狭間にあるのは
「さぁ、行きましょうか。グラーシャ君」
衣服の汚れを軽く払いながら、彼はそう述べた。
その足下に転がる少女になど目もくれずに。
或いは、その腕を伝う鮮血になど、目もくれずに。
「……殺さないんですか? その子は」
「一時期は我が子として、部下として成長を見守っていた子だ。殺すなどと冷血なことは出来ないよ」
冷血?
思わず問うてしまいそうな、或いはそうするはずも無いけれど、鼻で笑ってしまいそうにさえ、なる。
冷たい以前に、貴方に血があるのですか。
そう問えないのは自分の性格故だろう。不甲斐ない故だろう。
けれど、何故かーーー……、問うてはいけない、と。そう思えた。
「もう少し歩けばサウズ王国に着くからね。空間転移は使えないそこそこ歩くけど、大丈夫かな?」
「……その前に、聞きたい。貴方はどうして彼女がここに来ることを?」
多分、通じる物があったという事は解る。
彼にとってこの子はきっと言葉以上の存在なのだろうと思う。
組織からの信頼を回復するためにという前提で来ているのに、殺さないのが何よりの証拠だ。
「うん、ファナにも言っていたけれどね。私と彼女は似ているんだよ。弱さや、脆さとかがね。だから私はその差を教えるのと、警告を述べるために来た。そして彼女はそれを聞くために来た」
「……そうなんです、か」
「あぁ、そうだとも。強いて付け足すならーーー……」
鮮血伝う腕に純白の包帯を巻き付けながら、彼は歩き出す。
その表情は依然変わらずして硝子細工に等しき笑顔だった。
仮面のようなではなく、仮面の、笑顔だった。
「このままで居るのなら、もう関わるべきじゃない。……かな?」
この言葉は自分に向けられた物ではない。
グラーシャはそう解すと共に、彼の足下を見る。
少女は体こそ動いていない。しかし、意識はあるはずだ。
いや、彼がそうしたのだろう。全身を動かせるだけの血を抜かせ、意識を保たせるだけ、保たせたのだ。
何と惨い。殺すよりも余程、惨い。
「君の父親も恐らく既にサウズ王国へ合流しているだろう。問題はデモン達を退けたニルヴァー・ベルグーンな訳だけれど……」
「いえ、ニルヴァー・ベルグーンは問題じゃないです。真正面から戦うような型じゃない、僕には」
僅かに、彼の周囲が揺らぐ。
それは覚悟の眼差しか、或いは憤怒か。
「……あぁ、[憤怒]」
ふと、バルドはそう呟いた。
所詮は模擬的な立場だ。余り物でも付けられたのかと思っていたが。
成る程、道理で自分に[嫉妬]、彼に[憤怒]と名付けられる訳だ。
随分と皮肉の効いた、話ではないか。
「嫌いじゃ、ありませんがね……」
バルドは再び歩き出す。
足下に転がる少女に視線などくれてやるはずもなく。
ただ、心の底に憤怒を抱えた、男と共に。
「…………!」
故に、気付けなかったのだろう。
或いは彼が強者であるのならば、気付けたのかも知れない。
いや、彼が四年という成長を加味できる人間であれば、気付けたかも知れない。
例えその少女が地に伏そうと諦めに沈まない、強固な意志を持っていた事を。
「かっ……!」
バルドの脇腹が、皮肉にもファナと同じ場所が白炎に貫かれる。
最早四肢どころか指先さえ動かせなかったはずの少女が、放ったのだ。
その一撃を、執念の元に、撃ち放ったのである。
「は、ははは……! 貫き通すものはあったという事かな……!!」
蹌踉めきながら、彼は傷口を押さえ込んだ。
臓腑が抉られている。骨々さえ、焼き喰われている。
先程までの迷いはないーーー……、本気で、殺す為の一撃だ。
「これでこそ、来た甲斐があるというもの……!」
彼は槍を召喚すると共に踵を返し、踏み込みを行う、が。
直後、彼の両腕は白炎の砲撃により消し飛んだ。
追随するが如く片足、右胸、頭蓋骨。倒れる間もなく、全身が。
「ぁ、がっ……!」
残された、片目だけが。
その姿を、見る。
地に伏しながら、片手を伸ばす、姿だけが。
「……漸く、かな」
彼の脳髄から首根までが、吹き飛んだ。
肉体全てが、白き炎の牙に喰い尽くされた。
バルド・ローゼフォン。その男は仮面を被ったまま、刹那にして死したのだ。
「黄昏の劫刻」
バルドは再び歩き出す。
足下に転がる少女に視線などくれてやるはずもなく。
ただ、心の底に静寂を抱えた、男と共に。
「…………!」
直後、グラーシャは踵を軸に回転し、バルドを蹴り飛ばした。
彼が驚く間もなくしてその軌跡を白き炎が喰らう。
砲撃を放った少女は、突き飛ばされた男よりも驚愕に眼を見開いていた。
何故だ。確実に、隙を突いた。頭の後ろに眼でも付いてなければ避けられるはずなど、ないのに。
「……助かったよ、グラーシャ君」
バルドは蹌踉めきながら立ち上がる。
どうやら彼自身も少なからず体力を消耗しているらしい。
このまま背を向けて、砲撃を避けながら歩く道化を演じるだけの余裕は、ないだろう。
「まぁ、仕方ないかな」
直後、ファナの四肢を白銀の刃が貫き、大地と縫い合わせる。
潰れるような苦痛の声が響き渡る隙間さえなく、彼女の自由は奪い去られた。
ただその憎悪に満ちた眼光だけを残し、全てを奪われたのだ。
「……手間を掛けましたね。行きましょう、グラーシャ君」
その背を睨むのは双眼。
憎悪に満ちた、眼。ただ睨むしか出来ない、無力な、弱者の眼。
「成すべき事は、成しましたから」
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