ。


「私は終わろう(・・・・)と言ったんだ」


龍の焔は、収束されていない。

広域へ噴き荒ぶもの。矮小な存在ならば、易く焼き尽くす焔。

そう、それが例え天霊であろうと、人間であろうとも(・・・・・・・・)


{……ば}


天乱、空を覆い尽くす万灼の炎。

草々は燃え結ばれ大地は溶け墜ち、異貌の骨々は灰燼と化していく。

業火。そう形容することさえ生易しいほどの、猛焔。

骨肉全てが焦化するのも赦されず刹那に蒸発してしまう程の。


{馬鹿かテメェはァアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!}


攻撃ではない。この女は、最初から。

自分ごと全てを焼き尽くさせる為に、接触したのか。

真正面から、文字通り捨て身の覚悟で。


{テメェご、とッ……!!}


この女は、いったい、何処まで。

覚悟を決めてーーー……。


「私は知っている」


業火の中で、全てが焼き尽くされる中で。

ただ鈴音のようにその音が響いてくる。

余りに透き通り、余りに堅く、真っ直ぐな、決意が。


決死(・・)など、私には足りぬことを」


幾千と繰り返してきた動作は、まだ。

振り切られてなどいない。

まだ、その刃は、彼女の手から離れてなどいない。


「だからこそ、私は前に進むんだ」


決死を背負った彼女は一度膝を折った。

けれどあの人は立ち上がり、再びその道を歩き出した。

貫き通すべきことが、成すべきことがあったから、歩き出せた。


「この信念と、刃を持って」


業火の中で、彼女は歩む。

焦げ果て、焼け爛れた肉を背負いながら。

然れどその双眸の焔絶やすことなく、腕掌の刃墜とすことなく。

幾千と繰り返してきた動作を、ただ一つの土台を。

今、此所に。


「ただ、前に」


異貌の慟哭。振り抜かれる刃。

それ等は違いなく女の首根を裂いた。裂けるはずだった。

何かがあった訳ではない。業火は依然変わらず彼女達を灼き、騎士は依然変わらず刃を振り抜いてくる。

あったとするのならば、それは、ただ偶然にもーーー……、彼女の隅にあった魔力が消えただけ。

獣達により漆黒の騎士の魔力が、消え失せただけ。

然れど、その刹那は、先刻のように。

勝敗を決すには、余りに充分でーーー……。


{……デュー}


その一言を幕引きに、頭蓋が、砕かれる。

異貌の脳骨に亀裂が走り、破片が飛び散った。

焔は天霊ごと焼き尽くし、その脳髄を、跡形もなく。

やがてはその姿さえも、黒燼の最中へ、消え失せて。


「きゅう!」


龍は僅かに否めくと共に焔を振り払い、その中へと突っ込んだ。

零れ落ちるのは全身を真っ黒に染め上げた一人の人間。

髪先は灼けて肌は黒ずみ、隻腕の指先には酷い火傷が出来ている。

それでもどうにか、針穴から通すようなそれではあったけれど、息はあった。


「…………きゅう」


龍は彼女を背中で受け止め、そのまま大地へと滑空する。

大翼で地上の粉塵を吹き飛ばして着地し、器用に翼を作ってデイジーをその場へと寝かせ込んだ。

だが、彼女はその事に礼を述べるでも返事をするでもなく、ただ蹲って、震えるだけ。

痛みや苦しみに、ではなく。

ただ、悔しさに。


「……ジュニア」


出来れば、という想いはある。

確かにサラは殺されていた。既に死んでいた。

けれどスズカゼと共に歩んできたのは、間違いなく、彼女だったのだ。


「私は、弱いなぁ……」


黒染を落とすように流れる、一筋の雫。

ただ後悔に、ただ無力に。

戦いが終われど、己への信念を貫き通そうとも。

弱者の隻腕に残る刃はーーー……、無い。




読んでいただきありがとうございました

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