帰国
【サウズ平原】
「ははは、良かったのか悪かったのか……」
木々の影に潜みながら、彼は停止から解放された世界に視線を向ける。
形だけの厳戒態勢を取ってこそいるが、追ってくるつもりはないのだろう。
いや、元よりそれを行えるだけの戦力がない、と言うべきか。
「貴方の目的は果たせたでしょう。半分は成功じゃないですか」
幾分か、自暴自棄に。
否、グラーシャからすれば結果はどうでも良いのだ。
重用なのは過程。信頼の回復という結果ではなく、ヴォーサゴ・ソームンを殺すという過程。
「……これから、どうしますか」
兎も角、これ以上この場には留まれない。
自分達が広範囲への高威力攻撃を行えるのであれば、多少は話も違っただろう。
しかし所詮弱者では、抗えるはずもなく。
「うーむ、私の読みではオロチさんかデュー君辺りが彼女達に襲撃を掛けると思ったんですがね。どうやら一切の妨害無く到着してしまったようですし……」
数秒の思考。
風が嘶く狭間に、彼はぱちりと指を鳴らす。
相変わらずとして半円の眼は開かれることなく、その案の先を見詰めながらに。
「一度戻りますか。現状、我々が取れる手はあっても、取るべき手はない」
「……ただ闇雲に動き回って相手の警戒を強めただけですよ、僕達」
「それでも成果はあった」
バルドは半眼で嘗ての故郷を眺める。
楔は、撃ち込んだ。僅かな氷薄の中へと。
ならば後は待つだけだ、その、崩壊を。
「さぁ、帰りましょう。四天災者達が動き出し、世界は崩壊の序曲を奏でだした。演奏の最高潮までに席に着かなければならない」
この愚耳に聞こえる曲は余りに甘美。
そして余りに美しく、余りに、尊く。
「……尤も、我々は幕上げ係ですがね」
そんな風に、茶化しながら。
彼等は木々の影へと消えていく。
ただ喧騒に塗れたその国を残して。整えられた氷薄に楔を打ち込んで。
仮面が如き笑みと心底で渦巻く憤怒を抱えながら、消えていく。
【サウズ王国】
《城壁外郭》
「…………」
ふと、彼女はその城壁を見上げていた。
いや、残骸の中に立つ柱、とでも言うべきか。
[暴食]達の襲撃によって
崩壊したそれは最早壁と言える物ではない。
それで、それでもだ。彼女からすればその壁は幾年と目を背けてきた物である。
喧騒に湧く兵士達は自分に見向きもしない。当然だ。四年も、離れていたのだから。
「……帰ったか」
それでも、その男は出迎えてくれた。
彼女と等しく、災禍に己を斬り刻まれた男は。
大切な友を、家族を、仲間を、国を失い。
それでもなお、立ち上がり続けた、男は。
「リドラ、さん……」
「……来い。皆、待っている」
「へ? い、いやでも、まだ皆さん待たせてるし……」
「来るんだ」
有無を言わせず、視線さえ合わせずに。
男は四年前より少しだけ伸びた背中を揺らしながら、彼女の前を歩んでいく。
変わり果てた瓦礫の道を。四年前の威厳さは無くなった、小さな国の道を。
「……っ」
怖い。
このまま付いていって、待ち受けるのは何なのだろう。
糾弾か拒絶か、或いは制裁か。
怖い。このまま踵を返して、走り去ってしまいたい。
「……ふー」
いや、駄目だ。
歩むと決めた。真っ直ぐ歩んでいくと決めた。
ならばその為に受け入れよう。例え何が待ち受けていようとも。
自分は、それを受け入れよう。
「……ここだ」
幾つかの住宅街を抜けて、幾人かの視線を抜けて。
その先にあったのは邸宅だった。いつしか見た、いつしか過ごしていた邸宅。
記憶の形そのままを抜き出したかのように、あの時のままの、邸宅。
「これ、は……」
「建て直したんだ。……ここだけは、な」
所詮は模造。その上、持ち主さえ居なくなった邸宅に彼等は入っていく。
懐かしい扉を通り抜けて、想い出の中の廊下さえ歩いて。
ただ、奥にある、嘗て皆の笑顔があった、その一室へと。
「スズカゼさんっ!!」
