大地を総す
「状況は最悪だ」
崩れゆく砂崩に甲脚を埋めながら、彼女は押し殺すようにそう呟いた。
大地に流れていく枯れ果てた泥々は積もることなく吸い込まれて、抉れ返った草々を茂らせていく。
一種の循環だろう。魔力を自身にではなく、大地に還元している。
「この様だけでも解るように、あの天霊は間違いなく最上位だ。恐らくこのまま我々全員で掛かっても勝てるかどうかは五分五分、いや三分七分程度だろう」
オクスの予測は決して間違いではない。いや、正確とさえ言える。
ただ敢えて言うならば指揮を下げない為の嘘を。
勝率三分という嘘を、撤回すべきだっただろうが。
「…………今」
解っている。実際は一割にも満たない。
あの男に油断や慢心はない。あるのは純粋な戦意のみ。
幾ら弱かろうとこういった者は決して敵に回すべきではない。相手を殺す為の確実な殺意と、その術を持つ者は、決して。
「先の遠視で見えたように、各国は化け物に襲われてる。そして天に浮かぶあの異様な存在が出現している始末だ」
もう幾何の猶予すらありはしないはずだ。
少なくともあの男に勝つ、否、差し違える時間でさえも。
このまま戦い続ける時間さえも。
「……私が残って時間を稼ぎます」
そう提案したのは他の誰でもない、スズカゼだった。
無論、オクスとフーが反論することはない。奥歯を食い潰そうと、叛す言葉が出るはずなどない。
解っている。あの男の相手が務まるのは彼女だけだ。
死に物狂いで漸く時間を稼げるのは、彼女だけなのだ。
「そもそもアイツにゃぁ借りがありますしね。そらもうどデカいのが」
へらへらと軽快に振る舞いながらも、彼女の震える指先は隠せない。
一時的な魔力欠乏による痙攣か、それとも恐怖故の震えか。
如何なる武器を持とうと、如何なる力を身につけようと。
あの男にーーー……、勝てる気がしない。
「ちょっと私もマジをマジで超えますんで、オクスさんとフーさんを巻き込まない自信はないです。おっぱいなら今すぐにでも」
「黙ってくれ。では、我々はあの先に行くとしよう。フー、あの結界は物理的に破れそうか」
次第に足下から消えていく砂々が僅かに鋼鉄の扉に弾かれた。
否、鋼鉄の扉よりも直前で弾かれ、擦り墜ちていく。
魔力反応や微妙な色彩さえ出現せずに、だ。
「……難しいと思うのだが、どうだろう」
結界だ。それに違いはないが、何かがおかしい。
確かに防御している上に常に展開しているという点は結界だ。
だがその実、一切の反応を見せないと言うのは、余程の高等魔術でなければ不可能だ。
少なくとも、奴等の中にそんな結界術を持つ者が居るというのは聞いて居ない。
「恐らくはまた師匠による変な技術だと思うのだが、どうだろう」
「だろうな。そしてそれはつまり」
あの扉の先に居るのが誰なのかを指し示す。
因果か。いや、ツケと言うべきなのかも知れない。
あの男の近くに居ながら、気付くべくもなかった自分達に対する、ツケ。
「私達の役目ということだ」
砂塵が、墜ちていく。
間もなく彼女達の脚は大地を躙り、その男と対峙し直した。
世界さえも潰すはずの一撃が幾多と巻き起こったというのに、周囲の変化は見られない。
オロチという男の依然変わらぬ、否、依然変わらぬ故に鮮血塗れた眼だけが、スズカゼ達の恐怖を湧き立たせる。
「……七秒」
オロチの意識に斬り込める、僅かな狭間。
僅か七秒程度で彼を切り抜けて結界を破壊し潜入しろ、と。
無茶か? 嗚呼、当然無茶で無謀で無理なことなのだろう。
だが、オクスとフーにはそれが出来るのだと、信じている。
彼女達ならばやってくれると、信頼している。
「行きます」
合図と共に彼女は疾駆する。
一閃、一閃だ。一閃を撃ち込む。
回避は赦さない。防御や反撃は度外視した一撃を、撃ち込め。
これが彼女の稼げる三秒。そして、刹那の攻防による二秒と紅蓮による不可避の衝撃波による二秒。
四肢が吹き飛ぶだろう。頭蓋は砕かれ、脊柱はへし折られるだろう。
だがそれでも七秒だ。彼女達に託す七秒だけは、必ず斬り込んでーーー……。
「……?」
それは違和感と言うよりも、まず異常となって訪れた。
視界が遅い。思いの外、進まない。
遅れているのか? 踏み込みや疾駆を違えたか?
いいや、それはない。自分は確かに全力で走っているし、かと言って何か攻撃を受けて失速している訳でもない。
何が、起きている。
「こんな……」
頬を、風と草の切れ端が撫でる。
オクスとフーはその異様な光景を眼にしていた。
眼にし、遠ざかっていくそれを。鮮血と共に崩れゆく我が身の中で。
ただ、動かぬ大地を。
{大地は、儂の元に}
大地を掌のように変化させたのなら。抉り返った大地の被害を己に映したのなら。
彼は最早一体化しているとさえ言える。大地全てが彼なのだ、とさえ。
{集う}
幾らスズカゼが疾駆しようとも、変わらない。
彼女の見る景色が変わるはずはない。
奔れば奔るほど、彼女の蹴る大地は巻き戻っていくのだから。
大地が躍動し、生物のように、己の掌上で彼女を転がしているのだから。
{さぁ}
オロチが掌を圧砕すると共に、スズカゼの両脚が岩盤の牙鋏によって圧潰される。
吹き出す鮮血と飛び散る肉片。ただ、激痛だけが彼女を襲う。
オクスとフーがそうされたように、ただ、激痛だけが。
{戦いはまだ、終わらぬぞ}
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