異貌立つ楽園
「……何でダーテンばっかり」
それが、彼女の衝動を掻き立てる最大の要因だった。
ダーテン・クロイツ。後に四天災者と呼ばれる天賦の才さえも超越した獣人。
そんな彼は必然として様々な人物に持て囃されてきた。時の権力者や嘗ての聖堂騎士団団長、先代今代のフェベッツェさえもが、彼の才能を見抜いた故に。
だが、それはラッカル・キルラルナという女性にとって苦痛でしかなかっただろう。
彼女もまた天才であった。生まれついて精霊を召喚する術を有し、十を超える頃には天霊召喚の片鱗を見せていた。
間違いなく天才。いや、それすら超えた天賦の才。一流の召喚士でさえも、天霊召喚を成すのは一生を掛けようと不可能であるのが普通なのに。
だが、ダーテンはそれを超えていた。嘗ては身体能力という点であり、ある人物に出会ってからは召喚術という点であり。
どちらにせよ彼は、その四天災者は彼女を超越していたのだ。
「仕方ねーよ。ありゃ、何つーか凄い奴だぜ。フェベッツェ婆ちゃんですらそう言ってんじゃん」
「理解は必要也。あの男は我々が赤子の時より聖堂騎士団に所属していた故」
「でもぉ……、私だってぇ……」
「ラッカル、アンタの才能は俺達だって認めてんだしさぁ。そんなに腐るなよォ」
彼女の仲間はそれを認めてくれたけれど。
やはりラッカルにとって、苦痛は苦痛でしかない。
自分の才能が認められず、幾ら努力を積み重ねようとその上を行かれる。
誰であろうと自分と彼なら彼を選ぶし、幾度組み手をしようと召喚勝負をしようと勝てることはない。
決して超えられない壁。誰にも手の届かない領域。
自分の非凡が凡庸に成り果てるという、現実。
「ねぇねぇ、今日部屋に行っても良い?」
そんな彼女がダーテンという決して超えられぬ存在を超えるために選んだ手段。
齢二十にも見たぬ彼女が選んだのは、まぁ、何というか、色仕掛けであった訳で。
「……構わないけど」
あの時の困惑した彼の姿を今でも覚えている。
幾ら強くても所詮は男ね、と。そう心の中でほくそ笑んだことも。
彼を骨抜きにして全てを奪い取ってやる、というのが彼女の企みだった。
それは少女なりの策略であった訳だが、結果は、何というか、予想は付くだろう。
「ほら、こっちにおいで」
「え、ちょ、ひゃぁ」
「怖い夢見たんだよね? 僕も昔はそうだったなぁ」
気付けばラッカルはダーテンに頭を撫でられながら、もふもふとした体毛に覆われて眠っていた。
どうしてこうなったのかは解らない。いや、今にして思えばダーテンという人物による当然の帰結なのだが。
あの時の胸の高鳴りと、心地良さと、彼の微笑みは、今でも覚えている。
「惚れた」
「何言ってるんデスか、ラッカルお姉ちゃん……」
それが原因と言えば原因だろう。
彼女の獣人好きはここから始まった。少女好きに関しては、まぁ、生来の物と言えるだろうけれど。
彼女はそうして多くの獣人を愛し、少女を愛し、時を生きてきた。
この国の中で、この国に育まれて、生きてきた。
ラッカルにとってダーテンという獣人は憧れで、初恋の相手で、そして何よりもーーー……。
「これは過去」
彼女は花畑の中で、空を舞う花弁の中で。
静かに呟き、静かに瞼を閉じる。
「覚えてる。私の一生」
歩んできた道は決して平坦ではなかった。
様々な人に出会い、色々な恋をして、多々の時を超えた。
覚えている、それが私の人生だったのだと。
「貴方が始まりで」
彼女は晴天へと手を伸ばした。
嗚呼、恋しい。あの空が、光が。
曇天に覆われた世界だからこそ差し込んでいた光が。
どうしようもなく、愛おしくて。
「貴方が、終わり」
ゆらり、とラッカルの腕が垂れ下がる。
手元にあるのは破片。自身の使霊の、破片。
巨大な最上級精霊も、一切の打撃を無効化する精霊も。
何もかも全て砕かれ、打ち捨てられた破片。
{……ラッカル、限界です}
彼女の天霊は失った片腕を覆うとせず、残った腕でラッカルを支えるばかりだった。
最早生き残ったのはその天霊のみ。ラッカルの有す最大戦力。
尤もーーー……、その天霊を遙かに超える天霊が今、眼前にて構えている。
ダーテン・クロイツという史上最強の、否、有史以来最強の召喚士の袂に、構えているのだ。
「ごめんね……、私じゃやっぱ敵わないわ」
{……いえ、彼等によく食い下がった方です。幻界顕現を使わなければ彼の天霊を三体も倒せなかった}
勝負は圧倒的だった。
彼女は自己の世界で戦ったにも関わらず。
ダーテンの有す天霊達を三体削ることしか出来なかった。
それ程に、絶対的。四天災者という化け物は、どうしようもなく。
{…………}
一歩、ダーテン側の天霊が踏み出した。
その者の掌に収束されるのは光輝の球体。
放たれる砲撃は万物を貫き、治癒することなき炎傷を刻む。
傷付き、最早動くことさえ敵わぬ女を殺すには余りに、充分。
「待ちなさい」
ダーテンは天霊を抑えながら、ラッカルの元へと歩んでいった。
その瞳に光はなく、表情に希望はない。
赦されるのはただ、微笑み。苦痛から解き放つ為の、慈悲。
「ラッカル、最後の言葉を」
ラッカルの眼前に立ったダーテンへ、彼女の天霊による一撃が放たれた。
だが四天災者[断罪]はそれを軽く掌で打ち払い、天霊の顔面を殴り飛ばす。
小石を蹴り飛ばしたかのように吹っ飛んだ天霊は花畑を爆ぜさせるように大地へ埋め込まれた。
残るのは、最早一人で立つことさえ出来ぬ女のみ。
「……最期、じゃなくて?」
最後まで彼女は微笑みを隠さなかった。
否、その、諦めに満ちた微笑みを。
「さようなら、ラッカル」
「……さいてーだわ、ホント」
手は撃ち切った。
この世界が自身の墓標となろう。
だが、それで良い。それこそが、真の目的。
自身に赦された、彼を超える刹那。
「私って」
ダーテンの顔面を殴り飛ばす拳。
先の天霊よりも、幾多の拳撃よりも。
その一撃は、四天災者を遙か彼方へ吹き飛ばした。
否、吹き飛ばしてはいない。喰らわしたはずの一撃が、無となって。
{ホント、さいてーだわ}
ダーテンの肉体が爆ぜ、爆ぜ、爆ぜ。
天霊達が疾駆するよりも以前に、獣の肉体には幾千の裂傷が刻まれていた。
この世界が魔力で構築されるのなら、今ラッカル達を構築しているのが魔力なら。
それを取り込むこともまた可能なのだろう。
だが、それはつまり、自身の許容を遙かに超えた魔力を取り込むということ。
自身という存在を、別の者に変貌させるということ。
{私には、託す物があるから}
例えこの姿、消え去ろうと。
例えこの身、失せ還ろうと。
自分という存在の証明が、あるから。
{私は、アンタをぶっ飛ばす}
彼女の姿は、最早人間のそれではなかった。
妖精であり精霊であり天霊であり、それ以外の何かであり。
ただ一つ。その者はーーー……、全てを捨て去って、最後の楽園に立っていた。
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