無残の獣と傲狂の何か
何故だ。
ただ一縷にそれだけ。
{ぁ、が}
耐えてきた。
他の誰よりも遙かに長く、否、あの人には劣るけれど。
それでも自分は彼等を除いて誰よりも長く耐えてきたはずだ。
この身を焦燥の焔が焦がそうと、奴等への憎悪に猛ろうと。
ただ耐えた。平然を装い、あの国の中に忍び続けた。
そうして己の役目を一つ果たし、足掛かりを作り、道を作りーーー……。
たった一つの目的の為に賭けてきたのだ。全てを成す為に。
{ぁ……}
だと言うのに、これは何だ。
どうしてコイツ等に勝てない。弄ばれる。
実力は圧倒的に上のはずだ。苦戦する由もないはずだ。
だと言うのに何故、どうして、何で。
勝てない。手も足も、出ない。
{あああああああああッッッ!!!}
闇尾の腕が大剣を引き抜こうと藻掻き足掻く。
触れれば滅消に喰らうはずの腕が、ただ掻き毟るように暴れるだけなのだ。
その巨大な眼球に突き刺さった大剣を引き抜こうと。
「やっぱりなァ。アイツ自身が召喚したんだ。戻してやればそうなるさ」
「……そんな事を考える脳味噌があったのか」
「あァん? 馬鹿にしてんのか」
「馬鹿にしてる事が解るのか」
「馬鹿にし過ぎだろ、オイ」
獣達は瓦礫に足掛けながら、或いはただ藻掻く何かを見眺ながら。
平然と、その場に構えて、いや、構えてすら居ない。
彼等にとってそれは最早、舞台装置や自然のそれなのだ。
そこにあるだけの、大して脅威たり得もしない何か。
たったそれだけのこと。
{ふ、ざけるな}
脅威ではないだと?
貴様等の眼前に居るのは、圧倒的な力を持つ者だと言うのに。
何故、奴等は平然としている。安穏としている。
この己を眼前として、何故、奴等は。
{俺を、前に、き、さま等……}
「あ?」
何かは藻掻くのを止め、双腕を大地に突き落とす。
地鳴り纏う轟音と怨呪を縫う言音を吐き出しながら。
ただ、余りに不快な、そして不可解な者共へと問う。
{何故……、そんなに平然とし、ている……! きさ、ま等が……!!}
「…………はっ」
黄金の獣は、嘲笑い。
いや、侮蔑さえある。相対し、闘争していた相手に対してだ。
必然だろう。彼にとって、繰り返すようだが、デュー・ラハンという天霊は、その存在は最早舞台装置か自然現象でしかない。
その程度の取るに足らない存在でしかーーー……、大事の前の小事でしかない。
「お前、詰まんねぇな」
その一言が、切った。
何かは猛り狂うかのように叫び果て、闇尾が周囲の全てを喰らい尽くす。
腕を振るえば岩盤が消え去り、脚を踏み込めば瓦礫が消し飛ぶ。
舞台装置や自然災害などと言う次元ではない。無論、小事などでも。
{あぁあああああああああああああッッッッ!!!}
眼球から生え出す幾千の腕。否、闇尾。
先のデモンを襲ったそれ等とは比べものにならない質量と巨大さ。
少なくとも彼等の居る場所だけでなく、周囲一帯を刈り尽くすほどに、多大。
「……面倒なことを」
「事実だろ。誰も嵐や雷とは戦おうとしねぇ。だが、雨や霧なぞは邪魔だとしか思わねぇ。そういうこった」
貴様なら、とジェイドは呟いて。
例え嵐や雷とでも戦いそうだがな、と。
そんな風に吐き捨て、同時に答えを得る。
時間があればな、と。
「……貴様」
朧に、崩れ。
腕から肉が剥がれるように欠片が落ちる。
平然と笑うその獣の頬に奔った亀裂が今一度音を立てて割れ、内頬の牙が覗く。
所詮はジェイドによる回復の魔法石とて応急処置だ。いや、ボロ布を無理矢理に糸で縫い合わせただけに過ぎない。
そんな布を無理矢理に引っ張れば、どうなるか。
「だからさっさと片付けるんだよ」
笑っている。未だ獣は、依然として。
然れどジェイドには何故か、その獣の笑みが、どうしようもなく、嬉しそうに、楽しそうにーーー……、悲しそうに。
笑っているように、見えた。
「来るぜ」
彼等は同時に跳躍し、その場を離脱する。
闇尾の腕が触れた場所は瓦礫だろうが岩盤だろうが否応なく滅消し、跡形もなく消え去った。
感傷に浸る暇はない。雨とて風が加われば嵐になる。霧とて空に上れば雷となる。
否、元よりか。この男に感傷や同情は要らない。
要るのは、ただ闘争という形だけで。
「……相応しい、か」
情けとは言うまい。あくまで礼儀だ。
一度死すまでのこの身への償い。そして、あの異形への餞別。
死地へ赴くに、この葬灯は豪華に過ぎるだろうが、充分には足りないだろう。
故にせめて、振るおう。この刃を、紅蓮をこの場所で。
「魔炎よ」
その太刀に名はない。
あるとするならば、魔炎の二文字のみだろう。
託された。本来己が刃を向けるべき男より、渡されたものだ。
あの男は言った。もし貴様が怨恨を果たしそれでも渇くのならば俺を殺しに来い、と。
この刃はその時へ到る為に使おうと思っていたがーーー……、今こそがその時となれば、厭う理由はない。
「今一度」
魔具や魔法石などと言う次元ではない。
それは愛おしい程に刃であり、美しいほどに刀である。
魔炎の二文字を持つ、嘗てとある少女が持ち得ていた太刀。
それよりも遙かに、紅く、万物を焼き裂くに、葬るに事足りるだろう。
「ーーー……我が手に」
例えそれが滅消の何かであっても、だ。
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