巫女と獣の意志
 
「そう言えばなんですけど」
話し合いも終わり、漸く動けたメイドが全ての料理を片付けた後。
スズカゼはふと思いついたように呟いた。
と言うよりは現状を知る上で、必然理解せねばならぬであろう、ことを。
「お二人がスノウフ軍を相手にしたのは良いんですけど、その、結局はどうなったんですか?」
「結局? 結局かぁ……」
少し悩む素振りを見せて。
メタルは隣で呑気に酒を飲むメイアウスに視線を送る。
別に構わないんじゃない、と。そう言うかのように軽く首を傾げる彼女を見て、彼はそのまま説明を続け出す。
「ぶっちゃけダーテンとの勝負は決着付かなくてさぁ。っつーのも途中でアイツが脱出しちまってな」
「脱出?」
「[精霊の巫女]ラッカル・キルラルナが裏切ったのよ」
スズカゼは僅かに喉を詰まらせる。
だが以外と、自分が絶句しているのだろうと理解出来る程度には冷静だった。
いや、むしろ納得さえしていたのかも知れない。
自分が知っているラッカルという人間が、あの現状に耐えられるとは思えない。
彼女なら多分ーーー……、とは解る、けれど。
「どうして、今……」
きっと、今まで彼女は耐えてきたはずだ。
だから彼女も抗った。戦うために歩き出した。
だが、どうして今なのだろう。自分が何より不利である、その瞬間なのだろう。
「……ダーテンが憑依を行ったのよ」
「ひょ、憑依?」
「自身に魔力存在である精霊を憑依させるのは[精霊の巫女]の十八番だけれど、それを彼女に教えたのはダーテンなのでしょう」
「だから使ってもおかしく無かったっちゃ無かっちゃんだけどなぁ。アレってホントにヤベぇんだよ」
憑依の危険性は説明するまでもない、が。
それが何故ラッカルの叛逆へと繋がるのか。
メイアウスは理解していても、それを許容は出来ない。
だが、スズカゼが容易く理解し、許容した。
彼女が彼女という人間であるならば当然のことだろう、と。
「ダーテンさんを止める為、ですか」
「だろうな。ま、こっちも助かったけどさ」
ラッカルはその場でオロチに取り押さえられたという。
だが、その波紋は聖堂騎士団にも及び、とても侵攻できる状態ではなくなった、と。
現状、オロチの指揮の下に聖堂騎士団は動いているようだが、その士気や行動力は大幅に落ちるだろう。
「……無事だと、良いんですがね」
彼女の呟きに、メイアウスはため息を、メタルは同意の息を吐く。
他の者達も、何とも言えない様子でスズカゼを見るばかり。
あの国にもまた、スノウフにもまだ、平穏を願う者が居るはずなのにーーー……。
【スノウフ国】
《教会・地下牢》
「…………」
獣が、歩む。
靴裏で泥や小石が擦り切れるのも厭わず。
頬毛を撫でる、嫌に冷たい風も構わず。
数歩先さえ見えぬような闇の中を、歩む。
「……馬鹿野郎が」
やがて、獣はその牢へと辿り着いた。
両腕を組んだまま鉄柵へ身を投げるようにもたれ掛かる。
女と視線を合わせないように、壁へ面を向けて。
「何だ、お見舞いにでも来てくれたの? デモン」
牢の中で鉄鎖に繋がれるのは、一人の女。
全身の切り傷や擦り傷は手当さえされずに放置され、柔肌の上には幾つかの痣さえある。
軽口を叩けているところを見ると、生死に関わる程の状態ではないだろう、が。
その声にある途切れや咽息が、彼女の状態を表していた。
「あの状態で馬鹿やってんじゃねぇよ。お前は自分が何処に居るのか、誰の前に居るかも解らないほど耄碌しちまったのか?」
「もーろくねぇ。私はもーろくするよかえーろくありたいわ」
「既にエロいから安心しろ」
冗談を言い合いながらもデモンは彼女の、ラッカルの足下へと麻布を投げる。
腰元に付けられそうなそれの中には鉄鎖の鍵と彼女の精霊召喚道具が押し込められていた。
それらが指し示すのは、つまり。
「逃げろって?」
「そういうこった」
デモン曰く、既にラッカルは処分する方向で動いているという。
何も殺す訳ではない。何かの材料にする訳でも、四肢を切り取る訳でもない。
ただ力を取り上げる、立場を取り上げ、意志を取り上げる。
それが、最低限彼女を生かすようにとダーテンが望んだが故の采配だった。
「今なら逃げられる。逃げなきゃお前はただの女に成り下がるぜ」
ラッカルは麻布の口を握り締める。
ここで逃げれば自分は仲間を見捨てることになるだろう。
しかし逃げなければ自分はただ無力に流転を眺めるだけの女になるだろう。
「ラッカル、テメェは良い女だ。そこら辺の肉を垂らすだけの女共とは訳が違う」
だから、逃げろ。
デモンは、やはり視線を合わせずにそう吐き捨てた。
ここで死ぬよりは良い。逃げて、再起を狙え。
お前ならそうする事が出来る。お前はそう在るべきだ、と。
「……ううん、やめとくわ」
彼女はデモンへとそれを押し返す。
背中越しに受け取った彼は何故だ、と問うが、答えは返ってこない。
否、或いはその言葉が、答えだったのだろうか。
「私達は何の為の生きてるのかしらね」
獣の口端が、僅かに下がる。
彼は戦人としては賢いが、賢者としては愚劣な男だ。
否、愚直な男故に、気付いたのだろう。
「誰かの為だとか、何かを護りたいだとか。そういうのって大事だわ。私はその為に生きたいとも思おう」
けれどね、と。
「貴方はその為に生きたい?」
それは紛う事なき彼女の選択だった。
しかし、その選択は必ずしも彼女のためだけにあるのではない。
「立派な大義なんて翳すタチじゃないでしょ」
獣は鉄柵から背を離し、歩き出す。
言葉は残さない。視線も、意志も残しはしない。
然れど去り際に投げた麻袋だけは、ラッカルの胸元に残る。
「ケカッ」
否、訂正しよう。
その獣は確かに言葉も視線も、意志も残しはしなかった。
放り投げた麻袋でさえ、彼からすれば残したのではなく、捨て置いたのだろう。
要らない。何もかも、要らない。
暴食は欲すことはするが、望むことは、しない。
いいや、しなく、なった。
「やっぱ良い女だよ、お前は……」
彼は何も残さない。
彼はただ全てを捨て去って。
その先にある全てを、己の牙で、喰らい尽くすのみ。
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