表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣人の姫  作者: MTL2
最終決戦
781/876

白き煙は蒼にたゆたう


バルドの頬端を拳撃が駆け抜ける。

薄皮一枚分の回避。否、然れど衝撃は頬の肉を抉り取っていく。

激痛は口腔から喉を掻き鳴らすような轟音となりて全身を穿つ、が。

仮面がその程度で、例え臓腑が衝撃に悲鳴を上げようとも、止まるはずなどなく。


「この程度の欺騙で」


だが、そう呟いたバルドの槍もまた老父の豪腕をするのみ。

否、正しく言えば小指から肘上を削る斬線だったが、スモークの僅かな逸らし(・・・)によって弾かれたのである。


「この程度で、何じゃ?」


「さぁ、何でしょう」


刹那、スモークの側頭部に浮かぶ魔方陣。

それが弾いた槍の鋒から放たれた物であり。

一重ではなく幾千幾百にも重ねられた物であると、理解する頃には既に。

己の皮膚先を、白銀の刃が斬り裂いていた。


解放リベレイト。そして」


回避した先にある白刃より放たれる魔方陣。

それ等は連なる蛇の肉身が如くスモークを取り囲み、やがて彼を多う繭となる。

否、茨の園とでも称すべきか。


封緘せし白銀(セル・シルバレイド)


槍、剣、鉈、斧、棍。

様々な武器が一瞬で老父を貫き、四肢を抉り裂いて。

骨肉を砕き、臓腑を裂き、血管を引き千切り。

やがて、全ては。


「……!」


幻影だと、気付く。


「何だと問うたが」


全て。

自身が槍の鋒から魔方陣を放った時から既に。

老父は老父ではなく、ただ蒼鱗をたゆたう白煙であり。


「何でもなかったな」


バルドの脇間より放たれる一閃の槍。

視線さえ向けることなく、相手の声から位置を予測。

そして放つ、と。流石と言わざるを得ぬ技術である。

尤も、老練。技術で上を征かれては立場がないではないか。


「……これは」


数秒遅れて一閃に追いついた彼の視界が捕らえたのは。

指先で、棒きれでも捻るように弾き飛ばされた白刃。

槍は柄の途中で折り、否、捻り切られ、バルドの眼前へ飛ばされていた。

自身が振り返ることを、その瞬間を予測して飛ばしたというのか。


「失望、と言ったところですか」


その程度はこちらも予測済みだ。

バルドは眼前に迫り来る槍に対し、腕や身体で振り払うことはしない。

眼球眼前、一切の挙動無くその場に魔方陣を展開。

剣を召喚すると共に刃の切れ端を弾き、双腕には盾を召喚、展開。

目眩ましの次に来るであろう豪腕の一撃に供え、両腕を交差させーーー……。


「拳撃ばかりが、力の使い道ではない」


豪腕は狭間を縫うように、滑るように、盾を連ねる腕を掌握する。

信じられなかった。豪腕が、巨岩のような腕が、まるで油の上でも滑るように。

己の腕を容易く掴み、鉄鎖のように巨指で腕を拘束したのである。


「獣であれば砕けたろう。だが、儂は人間よ」


なれば技を持つ、と。

その言葉を耳にした瞬間、バルドの肉体が翻った。

比喩や揶揄ではない。文字通り、彼の世界だけが裏返るが如く。


「一手」


無論、バルドとて翻されただけで止まるほど甘くはない。

翻されたならば然りと言わんばかりに槍を召喚、投擲。

スモークの視界に収まるべくもない片足を、穿とう、と。


「二手」


投擲された槍に、乗った。

老父の巨体が、羽毛のようにふわりと浮き上がり。

槍を支えにして、飛び上がったのだ。

否、既に跳躍していたのだろう。自身を翻した瞬間には、もう。

ならば槍の投擲さえも、読んでいたというのか。


「三手」


槍の真上で爪先を回転、投擲された槍が慣性に抗うが如く反転する。

そして、蒼鱗に降り立った老父が次に取った行動は、蹴撃。

鞭のように撓る脚撃で、槍を、蹴り飛ばしたのだ。

傍観が如く胸下で双腕を組む女に向かって。


「…………馬鹿ね」


或いは、その行動が決め手だったのだろう。

バルドは彼女に任せて欲しいと請うた。無論、彼女は、天霊レヴィアはそれに従い、手を出すことはなかった。

それが[嫉妬]への信頼の証であったし、義理でもあったからだ。

しかし自身に手を出されたとなれば、話は別だろう。


「そのままなら、勝機もあったかも知れないのに」


レヴィアの指先から放たれた、水流の一閃。

無論、スモークは盾としてバルドを投擲する、が。

水流は生物のようにうねり、彼を貫くどころか水球を持って保護して見せた。


「……何だ、これは」


老父の眼に映る水流は、自身さえも覆い尽くすほどの水流は、水ではない(・・・・・)

