獣と真焔の因果
【サウズ平原】
「……さて、まずは手始めにシャガルに向かうとするか」
雷雲の頂点に居る、男。
彼はその黒雲の王とでも言わんばかりに、堂々と座していた。
天より見下ろす万物を己の手中に置くように、靴底で躙るように。
圧倒的な傲慢だけが、その者が赦す唯一の感情。
「サウズにはヌエを置いたが……」
上等。否、充分過ぎる。
あの女は長く我々模擬的な三賢者に仕えた存在ではあるが。
その実、奴は我々よりも数段エグい。
圧倒的に純粋な力などではない。あの女は、何よりも惨いのだ。
「ク、クク」
所詮あの国は抜け殻だ。
それをオロチが器の弱点だ何だと抜かすからくれてやった。
天霊化の許可も出している。ならば、前回のようには行くまい。
否、むしろあの国だけで止まるはずもないだろうがーーー……。
「……嗚呼、楽しい」
抗いは、すれば良い。
抗うだけ抗えば良い。だが、所詮それは抗いだ。
弱者共が喚き散らす時は終わった。これからは強者による問答無用の蹂躙のみ。
貴様等なぞが囀るときは既に、無い。
「なァ、そうは思わんか」
己の肌先を斬り裂く、魔力。
まさかこれ程早く接触の機会を与えられるとは思っていなかったが、好都合でもある。
否、相手側も然りか。互いに目下最大の障害なのだから。
「四天災者[魔創]よ」
雷雲は方向性を変え、その者の待つ場へと向かう。
王を歩ませるとは余りに無礼。然れど相手も王となれば、飲み込もう。
決着は豪雷の元に。万物を消し尽くす黄金の稲光の元に。
{決着を、付けようではないか}
【山岳地帯】
「……!」
スズカゼの身体を揺らがす、耳鳴りのような魔力。
指先を震わせ、牙の奥を掻き鳴らす。
それが覚えのある魔力であり、自身さえも圧倒的に超える物であるのは、言うまでもないことだった。
「どうしたのです? スズカゼ殿」
「……いえ」
戻るという選択肢はない。
全てを託してきた。任せてきた。ならば戻るなどという選択肢は存在しない。
あるのは進むことだけだ。この先へ、向かうということだけだ。
「スズカゼ・クレハ。今からスノウフに向かって全力で進んでも数日は掛かる。その前に体力を消耗しては話にならんぞ」
「んー、皆さんとの一夜で体力は消耗しても良いんですけどね。どうにも疲れないんですよ」
あれこれヤり続けれんじゃねと喜ぶ変態はさておき。
オクスはやはり、彼女に疲れがないのを確信した。
疑似的とは言え、神化した副作用だろうかーーー……。魔力や体力が飛躍的に向上しているのだろう。
この場にクロセールがいればもう少し詳しく解るのだろうが、まぁ、今は頼っても仕方ない。
「兎も角、我々には戦いが控えている。急いでも仕方無い」
「幾ら移動速度が速くてもオクスやデイジーは移動に特化していない。風魔術に詳しい私や異常な貴様なら話は別なのだが、どうだろう」
「……やはり、スズカゼ殿みたくは行きませんな。正直少し疲れているところです」
なら一度休息を取りますか、とスズカゼは山岳の先へ脚を掛ける。
今暫く歩けば山も開け、僅かながらに平原があるだろう。
嘗てこの地で戦ったこともある彼女だ。少しばかりなら、地形に詳しい。
詳しい故に、読めなかった。
いや、読めるはずなどなかったのだ。
「……っと」
彼女の眼前に居たのは、独りの獣だった。
僅かに粉雪の掛かった大地に君臨するが如く、双腕を組んで佇む獣。
殺意はない。戦意もない。何も、存在しない。
然れどその山岳一歩を超えた瞬間、スズカゼを含む皆が、死を覚悟した。
その獣を前に、死すことを覚悟したのである。
「熟々因縁深いですね」
獣は嗤う。
その牙を裂くように、嗤う。
「ここまで戻って来た甲斐があったってモンだなァ。オイ」
歩む。
たった一歩。その爪先で積雪を打ち払うように。
ただ、歩む。
「そうは思わねェか。テメェ等」
瞬間。たったその一挙動が行われた刹那。
スズカゼ達の全身が跳ね上がるような恐怖に襲われた。
否、違う。彼女達は知っているのだ。
その獣が如何に恐ろしいかを、その身をもって。
「俺ァよぉ。いつの間にか怠けてた。強い奴と戦いたいってーのに、いつか好き放題戦える時の為に耐えることを覚えちまってた」
だけどそうじゃない。
いつか、ではないのだ。いつかの為に、ではないのだ。
今。今しかない。今こそが、在るべき時。
「違ェんだよ。そういうのは」
渇いていた。
渇望こそ、その獣の本分。
癒やすために幾ら喰らっただろう。癒やすために暴食に成り果てたのだろう。
だが違う。そんな物では、ない。
「付き合えよ、スズカゼ・クレハ」
歩む。歩む、奔る。
獣の疾駆は咆吼と共に、大地と静寂を切り裂いた。
何人もが恐怖と衝撃に身を引き攣らせる中、スズカゼは静かに述べる。
「手を出さないでください」
それは彼女にとっても因縁深いことであった。
サウズ王国への傭兵襲撃から、聖死の司書の件に始まり。
幾度となくその獣と対峙し、刃を交わし会ったことも少なくない。
然れど彼女は、獣でさえも確信していた。
これこそが、最後の戦いになると。
「スズカゼェエエエエエエエエエエエエエッッッッッ!!!」
「デモォオオオオオオオオオオオオオンッッッ!!!」
咆吼は剣閃と拳撃の衝撃に掻き消され。
大地が抉り返ると共に彼等は幾度と刃を交差する。
違いなき殺戮。殺し合い。然れど、故に、闘争。
何人さえも踏み込むことが赦されぬ戦いが、そこにはあった。
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