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獣人の姫  作者: MTL2
最終決戦
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決意の時

「ちょ、ガグル! それ私のサンドウィッチ!!」


「うっせー! 愚かにもピクノを撫で回してんのが悪い!!」


「……食事時ぐらい静かにすべき也」


「あ、あの、喧嘩しちゃ駄目デスよ?」


「大丈夫だよピクノ、いつもの事さ」


「元気で良いわねぇ」


いつだっただろう。とても古い話のように思える。

花畑で、皆と一緒にピクニックをした日を思い出す。

あの日は何処までも青色の空と、色彩の世界が広がっていた。

皆で一緒に料理を作り、皆で一緒に出掛けて、皆で一緒に楽しんで。

そんな日だった。たった一日の想い出。たった、一日の、小さなーーー……。


{……がふっ}


ラッカルの口腔から鮮血が溢れ出る。

己の腹に突き刺さった豪腕が臓腑を躙り、最早苦痛さえ伝わらない感触が蠢くのが解る。

枯れていく。己の臓腑と共に四肢が痺れ、命が枯れていくのが解る。


「我慢比べ、と言ったところかな」


ダーテンの両側に絡みつくのは鋼鉄より遙かに強固な木根。

魔力で生成されたそれに実体はない、が。先に[奈崩]スリートをそうしたように、魔力と肉体を喰らう存在である。

数分もすれば天霊とて喰らう根だ。例え四天災者と言えど、一時間も持つことはないだろう。


「君の臓腑が潰れるのが先か、僕が溶かされるのが先か」


ぐちゅり、と。

気泡と共に何かが弾ける音がする。

豪腕の翻し一つで、臓腑が、一つ。


{ぅ、が……!}


鮮血に混じり、何かの筋、否、血管を孕んだ黒塊が彼女の気管を通り抜けて、ダーテンの腕へ零れ落ちた。

生暖かく、蛇が這うような感触。それは確かに魂の欠片だった。

枯れ果て、崩れ落ちる欠片だった。


「…………こんな物だよ、命なんて」


脆くて、汚くて、悍ましくて。

どうしようも無くちっぽけな、存在だ。

ただの一握りで消えてしまう程に、ちっぽけな。


{私は…………}


指先に力が入らなくなってくる。いいや、感触が消え始めているのだ。

血を流しすぎたか、何処かの神経が切れたか。いや、何にせよ残された時間が少ないという指標にはなる。

丁度良いではないか。最早、自分に指標なぞ、必要ないのだから。


{決意を……、示すと言ったのよ}


根は、彼を喰らう為の物ではない。

彼を、止める為のもの。


{立ち止まることに、決意はないわ}


豪腕より、華奢な指は離されて。

彼女は両拳を握り締める。

その獣より遙かに細く、脆い、腕を。

決意という覚悟を握り締め、構えるのだ。


{歩みだすことにこそ、決意がある}


一撃、衝撃が空を破す。

ダーテンが片掌で弾き、否、僅かに押されるほどの、威力。

高が女性の一撃が出せる威力ではない。天霊の加護故の、一撃。

否、天霊の加護のみで出せる威力ではない。


「……決意、か」


死すことさえ厭わぬ、決意。

己の肉体が崩れ逝くことを躊躇わぬ故の威力。

一撃一撃が己の魂を削るほどの、衝撃。


「…………来ると、良い」


ダーテンは、敢えて腕を引き抜かない。

引き抜けば彼女は今すぐにでも絶命するだろう。大量の鮮血と共に、臓腑を引き抜けば息をつく間もなく彼女は崩れ落ちるはずだ。

然れど、その手段は選ばない。刹那のみで終わる手段は。

それが礼儀なのか手段なのかは重用ではない。ただ、選ぶ必要はないというだけのこと。


「今暫くは、付き合おう」


ラッカルの拳が、空を切る。

対し、ダーテンは己の拳でそれを容易く弾き飛ばした。

確かに初撃は意識外故に困惑こそしたが、威力さえ解れば真正面から受ける必要はない。

弾く、往なす、躱す。例え片腕を囚われ、両脚を掴まれた状態であろうとも上半身と片腕だけで受けぬようにするのは容易。

そして何よりも彼女の拳撃は威力こそあれど、酷く遅い。今の自分には止まって見えるほどだ。


「……この程度かい? ラッカル」


柔い。弱い。脆い。

冷淡な眼光が彼女を捕らえる。肌から血の気が引き、唇は青ざめ、瞳に光はない。

惰性だ。最早、彼女の肉体は惰性で拳を振っているだけに過ぎない。

気付けば拳の威力もまた、大したことのない、ただの女が振るうそれになっていた。

最早弾く必要も往なす必要も、躱す必要もない。

獣の重圧な胸板をぺちりと叩くばかりの、無様な拳。


「…………」


物悲しい気持ちは、最早ない。

彼女が選び、進んだ道だ。自分が進んだ道とは正反対の。

多くの仲間が死んだ。キサラギ、ガグル、聖堂騎士団の皆、そしてフェベッツェ。

ツキガミに生き返らせてもらう中に彼女も含まれるだけだ。たった、それだけのこと。


