夢破れし弱者達
【サウズ王国】
《城壁外郭》
「酷いものだな」
数多の瓦礫を持ち上げながら、彼女はそう呟いた。
周囲では騎士団の面々が自分と同じく瓦礫撤去に勤しんでいるが、作業が進行する様子はない。
当然だろう。亀裂の走った地面や、ほぼ完全に崩壊した城壁。
建て直すどころか、瓦礫の回収でさえ半月は掛かる仕事だ。
ーーー……尤も、向こうで無闇矢鱈に瓦礫を吸い込んでいく変な男だのこれ幸いとばかりに数多の栄養剤や道具を売り払っていく獣人が居なければ、だが。
「……オクス・バーム殿ですね?」
ふと、オクスの背中から投げかけられる言葉。
振り返った彼女の瞳に映ったのは傷だらけの軽甲冑を纏い、見るからに練習用といったハルバードを構える一人の女性だった。
恐らくサウズの騎士だろう。決して弱者には見えない、が。
彼女の眼光が孕む、何処か深い闇は、いったい何なのだろう。
「そうだが……」
「お願いがあります。どうか、手合わせをしていただけませんか」
僅かに、眉根が歪む。
確かに彼女は弱者には見えない。手合わせも吝かではない、が。
その瞳にある何処か深い闇を前に、手合わせをして良いのか。
自暴自棄に見える彼女と手合わせなど、しても良いのか。
「……悪いが」
「良いではないか。手合わせしてやれば」
彼女の言葉を遮ったのはチェキーだった。
驚いて二度目の振り返りを行った彼女は、先と同じように瞳へその姿を映す。
尤も、映ったのは騎士とは比べものにならない程、うんざりとした一人の女だった訳だが。
「……し、しかしだな」
「思い知らせてやれば良い。一番手っ取り早いだろう」
オクスはふと、それ等を理解した。
そうか、チェキーがこんなにもうんざりしているのは自己嫌悪なのか、と。
そうか、彼女がこんなにも淀んだ眼をしているのは彼女自身の無力故なのか、と。
「……同族嫌悪、か」
「喧しい」
ぶっきらぼうに言い放ったチェキーは瓦礫を山へと投げ捨てて、鼻を鳴らす。
手当ぐらいは手伝ってやるからさっさとやれ、と言葉を付け足しながら。
「……解った、手合わせに付き合おう」
オクスは両腕を、既に傷付いて殆ど動かない義手を構える。
しかしそれでも鉄塊の、充分凶器たる物だ。彼女とてそんな状態であろうと、手を抜くつもりはない。
無論、相手の女騎士も同様だ。ハルバードを持つ、彼女も。デイジー・シャルダも。
「征きます」
疾駆。
瓦礫と土煙が跳ね上がり、刃が旋風を切り裂いた。
横薙ぎ。ハルバード特有の遠心力を利用した薙ぎ払い。
「研鑽されている」
ただ振り回すだけではない。腰が入り、軸足の回った一撃。
何千何万と素振りを行い、動作を見直し、繰り返したのだろう。
たった一撃でさえ鍛錬の過程が見えるほどに綺麗な、一撃だった。
「だが」
綺麗すぎる。
剣跡さえ一目で解ってしまうほどに、綺麗すぎる。
この程度の一撃を真正面からくらう義理など、ない。
「甘いな」
義手、否、鉄塊がハルバードを跳ね上げた。
何と言う事はない、ただ迫ってくる刃を殴り飛ばしただけだ。
空を舞うハルバードの残音を耳にしながらも、デイジーは止まれない。
己の持った突進力を保ったまま、ただ断頭台に頭を垂れるが如くオクスへと突っ込んでいく。
「……やはり、駄目か」
デイジーの顔面に振り抜かれる拳。
彼女は瞼を閉じて、防御の素振りさえ見せずそれを受け入れる。
終わりだ、と。やはり駄目なのだろう、と。
諦めの意味さえ、込めて。
「ぶべっ」
しかし、彼女の顔面を衝撃が貫く事はない。
と言うよりはむしろ衝撃に当たった、と言うべきか。
デイジーは眼前で急停止した拳に思いっ切り顔面から突っ込んだのだ。
貫くと言うよりは当たるという例えの方がまだ正しいだろう。
「チェキー、彼女の鼻を手当てしてやってくれ。赤くなっている」
「その程度ならば手当てする必要はない」
自身の鼻先を押さえながらチェキーは立ち上がる。
その眉間には憤怒を代弁するが如く皺が寄っており、口端は吊り上がって食い縛られた牙を露出させていた。
しかし二人はそんな彼女を前にしても別段表情を変える事は無く、或いは呆れさえして息をつく。
そんな様子がより彼女の苛立ちを掻き立てたのだろう。デイジーは叫ぼうと片膝を跳ね上げるが、オクスはそれに先じて、ある言葉を言い放った。
「自殺に付き合わせてくれるな」
喉が、詰まる。
指先が震え、体は鎖に縛られたように動かない。
「っ……」
図星だった。
端的に言えば彼女は見限りを付けたのだ。
魔力は持たない、身体能力も良くて中の上だし、他に突出した才能もない。
何処までも弱者だ。一時期はそれで良いとすら思った。強者の支えになれるなら、強者が持たぬ強さを持てれば、と。
然れど実際はどうだ。自分は何も出来なかった。弱者故に仲間は救えず、尊敬する人さえ支えられず。
挙げ句の果てには親友さえ謀られ、惨殺されたまま、過ごしていた。
「……スズカゼ・クレハに会いに行け」
チェキーは、零す。
デイジーも、またオクスでさえその言葉には驚愕した。
否、しかしオクスは数瞬後にはそうだな、と納得の声を落とす。
尤も、デイジーがそれに両手を挙げて賛成することなど、決してないのだが。
「私に、そんな資格はっ……」
「歩むのに資格が居るのか」
不機嫌そうに、いや、露骨なまでに。
「貴様の脚は資格とやらを持たねば動かないのか? だと言うのならば呼吸の資格はいつ得た? 眼球を動かす資格も、指先を動かす資格も、いつ得たというのだ」
誰よりも知っている。
彼女は悩み、閉じこもることの無意味さを。
「背中を押して貰うのは赤子だけで充分だ」
或いは彼女に慈愛を表に出すような優しさがあったのなら、話は違っただろう。
しかしチェキーはそんな物を易々と吐き出す性格ではないし、何よりデイジーにとって今必要なのは慈愛や背中を押す手などではない。
ただ、己を見直すことだ。
「……ッ」
彼女は駆け出す。
弾かれた武器を捨てて、真っ赤になった鼻先を抑えようともせず。
ただ、無我夢中に、走り出す。
「……厳しいな、相変わらず」
「貴様よりかは幾分マシだ」
無力だった者達は、無力な者の背中を見る。
誰しも無力な訳ではない。幾ら弱くとも、力を持っている。
ならば弱者たり得よう。弱者で、居ることが出来る。
「……デイジー・シャルダ、か」
チェキーはふと、その名前を呟いた。
嘗てスズカゼ・クレハについて調査を行ったとき、目の端に映った名前。
その時は気に留めるような物でもなかったし、留めようとも思わなかった。
然れど今、彼女は目の前に居る。奔って、征く。
「因果な物だな」
夢破れた弱者共が集うとは、と。
誰にも聞こえない、然れど隣の獣人にだけは聞こえる言葉を、彼女は呟いた。
その眼は何処を捕らうでもない。然れどその懐かしい背中だけは、朧気に映していた。
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