スズカゼへと飛びついたのは一人の少女。
姉に抱き付く妹のような、ただ無邪気で健気な声を張り上げて。
瞳一杯に溜めた涙と共に、彼女の体へ頬を擦る。
「良かった……、やっと、やっと会えた……!!」
驚愕に焦りながらも、スズカゼはその子を見下ろして顔を覗き込む。
華奢な少女はぼろぼろと流れる大粒の涙を拭おうともせず、彼女の視線に答えるかのように大きく顔を上げた。
瞳や声色ーーー……、そしてその表情。
スズカゼが彼女を思い出すのには、そう時間を要すはずなどなく。
「ミルキー……、様……!?」
その少女は紛れもない、シルカード王国女王、ミルキー・シルカード・フェイデセンツェルだった。
嘗てゼルを見合い相手として大国へ招くも、その国の歴史的騒動が巻き起こり、戦乱に巻き込まれた人物である。
その際にはスズカゼ達も訪れており、予想外の事態に平然と首を突っ込んだ事は、今となっては過去の事だがーーー……。
「ど、どうして貴方がここに……!?」
「彼女達は協力者だ。シャーク国王による計画の、な」
「た、達……?」
リドラの言葉に従うが如く出て来たのは、一人の紳士だった。
本当に、言葉通りの紳士。きっちりと着こなされた礼服や、立派に蓄えられた髭は一目で清潔爽快と解る。
ミルキーは兎も角、こんな男性に覚えはない。幾ら男とは言え、流石のスズカゼもこんな男性を見たら記憶の片隅の端っこの埃に埋もれるぐらいはするはずだが。
「どうも、お久し振りです。私ですよ、メメール・フォッゾンです」
「はぁっ!? あのデっ!!」
ブ、と。流石にその一言は飲み込んだ。
言われて見れば何処か面影がある。面影が、ある、と思う。
四年前、自分が一番始めに訪れた外の国ーーー……、クグルフ国。
嘗てのメメールは今の数倍は腹が出ていて手は脂ぎっており、握手したときには悲鳴さえ上げかけたと言うのに。
いったい四年間で何があったと言うのか。転生でもしたのか、入れ替わりでもしたのか。
「はは、流石に解りにくいですか。ここ最近は国家改変などで忙しく、心労もあって食事が喉を通らず……」
「わ、私達、スズカゼさんが心配でっ……! でも、やっと会えて……!!」
思い思いの言葉を吐き出す彼等を遮る、ぱんっという手拍子の音。
皆がびくりと肩を振るわせ、それを弾けさせた男へ視線をやった。
男はただいつも通りに、相変わらずの猫背のまま、軽く手をやって皆を席へと向かわせる。
「腹が減ったのでな」
彼の言葉と共に台所から出て来たのはメイドだった。
いつも通りの微笑みを浮かべて、その手に鍋を持って。
続くように幾つもの料理を持ってきて、彼女は静かに頭を下げる。
「スズカゼ、手を洗ってこい。うがいをしてこい。靴を揃えて、服を着替えてこい」
いつも通りの、部屋だった。
いつもより少しだけ豪華な食事と、いつもより少しだけ違う面々。
けれどそこは確かに、いつも通りの。
スズカゼが求めた、場所だった。
「……帰って来たら、ただいま、だろう」
それだけで良い。
彼は、リドラはそう言い残し、彼女を待つ。
彼女が手を洗って、うがいをして、靴を揃えて、着替えて。
ただいま、と。そう、言うのを。
「ーーー……っ!」
溢れるものを必死に抑えながら、彼女は奔りだした。
どたどたと騒がしく、四年前の毎朝のように掛けだして。
毎日水を浴びていた場所で手を洗って、うがいをして。
ついさっき通り抜けてきた玄関の靴を揃えて、自分の部屋だった場所で、新調されたであろう衣服達に手足を通して。
また、戻ってきて。
そうして、大きく、精一杯に、息を吸い込んで。
「ただいま帰りましたっ!!」
伸ばしきった背筋と、元気に振り上げられた手。
皆がそんな彼女を見て微笑み、笑い、涙ぐんで。
食事の席へと、皆の元へと、歓迎した。
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