拳戟は大地を裂く
「止めて! 今すぐに彼を止めて!!」
それは絶叫よりも、慟哭に近かった。
オロチへ縋り付くように叫ぶラッカルの瞳は見開かれ、口端は裂けんばかりに開かれている。
当然だろう。精霊憑依の恐ろしさは、自分が誰よりも知っている。
「……無茶を言うな。既に[断罪]の魔力は遙か遠方に飛んでおるわ」
「そういう問題じゃない!! あの魔法は、アレはっ……!!」
精霊憑依、いや、彼にとっては天霊憑依だがーーー……。
恐ろしいのは魔力の減少や自身への負傷などではない。
尤も恐ろしいのは、消えることだ。
自分が、消えること。
「自分の中に他の存在を入れるって事は、そういう事なの……! 精神を蝕み、脳髄を抉られていく。こんな、悍ましい力を、あんな無茶苦茶な使い方っ……!!」
「止めて何になる」
眼光は、終極を捕らう。
この先、如何なる戦況になろうかなど解りはしない。
全能者であるまいし、解るはずなどない。
だが、解る必要などないだろう。
「貴様もここで死ぬつもりか」
天を凱旋する、星。
いったい幾人が気付き、幾人が理解しただろう。
それが空の瞬きなどではなく、空の涙であることに。
「出来るだけ殺すな、とは言われているけれど」
落星。
天を覆い尽くし、豪炎を纏う巨石の数々。
それらはたった一つでさえ、一国を滅ぼしかねない衝撃を生む。
「巻き込む分は、例外よね」
岩崖の上、荘厳に佇む一人の女性。
彼女の振り上げた腕は崩落の合図。終末で楽器が掻き鳴らされるように。
ただ、冷淡に、冷悪に、振り下ろされる。
【大荒野】
「ォぉおおおおおおおおッッッッ!!!」
咆吼、轟音。
メタルの腕は音速さえ超えてダーテンの顔面を殴り飛ばす。
然れど白き獣人はその一撃でさえ止まらず、両脚を踏み込み、巨拳を握り締める。
お返しだとばかりに炸裂する一撃は、幾億の鋼鉄でさえ吹っ飛ばすような、砲弾を軽く凌駕する拳撃だった。
「ーーー……かァッ!!」
「つッ……!!}
同時に、天と地へ鮮血が撒き散らされる。
既に殴り合いを始めて数刻。互いに、星さえも砕きかねない一撃を交差させているというのに。
折れない、砕けない、曲がらない。
骨々が砕けようと、肉々が潰れようとも。
その化け物共は、周囲の全てを滅ぼしながら拳撃を放ち合う。
「どォオオオオしたァダーテンッ!! 鈍ってんぞォォオ!?」
「君が鋭くなってきてるのさ。……早々に倒すべきだったね}
拳撃が、互いの頬を穿つ。
みしりと歪む肉が、双方の首根を捻り曲げんがばかりに潰し合う。
それを振り払ったのは他でもない、再びの、拳撃。
「はっっはァッッ!!」
ダーテンの豪腕が、彼の腹部を穿った。
一切の防御も回避も捨てて、敢えて彼はそれを受けたのである。
無論、そのような無茶が何の被害もなく通るはずなどなく。
彼の口腔から流水のように溢れ出す黒血は、漆黒の外套に光沢を塗りたくる。
「……何を}
手首を、掌握し。
メタルの拳撃が無防御となった獣人の臓腑へと突き刺さる。
骨が砕け、臓腑が潰れる感触。そして、気管を迫り上がる血塊の感触。
純白の体毛を紅色に染めながら、ダーテンは僅かに蹌踉めいた。
然れど倒れない。彼等は未だ、沈まない。
「……ケッ」
「……ふん}
豪腕と拳撃の交差。
幾千幾多、音さえも置き去りにする殴戟。
鮮血が舞い、撃ち抜ける衝撃は波動となりて大地を刻む。
彼等の拳同士の衝突が、容赦なく荒野へと墜撃し、有象無象なまでの地割れを生むのだ。
「っかァッ!!」
刹那、メタルは跳躍する。
自身の拳撃の代わりに回避を選んだのだ。
然れど悪手。獣人であるダーテンの前で一瞬とは言え隙を見せるなど、自殺行為。
「そのままーーー……}
メタルの髪先を掌握し。
地面へと、叩き付ける。
「落ちっ……!?}
重く、堅い。
飛空する相手を引き摺り倒して地面へ叩き付けるだけだ。
どうしてその行為に重圧が掛かるのか。
問うように視線を向けたダーテンが見たのは、亀裂。
空間、無であるはずのその場に突き刺さった、両脚。
「……無茶を}
「悪ィな。常識護ってる暇はねぇんだ」
拳撃は剣閃となりて、軌跡を斬る。
白熊の眼球より一閃、頭蓋を斬り裂く一撃。
万物を絶つ魔剣によるそれは、破砕の暴嵐を伏す。
「それは、僕もだよ}
ダーテンの顔側。
それを盾と称すべきか、鏡と称すべきかは解らない。
然れど確かに、メタルの必殺の斬撃は、止まっていた。
「[反換則]イクチエン……! 三体目……、だと……ッ!!」
「……いいや、四体目さ}
メタルの指先が凍てつき、白銀の氷に縛られていく。
[反換則]イクチエン。万物の法則を捻曲げるダーテンの天霊。
そして今、メタルの肉体を凍てつかせる、イクチエンと同じくダーテンの使霊である[気候神]ウェイザムラフス。
既に彼の肉体へ憑依した[天虚]エンプレス及び[奈崩]スリートも含め、四体の多重憑依だった。
強力無比と言うならば、その通りだ。天霊四体分が一人の集約した存在など驚異という他ない。
驚異と、言う他、ない、はず、なのに。
「…………カハッ」
嗤っていた。
放浪者メタルとしてでの嗤いではない。
四天災者[斬滅]としての、嗤い。
「同族め}
侮蔑するようにではなく、微笑むように。
ダーテンは、四天災者[断罪]は両腕を交差させる。
神聖なる十字架が如く、その豪腕を。
「征くよ、斬滅}
「来いよ、断罪」
閃光さえも、無い。
四天災者[斬滅]、四天災者[断罪]。
彼等の激突は、慟哭は、一つの荒野を、否。
大陸の一角さえもーーー……、変動させる。
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