女王と老父
《食事処・獣椎》
「まさか貴方と杯を酌み交わすとはね。因果かしら」
「……いや、儂からすればこのような場末の居酒屋な方が驚きだが」
所謂、彼等が酒を飲み交わしているのは、嘗て蹂躙した者と蹂躙された者が酒を飲み交わしているのは、大衆食堂だ。
現状の疲弊したこの国でも、まぁ、平民が来れる程度の店だ。
貴族が行く店がない訳ではない。それでも、メイアウスは敢えてここを選んだ。
尤も、付き合った老父と店の主人は気が気でない状況のようだが。
「貴族に見られることを厭ったか?」
「そうね。現状を理解出来ていない貴族も居るのよ」
国家内の権力だの、自身の立ち位置だの、と。
未だ保守的な貴族からすればメイアウス女王は邪魔でしかない。
漸く決して逆らうことの出来ない女王が消え、まともな国王となったのだ。
それを、今更戻って来たと言われても、従えるはずなどなく。
「……まぁ、後ろめたくもあるのよ」
一度は国を捨て、囮とした彼女だ。
今更波風を立てるのは余り気分が良いことでも、ないのだろう。
「際か」
「際よ」
二人は安酒を食む。
普段口にするよりも数段安く、不味い。
芳醇な舌先は不満をあげるが、別段、悪くはない。
自身への罰とするならば、軽過ぎるけれど。
「して、この先はどうする」
「……先、と言ってもね。最終的な目標はツキガミの殺戮よ」
結果的に皆々の目標はそこに収束される。
戦乱を求めるのも、知識を求めるのも、救済を求めるのも、世貌を求めるのも。
平穏を求めることでさえ、ツキガミという存在に収束されるのだ。
「神と眷属共との戦争、か。まるで神話ではないか」
「抗うのが人間ならば、英雄譚ではないかしら」
「……人間、か。己と[斬滅]を思えばそうと言えぬだろうに」
杯の中の酒が、揺れる。
メイアウスは僅かに頬端を歪め、そして嘲笑した。
人間か、と。我々は人間ではないのか、と。
「失言とは思わぬぞ」
「構わないわ。一度体現した貴方が言うのなら否定する理由もないし」
老父は彼女の嘲笑に連られるように、渇いた笑いを零す。
あの時の事を忘れるはずなどない。
自身の超広域精神支配も、極地精神支配も、何も効力を成さなかった、あの時を。
「……話が逸れたわね。要点はこれからどうするか、よ」
「そうだったな」
老父はパリコ草のサラダを口端より押し込み、ゆっくりと咀嚼した。
余談ではあるが、彼は未だこの年でも自身の歯牙を持ち続けている。
毎日の歯磨きと適度な手入れの結果だ。
「連中はスノウフに陣を置いてるわ。となれば攻め込めば良い訳だけれど」
「この国とシャガルにも守護を張らねばなるまい」
「ま、それが取引の一つでもあるからね」
何処までも抜け目の無い男だとは思う。
らしいと言えばらしいが、利権さえ逃さない辺り、流石と称賛しておくべきか。
尤も、相手を助けておきながら自身の利権を掠め取るというのは、嘗てあの男の常套手段だった事を考えると、やはり皮肉とも言えるのだけれど。
「シャガルとサウズにはそれぞれ戦力を流すわ。そこはある程度融通を利かせられるでしょうけれど……」
「重用なのはスズカゼ・クレハと貴様、そして[斬滅]じゃろう。この三つの駒をどう動かすかで戦況は大きく変わるぞ」
「それなのだけれど」
嘲笑は依然変わらない。
然れどその対象は、自身から他へと変化する。
「私達は遊撃するわ」
老父はサラダを刺したままのフォークを固まらせ、そのまま停止する。
数秒の停止はやがて口端を引き攣らせ、老父の胃を痛めることとなった。
当然だろう、四天災者なぞ存在だけで兵器たり得るのだ。
それが何処から攻めてくるか解らない、姿さえ見えないとなれば、それだけで最早相手への攻撃となる。
「随分、惨いことを考える……」
「発案は私ではないわ。ある男を真似ただけよ」
彼女は、或いはこの国は知っている。その恐怖を。
四天災者による急襲など、どのような攻撃より恐ろしい。
少なくとも、大国一つでさえ滅ぼしてしまえる程に。
「……ふむ、まぁ、そちらの動きだ。儂はスーと共に向かう場所があるのでな。戦争には参加出来ぬ」
「[操時師]グラーシャ・ソームンね」
返答はない。首肯もない。
しかし、その沈黙が何よりの肯定であり。
「別にそちらを縛るつもりはないわ。ただ、貴方ならば戦況の一つ二つ見分けられると思ってね」
「あのようなエゲツない計画を立てておいてよく言う。儂の助言など不要であろう」
まぁねと悪びれぬ辺り、流石である。
とは言え、メイアウスとて考えなく老父を呼びつけた訳ではない。
彼に聞くべき事が、まだ一つだけあるのだから。
「ヴォルグとヌエについて、聞きたいのだけれど」
元はギルドの中枢深くに籍を置いていた老父だ。
統括長としてギルドを支配していた二人の天霊についても知っているはず。
だと、思ったのだが。
「解らぬ」
返ってきた言葉は至極単純なものだった。
老父の表情からして、本当に、純粋に解らないという事が事実だ。
当然だろう。彼等は確かにギルドの長でこそあったが、天霊などと、思うはずもなかったのだから。
「ギルドという組織は奴等が創り上げた。儂はそこに籍を置いていたし、権力的な対立もしておった。しかし、奴等は解らぬ。解らぬのだ」
メイアウスの中にあった懸念の一つが、形となる。
精神干渉魔法の最高峰に立つ彼でさえ、理解出来ぬ事象。
それを起こせるのであれば、恐らくーーー……。
「……厄介なことになりそうね」
杯露が、彼女の白指を流れる。
戦力上で見れば、未だ理解し得ぬ一つの懸念。
それが現実になる事が解りきっている故に、彼女の杯は未だ、底を突くことはなかった。
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