意志は苦悶に敗すことなく
痺れがある。
小刻みに震え、臓腑が痙攣している。
段々と、青冷めていくのが解る。
「…………ッ」
龍の背で、デイジーは己の歯を食い縛っていた。
苦痛故に、ではない。意識を失わない為にだ。
気を抜けばそのままふつりと途切れてしまうだろう。
それ程に、血を失い、傷を負いすぎた。
「このままではっ……」
斬り裂かれ、虚空に揺れる右腕のあった場所。
ただ縛り、掌で押さえるだけでは、流血を抑えられようとも苦痛は抑えられない。
否、その流血でさえも先刻の脇腹への傷で埋まってしまった。
幾時だ。あと幾時、耐えられる。
この朦朧とし始めた意識の中で、あと幾時ーーー……。
「きゅぅ」
小首を傾げるように、空を駆ける龍が囀った。
デイジーは無理に微笑みながら、龍の頬を撫で、彼の首へもたれ掛かる。
そうだ。自分は今、独りで戦っている訳ではない。
彼が居る。ジュニアが、彼女の育てたこの子が居る。
「ーーー……或いは」
ふと思いついたその案は、自分でもどうしようもなく無謀だと思う。
それでもやるしかない。いいや、やるのだ。
奴を、あの骨身の化け物を倒す為の時間がないのなら、伸ばすしかない。
今この時を戦う為に、乗り越えるのだ。この苦難を、乗り越えてみせるのだ。
「征こう、ジュニア」
その為に、今暫くーーー……、と。
天を舞う龍の影が大地へ落ち、最中の異貌へ闇を標す。
その異貌はただ牙を紡ぐように俯きながら、己の頭蓋を撫でていた。
{…………づ、ぁ}
指先に添うが如く、頭蓋の傷は治癒していく。
否、それを治癒と呼んで良いのかは解らない。
癒着と言うのなら解らないでもないが、そんなに生易しい物でもないのだ。
水に塗れた泥が流れ出、繋がるように。
{チィッ……!}
龍による機動力と捨て身の攻撃力。
まるで爆弾みたいね、と異貌は呟いた。
防御や回避は全て龍に任せ、自分は全てを一撃に賭けている。
無論、自身へ攻撃を通すにはそれぐらいしなければならないのは正解だ。序でに言えば、頭を狙うのも正解。
ただし、この戦い方に正解をくれてやるつもりはないけれど。
{……必然ではあるけど、ってかァ?}
龍は再び突貫の態勢を取るように、大翼を羽ばたかせる。
真正面切っての戦いをしないのはこちらの特性をよく理解しているから。
突貫と逃走を繰り返すのはより効果的だと知っているから。
弱者故に、知っているのだろう。真正面から戦い続ける危険さを。
だからこそ、その選択肢を選ぶことはない。成る程どうして的確な判断だ。
尤もーーー……、それを知ってしまえば、知っていれば、どうという事はないが。
{次で最後にしてやるわ}
弱者は弱者なりに頑張っただろう。
ならば最後、この姿でこの力で引導を渡してくれようではないか。
多少なりとの慈悲として、だ。
「……あぁ」
或いは、呼応するように。
彼女は龍と共に突貫し、ハルバードを鱗尾のように風に流し。
烈風と旋風に喰い千切られそうな中でも、紅色の流血を零しながらでも。
彼女は、突貫していく。
「此所からだ……!」
異貌は先と同じように暗黒の盾を展開した。
だが、その規模は先程の比ではない。大凡数百倍近く、少なくとも龍の視界さえ覆い尽くす程に。
だが、変わらない。デイジーが行うべきことは、何も代わりはしない。
「頼んだぞ、ジュニア」
龍の大翼が空に凄まじい豪風を叩き込んだ。
竜巻にも等しい旋風が異貌を襲い、同時にそれの態勢が僅か、ほんの微かにだが崩れ、暗黒に穴を開く。
いや、それは穴とも呼べぬ刹那の狭間。
然れどそれだけあれば充分だ。
豪風を叩き込んだことにより、急激に停止した龍の背中より跳躍した彼女が。
ハルバードの柄鋒を槍のように構えた彼女が、異貌を狙い撃つには。
{このッ……!}
「く、がッ……!!」
痛み分け、などではない。
暗黒の盾を無理矢理こじ開けられたダリオと、全てを喰らい飲む盾に一撃を加えたデイジー。
今でさえも彼女の両脚は靴底から削れ、やがては皮膚が痺れるような感覚に襲われる。
だが、それで良い。欲しかったのはこの狭間。奴との隙間。
「……あの方が」
苦悶に酷く顔を歪ませながら。
彼女は、口端を歪ませる。
「馬鹿をする気持ちも、解る」
身、一つ。
倒れるように、右側へ逸らし。
やれ、と。一言だけ呟いて。
{……まさか}
異貌の瞳に映ったのは紅。
龍の銀牙の口腔より、窄められた口先から吐き出される、紅色。
万物を焼き尽くすーーー……、龍の業火。
{自分ごとッ……!!}
「あぁ、傷は焼いて塞ぐさ」
業火は一閃は暗黒の狭間より異貌の身を焼き、骨々を灰燼と化す。
その余波は火の粉でさえ周囲の草原を焼き爛れさせ、熱風は粉塵を塵潰した。
無論、デイジーが無事で済むはずなどなく、故に彼女の傷口は炎焼し。
一瞬で肉と肉が、無理矢理に癒着した。
「が、ぁあ、あ」
激痛は彼女の喉を枯れ果てさせ、苦悶は涙さえ浮かべるが、その雫も熱風により一瞬で蒸発する。
だが、これで良い。この程度、超えてみせる。
超えねばならぬからこそ、自分はーーー……。
{足掻きは}
盾が、弾かれた。
現れたのは依然変わらぬ異貌。その胸の穴でさえ、一切の被害でなく。
その背に負う幾千幾多の骨刃からすれば、そんな物など。
{此所までよ、弱者……!!}
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