漆黒と狂獣
「君は何を成す?」
漆黒の煙、蒼闇の炎。
大剣と馬を駆り、その者は綻びの獣と対峙した。
抉れ返った大地に渦めく殺意の奔流は熱気となり、彼等を覆い尽くす。
酷く噎せ返るような、衣服さえ全て脱ぎ捨てたくなるかのような熱風。
然れどそれらは漆黒の騎士の殺意に混じり、或いは綻びの獣の口端を裂かせ。
生命一つの存在さえも赦されぬ大地の中で、その熱風は。
「獣、暴食の、渇望の獣。君は戦乱を望んで我々に協力していた。だと言うのに今、君は何をしている?」
「何? 何をだと?」
みちりみちりと凝縮される筋質。
己の体が嗤っているのが解る、悦んでいるのが解る。
この戦況を、絶対不利にして敗北確実の現状を。
どうしようもないまでの、戦いを。
「俺は今が欲しい。過去や未来じゃなく、今が、この瞬間が」
獣は双腕を振り上げる。
熱気が鬣を逆上げ、悦楽が牙を剥く。
「刹那だけが、俺の世界なんだよ」
大地が、裏返る。
岩は跳ね上がり、獣の姿は消え失せた。
否、眼前。騎士の顔面にて、その獣、在り。
「それを邪魔したテメェは、赦さねェ」
胴を穿つ一撃は衝撃波を撒き散らし、大地を切り裂いた。
幾千の亀裂と爆炎が舞い上がる中でデューは空を舞い、自身の首無し馬と大剣が落ちていくのを視る。
一瞬、奴が、獣なぞが持ち得る限度を遙かに凌駕した一瞬。
これが奴の、デモン・アグルスという獣。
「墜ちろ、[傲慢]」
思考の暇さえ与えられずして、自身の顔面に獣の拳が迫る。
筋力による余りの圧縮に骨々が耐えきれずめきりめきりと音を立てるかのような。
余りに重圧、余りに圧倒な拳。
ーーー……だが、だ。
「いいや、墜ちるのは君だよ」
僅かにデューの指先が動いた。
然れど獣がそれに眼をくれるはずもない。
獣の目は、ただ、己の脇腹を貫く、大剣へと。
「もう終わってるんだよ、君は」
そして、追撃。
デューはデモンを軽く、崖先から突き落とすように蹴り飛ばした。
その先にあるのは、ただ、終わり無き闇の扉門。
「冥獄の門」
デモンの爪が門の入り口を擦る。
だが、その程度の力で己を喰らう扉門を止められるはずも、抗えるはずもなく。
彼は咆吼を喚き散らす暇さえなく、その、果てへと。
「…………ふぅ」
デューは己の鎧についた砂埃を払い飛ばしながら、軽く息をつく。
酷い熱気だ。大地が抉れて地脈が近いからだろうか。
いや、何にせよ今はダリオを追おう。
彼女は決して戦闘向きではない。もしスズカゼ・クレハと戦えば一溜まりもないはずだ。
ヴォルグが死んだことでオロチ達も動くだろう。ならば、此所からが本番だ。
「天霊化もまだ使うべきじゃない。使うのは、あの女の時にーーー……」
かり、と。
「…………?」
それは同時に訪れた。
赤子が壁を掻くような音。
己を足下から喰い千切っていくかのような殺意。
「……まさか」
繰り返そう、それは同時に訪れた。
それ等は、ただ、獣の咆吼は。
全てを喰らい切った扉門の崩壊は、同時に。
「有り得ない」
あの先は、全ての魔力が凝固した世界だ。
その闇炎は何人の存在も赦さず、何物の生存をも赦さない。
赦されるのはこの大剣。獄炎を纏うこの亡者の黒剣のみ。
だと言うのに奴は、何故、あの扉門に飲まれてーーー……。
「足りねェ」
闇炎に喰らわれ続け、その四肢、その皮膚、その骨肉、その臓腑。全てを焼かれながらも。
獣は歩む。大地に踵を躙らせる。
両の爪で扉門の枠を掌握しながら、破砕しながら。
その狂争に歪んだ嗤牙を、綻びた眼を反り返らせて。
「足りねェなぁ……。デュー・ラハン」
焔はその身より消え失せ、綻びと共に塵去して。
ただ残るは、剥き出しとなった嗤牙のみ。
「あの女の焔はもっと熱かったぜぇえええええええええええッッッッ!!!」
疾駆、否、突貫。
真正面から一切の小細工無く突っ込んでくる、獣。
無論、彼を容易く通すはずなどない。デューが指示するよりも前に首無しの馬が嘶き、獣の眼前に高々と両脚を掲げ上げた。
圧殺、或いは踏殺。獣の倍はあろうかという質力で、その馬は。
「邪ァアア魔ァアアアアアだァアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
片腕で、薙ぎ倒す。
ただその爪で馬の腹を抉り掴み、力任せに薙ぎ倒す。
無論、依然として獣の咆吼と突貫は止まらない。
その殺意が、衰えることは、決して。
「この、化け物がァアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!」
大剣、空を裂きて、獣へ。
豪風を巻き込みながら振り下ろされた一撃。
旋風を巻き起こしながら振り上げられた一撃。
大剣と豪腕の衝突は轟音と激震となりて周囲の大地を破砕する。
衝撃波が周囲を抉り砕き、蒼天さえ貫こうとも。
漆黒の騎士と狂闘の獣が止まるはずなど、なく。
「ケケカカケケカカカハヘハヘハハハハハハハハハッッッッ!!!」
「チィッーーー……!!」
次撃、繰り出し。
剣撃、紙一重。
拳撃、薄皮一枚。
「ノロいんだよ、オイ」
デモンの掌が兜を掴み、大地へと墜撃させる。
岩盤が抉れ返り、衝撃で大岩が吹っ飛んでいく程に、全力で。
「その言葉、そっくりそのまま返しますよ」
デューの大剣がデモンの喉元を貫いた。
鮮血が漆黒の兜を濡らし、首は剣峰が翻ると共に捻曲がっていく。
明らかな致命傷、だが。
その獣の双眸に宿る光と、嗤叫に裂けた牙は、未だ。
「……化け物が」
今一度、その言葉を繰り返して。
漆黒の騎士は大剣を引き抜いて数歩、後方へ跳躍した。
今の状態で殺せる男ではない。ならば、これもまた必要と割り切るしかないのか。
いいやーーー……、割り切るのだ。自分はこんな所では、止まれないから。
「……天霊化」
デモンの背筋に奔る悪寒。指先を引き千切るような熱風。
死。その一文字のみが彼の脳裏を駆け巡る。逃げろ逃げろと身体が悲鳴を上げる。
故に、彼は嗤う。この恐怖こそ、この刹那こそが生きる証明故に。
その獣はただーーー……、悦楽の元に、嗤うのだ。
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