真に恐ろしき者
「……おい、スモークのオッサンよぉ。アンタ経験豊富なんだろ?」
「自惚れではないが、まぁ、御主等のような若者よりはあるな」
「だったらアレどうすんのか教えてくれや」
眼前に広がるのは、海だった。
幾度と無く眼にした、時には泳いだことすらある蒼快の海。
然れど今、果てまで透き通るような美しさを誇るその海は酷く荒れ狂っていた。
竜巻のような水流が天まで昇り、海風が肌を切り裂くように吹き荒ぶ。
そして、その全てを支配するかのように海上に浮く一人の天女。
「……冗談ではない」
その様を何と例えようか。
水神の怒り、とでも言うべきか。嗚呼、この例えが一番しっくり来る。
あの女とその隣で水球に覆われながら水上に立つ男。その様は、やはり水神と例える他あるまい。
尤もーーー……、本当に水神に等しき存在なのだから、洒落にもならぬ話だが。
「ファナ・パールズ。御主はあの水流を撃ち抜けるか」
「……難しいな。ただの水なら訳ないが、仮にも天霊が操る水流だ。私の魔術大砲は高熱であろうとも火炎。相性が悪い」
「で、あるか……」
どうする。
少なくとも視界全てを覆い尽くすあの海流だ。広域攻撃であるのは間違いない。
そして威力は少なくとも確実な殺傷能力を誇るバルド・ローゼフォンの武器召喚。
散らして刺す、と。最悪な、いや、最高の相性だ。
「……バルド・ローゼフォンじゃな。あの男は生かしておいてはならぬ」
老兵、スモークはそう決断を下した。
あの男は厄介だ。下手をすると、天霊よりも。
確かに戦闘力は決して高くない。我々全員で掛かれば充分に倒せるだろう。
しかし奴の精神ーーー……、あの仮面が象徴するように、奴の精神は恐ろしく堅固で強靱だ。
如何なる状況下でも己の成すべきことを見失わない、その為ならば全てを斬り捨て、全てを偽る事の出来る精神だ。
そんな精神を持つ者こそ生き残るし、様々な状況で牙を剥く。
「デッド、ファナ・パールズ。まずはバルド・ローゼフォンを狙うぞ。あの男を殺せば、多少ではあるが楽になる」
「弱い奴からやるのは定石、ってか。確かに俺達じゃ分散できるだけの戦力はねぇしな」
「…………不本意、だが」
皆が、一歩を踏み出した。
戦闘の意志。砂浜の貝殻を躙るように、一歩。
「奴の、天霊の広範囲攻撃を受けるな。水流なぞ一度飲み込まれたらただでは済まぬ。囚われた時点で終いだと思え」
「解ってるっつーの。爺さんは手前の心配して」
刹那。
デッドの肉体が、跳ね飛んだ。
「ーーー……な」
彼の脇腹に刻まれる斬撃。
否、斬撃ではない。斬撃に等しき、水流。
高水圧の刃は彼の肉体だけでなく、砂浜、波止めの塀でさえも、斬り裂いて。
「デッド……ッ!!」
振り返りはしない。
否、振り返る暇さえない。
ファナによる魔力収束が耳に届く。歴戦の勘が眼前を見ろと猛る。
迫り来るは波。然れど水にあらず。
それは、白銀に覆い尽くされた、波。
「槍……!?」
幾百、幾千などでは説明も付かない。
大津波が如き槍は一切の比類なく、一切の容赦なく、一切の躊躇なく。
彼等へと、降り注ぐ。
「ファナ・パールズゥウウッッッ!!」
「解っている!!」
詠唱する暇はない。
然れど収束し、自身達の立ち位置を開くには充分な威力。
例え詠唱破棄であろうともその威力は嘗ての比では、ない。
「真螺卍焼ッッッ!!」
豪炎、純白の炎。
破砕は砂塵を弾き飛ばし、対峙する水面の表面を削り取る。
舞い上がった全ては炭となり煙となり、焔に呑まれたであろうことすら理解出来ずに消し飛んだ。
無論、その銀波でさえも、必然が如く白煙の波に喰い呑まれる。
「おっと危ない」
だが、バルドの武器召喚による壁は、それこそ幾千という盾はファナの砲撃を防ぎきった。
この戦闘を予期していたのか、それとも先日の戦いで使わなかった物か。
耐熱加工の施された幾千の盾。それ等は、半数以上が溶かされようと、確かに彼女の砲撃を受けきったのである。
「チッ……!」
続く一撃を放とうと構えるファナ。
然れどその眼球の寸前に僅かな光が照る。
思わず瞼を細めたが故に、彼女は反応できなかった。
或いは隣の老父でさえも反応できるはずなどなかったのだ。
ファナの眼前に、否、眼球の数ミリ手前に展開された魔方陣など。
「大人しくしていなさい」
バルドの、指を跳ねる。
直後、槍が突出し、貫いた。
眼球、脳髄、皮膚、骨格を、貫いた。
貫いた、はずだった。
「危なっかしいんだよ……。ガキってのはいつもよォ」
ファナは脚を掴まれ、引き摺り倒すように引っ張られていた。
引っ張ったのは他でもない、先程吹っ飛ばされたデッドだった。
彼は寸での所でファナの異変に気付き、思いっ切り足を引っ張って転ばせると言う選択肢を取ったのである。
何故それを予測出来たかと言われれば、同類だったからと言わざるを得ない。
もし自分がそういう魔法を使えるのなら、そういう選択肢を取るから、と。
「容赦なんて、あるワケねぇわな……!」
口端が僅かな後悔と怯念に歪む。
老父の言った通り? いいや、それ以上だ。
この戦場で最も危険なのは天霊ではない。あの男だ。
あのバルド・ローゼフォンという、一切の容赦なき冷徹な男だ。
「本当、割に合わねぇ……!!」
胸元に傷を握り締めるように抑え付けながら、デッドは立ち上がる。
彼と共に立ち上がったファナもまた、その双眸に激しい殺意の炎を点していた。
天霊の隣で、付属品のように、顔色さえ存在せぬ仮面のように微笑む男。
あの男こそが、最も恐ろしい。
誰よりもーーー……、恐ろしいのだ。
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