ただその動作だけを
龍の、蒼晶の瞳に映る光景。
成長して巨龍になったとは言え、未だ戦場に立った経験などあるはずもない、その景色を映したことなどあるはずもない瞳。
故に龍は喉を震わせた。何と鳴くべきか、叫ぶべきかが解らなかったが故に。
ただ眼前で、斬り刻まれる。ただ瞳に鮮血が映る。
「…………ッ!」
或いは助けに征こうとしただろう。
自分の鱗ならば、甲殻ならばあの異貌の骨刃による斬撃や刺突を防げるかも知れない。
いや、例え傷を負ったとしても彼女を助けなければいけない、と。
そんな湧き立つような、そして迫り来るような想いに、龍は大翼を羽ばたかせる、はずだった。
ただ彼を止めるのは恐怖や絶望などではない。
砕けかけの武器を抱いて、幾千幾多と迫り来る刃の最中で、自身の皮膚が喰われ髪先が斬り裂かれる中で。
まだだ、と。決して瞳の光を失わぬ彼女の姿があったからである。
「私は」
呟くように、胎動するように。
彼女は己の膝と武器を抱え込んで動かない。背中を、腕を、幾ら斬り裂かれようと。
或いは骨に到ったか、生暖かい感触と共に乾いた音がする。或いは神経に到ったか、背中の感覚が消え失せた。
それでもなお、彼女は待つ。未だ諦めぬ灯火と共に。
「良いか、デイジー」
ふと、ある人の言葉が脳裏へ浮かび上がる。
多分、自分が知っている上で一番強い人だ。彼女よりも彼等よりも、誰より心も体も強い人。
彼はそんな風に見合わないほど、訓練場の景色を背負いながら、気怠そうに汗だくだった。
尤も、自分は膝を突いて息も出来ぬほど肺を膨らませていたのだけれど。
「四天災者みてぇな化け物とは戦うなよ。いやホント。奴等相手にしたら死ぬからな」
「そ、それはっ……、解っていますが……」
「馬鹿野郎。俺にとっては四天災者……、あーいや、[封殺の狂鬼]や[精霊の巫女]みてぇなのもそうだが、強者を敵に回すなってことだ」
「で、ですが! 時には戦わなければならないことも……」
「出来るだけ戦うなっつー話だよ。サラみてぇな遠距離ならまだ事前に逃げれる事もあるが……、お前みたいなのは対峙してみねぇと解んねぇだろ?」
ですがそれでも、と。
彼女の叫びに対し、その男は己の肩で顎先の拭いながら、柔布を肩に掛けて。
踵を翻しながら呆れるように手をぶらぶらと広げ上げた。
「お前が積み上げてきたモンを信じろ。戦いは土台の上に乗ってるモンで決まるが、強者はその乗ってるモンを全部取っ払ちまう。いや、通じねぇと言うべきか」
だからこそ、誰にも崩せない、何にでも揺るがせない土台が要る。
突風や地揺れなどでも崩せない土台だ。土台が、要るのだ。
「……私は」
何度繰り返してきた。
幼い頃から騎士として、何度この武器を振るってきただろう。
脚を踏み込んで、腰を回しながら、振り抜く。この一連の動作を幾度繰り返してきただろう。
瞳を閉じれば今でも思い出せる。全ての動きが、体を迸るようだ。
雷撃のように指先からずっと、武器を伝わるように。
「誰にも負けない」
強者にはなれない。
あの人のように、絶対的な力はない。
彼女のように、絶対的な精神もない。
眼前の存在のように、絶大的な魔力もない。
「土台を……」
弱者の強さ、ではない。
その強さで強者に食らいつけても、勝つことは出来ない。
否、勝敗など最早どうでも良いのだ。
あるのはただーーー……、信念だ。この指先が、武器と共に紡いできた信念だ。
{アンタが何を支えにしてんのかは知らないけどね}
一閃。
骨刃が、空を裂き。
彼女の膝を抱える腕を、弾いて。
{それすら簡単に砕けるモンよ?}
腹を、貫く。
真正面から、一切の容赦なく。
鮮血を吐く暇さえなく、彼女の腹を、だ。
{絶対的な力の前にはさァ!!}
伸ばした腕と、白銀の刃。
腕は刃に斬り裂かれ、刃は刹那に砕き割られ。
鮮血と銀が混じって、自身へと降り注ぐ。
何もかもが砕け散って零れて逝くように、消えて。
{こんな風にィーーー……、ねぇ?}
異貌が嗤笑が、通り抜けていく。
耳から入って消えていく訳じゃない。本当に、ただ浮遊するように。
自分には世界さえも、全て認識することは出来ない。ただ紅色が消えるように。
{龍の力のお陰でよく戦えたわよね。まっ、自力になりゃこんなモンだけど}
それでもまぁ、この胸に開いた傷ぐらいは認めてやるわ。
異貌はそう述べながら己の胸元に開いた焦炎の傷を撫でる。
尤も、その傷でさえも彼女の一撫でで癒着、否、再生したのだが。
{ばいばぁ~い。……デイジー・シャルダ}
骨刃の嵐から解放された彼女は、墜ちていく。
龍の羽ばたきは間に合わない。ただその華奢な身だけが、消えて。
「幾千と、繰り返したんだ」
一歩。
引き下がっていく骨刃の上を、一歩。
幾千と繰り返した動作だ。幾度と噛み締めた動作だ。
それはハルバードを振るように、或いは踏み込みを行うように。
ただ眼前の骨刃を足場として、一歩を踏み込み、異貌との距離を詰める。
その手に、砕け折れた刃の欠片を手にして。
「この動作だけを、私は」
長く洗練され続けた土台。
彼女だけの強さ。弱者が持つ唯一の強さ。
デイジー・シャルダ。彼女が成すーーー……、たった、一つの。
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