琥珀の煌めき
【ギルド地区】
《跡地》
「ヴォーサゴ様、ご無事ですか」
スーは己の樹木を周囲に携えたまま、膝を折る老父を庇うが如く手を広げていた。
既に彼等は半日に到る戦闘を続けている。否、続けさせられている。
道化師を模した、或いは道化師自体の道化師人形共に、だ。
「……構うな、スー。少し息が切れただけじゃ」
「しかし……」
「クロセールの氷塊による結界がまだ生きておる。儂が休む訳にはいくまい」
彼等が取った作戦は単純なものである。
一方が道化師、いや、人形と称すがそれ等を引き付け、一方が司令塔である存在を探し、叩く。
たったそれだけの作戦ではある、が。
「既に奴が出発してから数時間近く。進展が全くない。……恐らく、奴は」
「逃げた、などと戯言は言うでないぞ」
ヴォーサゴが指先を振るうと共に、一体の人形が浮遊する。
塵屑を履く箒のようにその人形は腕脚を拉げさせ、幾多の同胞を一気に跳ね飛ばした。
彼等を覆う僅かな壁が抉れるが、まるで水を増すかのように一瞬で元に戻る。
全く持ってキリが無い。既に何百体と破壊したか解らない。
いや、それならまだ良いのだ。連中を壊して済むのならば。
「……むぅ」
氷塊の半円形へ這いずるかのようにへばり付く人形共。
その最中、数体が倒れた人形共を引き摺っていく。
何処へ持って行くかは解らない。だが、連中が起こす自爆がない所を見ると、何かを着々と進めているのは間違いないだろう。
「厄介な……」
クロセールによる琥珀の氷塊結界を破れないところを見る辺り、此所の戦闘力は一兵を少し超えた程度。
だが、面倒なのは連中の自爆だ。特殊な豪炎と爆風による攻撃は例えこの結界であろうと溶解させる力を持つ。
人の身で直撃すれば、恐らく骨も残らぬであろう。
「耐えるしかないのですか、我々は」
「あの男であれば如何ともするであろうよ」
老父は杖を支えに立ち上がり、スーの背へと寄りかかる。
己等を囲う人形は幾千体。地平の果てまで続く傀儡共。
守護する氷壁は未だ保っているが、もう長くはないだろう。
「……あの男ならば、グラーシャも」
老父の呟きを潰すが如く、人形共が慟哭する。
大地は嘶き、琥珀は激震し、彼等は震動する。
それでも彼等はただ耐える。彼が全てを打破する、その時を。
《ギルド本部・跡地》
「…………」
廃館、とでも表現しようか。
焼けただれた壁や床面、嘗ては活気に溢れたその場所に人影はない。
懐かしい。嘗てはこの場所で依頼を受け、オクスやフーと共に近くの机で食事を取りながら段取りを決めた物だ。
たった四年前。今でも瞳を閉じれば、ギルドの者達が笑いながらどかどかと踏み込んでくるのではないかとさえ思える。
そうだ、あぁ、たった四年ではないか。
たった、四年という月日。
「……我々が袂を分かったのは、もっと前だったかな」
廃墟に等しき、焼け焦げた階段の上。
彼はそこに立っていた。闇に背を溶けさせるように。
ただその双眸で、彼を見下ろしながら。
「小さい頃なんて、もう覚えちゃいないよ」
「嘘だな」
「嘘じゃない」
「いいや、嘘だ」
クロセールが踵を躙ると共に、周囲の気温は一気に低下する。
空中の水素が凝結し、彼の足下や周辺が琥珀に煌めく程に。
否、二歩目を歩んだときにはもう、黒染んだ壁面と床が琥珀色に染まっていた。
「ならば貴様は何故、此所に居る」
僅かに、闇夜を背負うその者の口端が下がる。
だが、本人はそれを打ち消すように大きく腕を振るって見せた。
瞬間、盃から水を溢れさせたかのように、幾体もの人形が闇から這いずり出て来た。
「そうだろう? グラーシャ」
人形共の肉体を貫く琥珀の氷柱。
黒濁した油が周囲に飛び散り、琥珀の上を滑っていく。
それは正しく流血が如く、部品共は臓腑のように。
「……だとしても」
砕けた硝子の破片が、クロセールの背後に落下する。
甲高い金属音は結露に揺れる結晶となりて太陽の輝きを一身に受けた。
然れど彼が振り返ることはない。否、その必要がないのであろう。
例え自身の背後に、或いはその両端や頭上から、卵から孵ったばかりの羽虫のように蠢く人形共が居ようとも。
「僕がやることは、変わらない」
グラーシャの言葉と共に、全ての羽虫はクロセールへと飛び掛かった。
琥珀の氷柱に肉が引き裂かれ、幾多の臓腑が飛び散ろうとも構わない。
肉団子、と。そう述べるに充分過ぎるほどの塊になってもなお。
「変わらないんだ」
その行為は琥珀を切り裂き、或いは殴り殺す為ではない。
それは押し潰す為だ。純粋に、圧縮する為だ。
人形という圧倒的な重量で、如何なる抵抗をしようとも全てを潰す為に。
飛び掛かった一体目が拉げ返ってその身の原形を留めなくなっても、人形共は飛びついていく。
めきりごきりと生々しくも機械的な、圧縮音の中に慟哭を上げて。
「ならばまた、俺もそうだ」
刹那の、静寂。
そして、瞬間の爆音。
「やることは、変わらん」
氷結の結界により、幾多の油が流れてこそ居るが、一切の傷を負う事無く君臨する琥珀の双眸。
彼は眼鏡を濡らす油を跳ね飛ばしながら、残骸を踏み越えて行く。
階段のその先、走れば直ぐにでも追いつけそうなその場所に。
然れど決して追いつけぬその場所に居る友の元へと、行く為に。
「覚悟しろ、グラーシャ」
彼の者の琥珀は空に煌めきを刻む。
彼等の間にあるのは闇と光。陰りと太陽。
然れど歩む。その者の覚悟故に、友の、為にと。
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