それは全て魚群。僅かな水の中に鬱蒼と密集する魚類の群れ。

天地海。世界を構築する三命を支配する三賢者。

天霊ヴォルグが空、雷雲を支配したように。彼女はまた、海という存在を支配する。


「ーーー……ッ!!」


老父は疾駆する。巨大な龍の尾、蒼鱗を。

それは人間なぞが成し得る速度を遙かに超えた、魔法石の恩恵。

だが、代償は要求される。彼の五指に纏われた紫透の内、一つが砕け散るように。


「どうして抗うのかしら」


水面のように透き通り、然れど何処までも冷たい声。

天霊にとってそれはただ疑問であった。

老いた骨を叩き、震える脚を蹴り飛ばしてまで、どうして戦うのだろう。

認めれば生きて行けるのに。受け入れれば世界はそこにあるのに。

どうして人は悲しみ、受け入れようとしないのだろう。


「……いいえ」


彼女は首を振り、自身の知っていたはずの事実を再び認める。

そうだ、彼等は抗う意味を知っている。だから、抗うのだろう。

例え勝てるはずはない敵だとしても、抗うのだろう。


「ぐ、ぬッ……!!」


老父は疾駆する。ただただ疾駆する。

自身の背方より迫る魚群の砲撃にも等しき突貫より。

飲まれればその牙が己の肉を裂き臓腑を喰らい骨を砕くだろう。

飲まれる訳には征かない。あの魚群に、未だ、飲まれる訳には。


「……けれど、意味を成さなければ」


僅かに、天霊の指先が動く。

その挙動を見たバルドは水球の中で静かに息をついた。

諦めであり、脱力であり、理解。老父の行く末の、理解。


「それは抗いですら無いわ」


老父が僅かに後方へ視線を向けた、その時。

彼の眼前に、一対の牙が向けられた。

否、一瞬では牙とすら認識出来なかっただろう。その、余りに巨大なーーー……。

[精霊竜]シルセスティアの、歯牙は。


「しまっーーー……!!」


後方、削荒の魚群。

前方、水龍の歯牙。


「…………ッ」


老父はその場で、緩やかに、疾駆を止めていく。

やがて老父の踵が鱗に付いた頃にはもう、回避は不可能な位置にそれ等は迫っていた。

然れど老父は慌てず、ただ静かに、いつも通りの慣れた手付きで煙草を取り出して、火を灯す。


「……老骨には堪えるのう」


直後、激突。

全てを抉り削る魚群の砲撃、全てを噛み砕く水龍の歯牙。

レヴィアはその様を遠い目で静かに見詰め、踵を返そうとする、が。


「ぬぇぇいぁあああああああああああああああああッッッッッッ!!!」


咆吼。自身の耳聴を劈く慟哭。

老父はただ、その双方を、自身の腕を広げ、耐えていた。

脚が喰い千切られ、骨が砕けてもなお、耐えていた。

最後の抗いと言うには、余りに無様に。それでも、必死に。


「……最期にしては」


指輪が、砕け。

牙が肉を喰らい、鱗が臓腑を潰す。

ただいつもと変わらない白煙が、眼前で、揺れて。


「悪くない、味じゃな」


老父が吐き捨てた煙草は、鱗の最中を塗って、波立つ水面へ落ちていく。

それを追うように鮮血、紅色が雨色のように流れて。

やがて、両腕を捻り斬られた、老骨の姿も、また。


「……フッ」


然れど、老父は笑う。

己の眼前に蒼快の水面があろうとも。

最早助かるべくもない状況であろうとも。

ただ老父は、笑う。


「老兵の知恵比べ……、儂の勝ちじゃな」


その言葉から即座に反応を見せたのはバルドだった。

振り返った瞬間に映るのは砲撃。自身の眉間、確実に。

彼は寸での所で仰け反って回避するも、その一撃の意味は余りに大きい。


「……まさか、我々を一度に相手取るような事をしたのは」


老父は笑って、やがて、水面へ消えて。

彼の残した水柱と降り注ぐ雫、そして僅かな白煙だけが彼等を覆う。

天へ浮かぶ鎖を躙るように片足を掛けた男と、その鎖より解き離れた少女を。


「……馬鹿野郎が」


男はたった数分の時間に後悔を吐く。

余りに大きな時間だ。余りに永く、余りに短い。

老父と引き替えなぞに出来るべくもない、時間。


「やってくれた……!!」


仮面の頬に僅かな汗が伝うと共に、天霊もまたそれに気付く。

老父が稼いだ、たった数分が意味するものを。

理解する、故に。


「抗うのね」


デッドの肩を貫く一閃、水流の弾丸。

反応する暇さえ無かった。否、あるはずなどなかったのだ。

それは余りに疾く、余りに圧倒的で。

反応する暇など、あるはずが、ない。


「……残念だわ」


水龍の咆吼が轟き、水面を激動させる。

ただ天霊は静かに瞳を伏せる。今まで見てきた物を、払うように。

確かに仮面は脅威だっただろう。彼ほど恐ろしい者は居ない。

だが、だがーーー……、だ。その天霊という存在が、区切られたのならば、それは。


{本当に、残念}


彼女は静かに掌を天へ向ける。

ただそれが必然であり、当然であるが如く。

蒼快の海全てをーーー……、掌握して。



読んでいただきありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