破壊者の刹那
{こんな}
紅色が世界を裂く。
こんな事があって良いものか。
紅蓮が天を覆っていく。
どうしてこうなった。
紅月が空へ浮かびて弾け輝く。
俺は、どうしてーーー……。
「さっさと失せろ」
その強大な化け物さえ覆い尽くす岩盤が、全てを闇へ葬った。
闇を喰らうはずの、闇さえ埋め尽くすはずの化け物が闇の果てへと。
ただ轟音猛り狂う中で、意識さえも、全て。
「…………」
黄金の隻眼に映る感慨は、ない。
ただ殺し、終わっただけだ。
あの国で謀略に殺された仲間達、同胞達の無念。
そしてこの者に殺された彼女の無念。
晴らしてみればーーー……、何と呆気ない。
然れどこの胸には、確かに夜風に揺られる灯火のような、儚い満足感があった。
「……だが」
まだ終わっていない。何も、終わってなどいない。
戦乱は未だ世界を狂わせ、空には異様なる太陽が浮かんでいる。
そして何よりも、この男が眼前に居る。
「ケハッ、ケハハッ」
巨大な、山の地形さえも変えるほどの岩盤の上で嗤笑する獣。
ゆらりと両腕を垂らしながら、影の中であろうと煌めく双眸を見開いている。
白銀の刃に等しき牙を、爪を、切り開いている。
「やっと、ってかァ……」
純然を遙かに凌駕した殺意。
暗殺者として生きてきた、否、一度死した身であろうと、これ程の殺意を感じたことはない。
頬を裂き、背筋を抉り、四肢先を捻り千切るような、殺意。
然れど恐怖はない。否、危機感がないと言うべきか。
片足を引き摺り、だらりと腕を垂らしただけのその獣相手には。
「……動かない方が身のためだ、デモン」
亀裂の奔った頬、抉れた片足と、色を失った片眼。
幾年もゴミ捨て場に打ち捨てられて雨風に晒された人形のように。
その男にはもう、生物依然とした光はなく、あるのは壊れ果てた無機物のような穢れだけ。
「……とは言っても無駄か」
「当たり前だ」
疾駆。閃光すら超えた、刹那。
全てを斬り裂く鋭爪がジェイドの腕先を擦り、鮮血を散らす。
然れど彼は怯む事無く獣へ切り返し、その腹肉を削り取った。
否、肉とさえ判別が付かない欠片を。
「ハッハッハ」
先程の鈍重さが感じられないほどに俊敏。
獣は軽々しく跳ねながら、溢れ出る笑いを抑えようとはしない。
ただ悦楽。何と楽しいことか、何と嬉しいことか。
最期の最後に、この男と殺し合える。
「ハッハッハッハッハァ!!!」
脚突が大地に滅り込み、幾多の瓦礫を吹き飛ばす。
目眩まし? 否、その程度では済まない。
跳ね上がった瓦礫を前にデモンはそれ等を凄まじい速度で、そして怪力で殴り飛ばす。
目眩ましから弾丸、いや、砲弾へ。たった一発であろうと人体を抉り取るに充分過ぎる一撃。
「…………ッ!」
対するジェイドは回避しようとしない。
無論、防御さえ無駄だ。成すならば、迎撃。
ただ一閃が奔れば岩々は紅蓮に舐られ消えていく。灰燼と化し、散り果てる。
彼の剣閃は最早視認することさえ難しく、ただ軌跡だけが空へ紅色の戦舞を擬えていた。
「それでこそだァッ!! 闇月ゥウウッ!!!」
半円を描くほどに、デモンの右腕が大地を躙る。
彼が持ち上げたのは、抉り取ったのは先程の比ではないーーー……、巨岩。
それこそ山岳。山一つ丸々を、掌握したのである。
猛り狂う咆吼は大地を轟かせ、震え荒ぶ衝撃は山々を砕いて。
ジェイドでさえまともに立っていられない程に、それは。
「お゛、ぁ゛、あああァアアアアアアアアアアア!!!」
山が、墜ちる。
形容や比喩ではない。文字通りに、山岳の山一つが。
ただ眼前の漆黒へ、太陽さえも覆い尽くすほどの影となりて。
彼へとーーー……、墜ちて。
「……破壊者、か」
恐ろしい男だ。
ただ闘争。あの男は全てをそれに賭けた。
例え死す最中であろうと、あの男は、全てを。
「だが、だ」
魔炎の刃を、鞘へ収め。
深く、深く、深く。大地に根付くほどに腰を落とし、脚を踏み締め。
闇夜に浮かぶ三日月を描く程に、それは、態勢と成す。
「月は山を越え浮かぶ」
軌跡が、刻まれた。
瓦解の刹那に紅色の閃光。
紅蓮の焔湧き立つ暇さえ在りはせず。
ただ、暗影の闇へ、紅月の耀きが。
「だろうなァ」
「あぁ、貴様ならそうだろう」
両断され、ジェイド・ネイガーの真横を墜崩していく山々。
雪崩に等しき、破滅に等しき轟きの中で。
叫ぶでも呟くでもない言葉は、確かに届く。
一本道ーーー……。紅色に斬刻された断面の直線。
獣と獣。黄金の破壊と漆黒の紅月が、対峙する。
「真正面だ」
「受けて立つ」
疾駆、大地、抉り。
態勢、刀鞘、躙り。
「ジェイドォオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」
「デモォオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッッ!!!」
刹那は、今、此所に。
黄金の獣の拳撃が漆黒へ放たれた。
漆黒は紙一重、頬肉さえ喰奪われる刹那に回避し。
紅色にて、黄金の獣を、斬り結ぶ。
「……ッ」
短く、嗚咽するような絶息。
肩先より腰への袈裟斬りーーー……、紅色の閃光。
崩れ、朧の中に剥げ落ちていく、獣は。
「……刹那、は」
だが。
その身を斬られ、最早生命の灯火など無かろうに。
それでもまだ、獣は。
「今だッ……!!」
完全に斬撃を振り切った漆黒。
彼の眼に映るのは、振り抜いたはずの拳を再び構える黄金。
反応する刻などない。刀を戻し振り抜くことなど、或いは刺し貫くことさえ。
その獣の一撃の前には、足りず。
「これがぁああああああああああああああッッッッッ!!!」
ぐしゃり、と。
振り抜かれた拳が、砕け散った。
灰燼を踏み抜いたように、塵片となりて。
ただ、骨も肉も、鮮血すら現さず。
その腕ではーーー……、砕け、散った。
「…………ハッ」
解っていたと言わんばかりに、獣は嗤い捨てる。
疾うに限界を迎えていた。疾うに戦えるはずなどなかった。
それでも最後まで、ただ最期まで付き合ってくれたのだ。
この肉体は最期まで、ずっと。
「まァた……、届かなかった」
最後に伸ばした腕は、いつも。
誰にも、届きはしない。
「……いや」
ジェイドの隻眼が、崩れ逝く獣を映す。
己の口腔から溢れる、僅かな鮮血を口端より零し。
彼は静かに、瞳を閉じた。
「何だ」
嗤いながら。
頬に奔った亀裂が、眼にさえ到り。
やがてそれ等は、全身へと。
「届いてんじゃねぇか」
最期の、言葉。
灰燼は風に連れ去られ、天へと消えていく。
ただ残されるのは破壊の中に独り佇む、漆黒の獣。
彼の瞼が開かれることはない。静かに、ほんの僅かなその時にだけ。
破壊の獣への鎮魂をーーー……、願うように。
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