{……女には、決意を決める時が三つあるわ}


ぺちり、と。

最早振りかぶる力さえない拳の最中。

彼女は、静かに、否、垂らすように、述べる。


{一つは決戦の時}


紅色の雫が、垂れた。

否、それは涎だ。最早口端を縛る力さえ、彼女にはない。


{一つは死ぬ時}


自身の胸板から、華奢な腕が滑り落ちていく。

衣服に塗られた紅色に自身の血はない。全て、彼女の鮮血だ。

見るに堪えぬほど無様。最早、眼前にあるのは、ただの屍でしかない。


{そして一つは}


刹那、眼光、灯りて。

純白の牙が食い縛られ、大地を揺るがす慟哭が空を貫き。

屍に等しかったはずの肉塊が全ての力を込めて拳を振りかぶり。


{愛する男の頬を殴る時だァアアッッッッッッッッ!!!}


衝撃が、大地を裂き、雲を破す。

彼女の一撃は獣を吹っ飛ばす事はない。否、回避を赦さなかった。

鋼鉄よりも遙かに強固なはずの、獣を捉える根が砕け散る程の一撃。

彼の腕がラッカルの臓腑より引き抜かれると共に、その背を大地に落とすほどの、一撃。


「…………ッ」


だが、獣は直ぐさまに立ち上がる。

己の頬内が切れて鮮血の味がする、が。肉体に異常はない。

確かに強力な一撃だった。だが、同時に拘束さえ吹き飛ばされたのは好都合。


「チャペル! ウェイザムラフス!!」


ダーテンの指令と共に[呪縛]と[天候神]、その他の天霊達も動く。

今こそが終焉の時。眼前に居るであろう彼女を倒す瞬間。

まずはチャペルの呪縛で縛り上げ、ウェイザムラフスの天候操作で手足を無力化。

その後、他の天霊達による攻撃でーーー……。


「……チャペル? ウェイザムラフス?」


だが、天霊達が動くことはない。

彼等はただその場に立ち、彼の叫びなど聞こえぬかのように果てを見尽くしている。

何かをされた訳ではないはずだ。魔力妨害なら肉体へ伝わってくるはず。だが、それもない。

何だ? 何が起こっている? どうして彼等は、自身の使霊は命令を聞かない?


{……ダーテン}


ふと、ウェイザムラフスが静かに述べる。

共に彼もまた、その事に気付いた。

その場に居るのが自身の使霊などではなく、個の天霊達なのだ、と。

個の意志を持つ、存在なのだ、と。


{あの女は、宣言通りに貴様を殴った。……然れど、止められはしなかったな}


天候神は空を見上げる。

蒼い、何処までも蒼い空。

舞い上がる花吹雪が麗しく、色彩の世界が、何処までも。


{だが、貴様の負けだ。四天災者[断罪]よ}


舞い散る花弁の中で。

ざわめく、木漏れ日の中で。

彼女は膝を折り、両腕を垂れ下げながら、花園の中に居た。

静かに、眠るように、吐息すら聞こえそうに。

息、絶えていた。


{……彼女が何を伝えたかったのか、よく考えることだ}


天霊達は皆、瞳を伏したまま、幻影の中へ消えていく。

残されたのはただ一人。たった、一人。


「ラッカル」


名を呼べども、言葉が返ってくることはない。

解っている。そうしたのは自分だ。そうなるようにしたのは、自分だ。

こうなる事を望んだのは、自分だ。


「……ラッカル」


世界が、崩れていく。

死を持たぬはずの世界が、無くなっていく。

花々は消え去り、空は砕けた天蓋となって。

やがて残されたのは、破壊に苛まれた礼拝堂だけ。

いつもの、その場所だけ。


「ラッカル……」


彼は彼女の頬端を撫でる。

どうして、冷たいのだろう。どうして、撫で返さないのだろう。

いつものように笑いながら抱き付こうとしない。いつものように頬を胸板に埋めてくれはしない。

彼女が笑うことは、ない。


「……どうして」


彼の背後で、砕け折れた扉から少女が走り込んでくる。

然れどその音も、彼女の声なき叫びも、やがて止まっていく足音も。

自身の隣で立ち止まった彼女の吐息さえ、獣の耳には届かない。


「……ラッカルお姉ちゃんは」


少女は、呟く。

白き世界に届くはずもない言葉を。

ただ、願うから。彼女の言葉を、託されたから。


「皆が、大好きだったデス」


獣の瞳は、見開かれて。

溢れるはずもない雫の代わりに、嗚咽を零しながら。

知っていたはずの想いを、知っていたはずの願いを。

叶えていたはずの過去を、抱き締めながら。


「……馬鹿だ」


誰にも、届くことはないけれど。


「大馬鹿だよ。僕も、君も、皆もっ……!」


老婆が最期に残した言葉の意味を。

あの言葉の、本当の意味を、噛み締める。


「大馬鹿者だっ…………」


彼の涙が、誰かのために流されることはない。

ただ、その雫が伝うのは。

曇天から差し込む光に照らされる、ラッカル・キルラルナの、微笑みの中へとーーー……。



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