仮面と白炎
「良いかい、ファナ」
回録。
それは少女の記憶か、或いは男の記憶か。
孰れにせよ、それは過去だった。
家族を失った少女と、それを引き取った男の、過去だった。
「何事も貫き通すことが大事だよ。例えそれが誰に認められなくても、そうするだけの力が無くてもね」
「……貫き通せなければ、どうするの?」
少女の素朴な疑問に、男は彼女の頭を撫でて見せた。
水面へ波紋を起こさぬ様になぞるが如く、とても柔らかく、優しい手付きで。
ただ、包み込むように。
「その時は、きっとーーー……」
それは回録である。
過去の記憶であり、現世の姿ではない。
嘗てあった光景であり、今ある景色ではない。
そしてそれは、未来に有り得る姿でも、無いのだろう。
「さぁ、どうする? ファナ」
首筋に感じる殺意の切っ先。
白刃が首に当たっている訳ではない。
然れど、純然なる殺意が首筋を捕らえている。
気を抜けば鮮血が舞う。そう確信出来るだけの、殺意が。
「このまま互いに放ち合えば双方とも無事では済まないだろう。かといって退けば不利になるのは私だけだ」
だから私は退かないよ。
そう述べる男の脚は、確かに回避や防御を取る為の構えではない。
その場に踏み止まる為だけの、或いは反撃の為だけの構えだ。
ここで死すことさえ見通した、構えだ。
「……貴様の目的は何だ、バルド・ローゼフォン」
ファナは殺意の狭間に問い掛けを選んだ。
魔力の収束は止めない。バルドもまた刃を退くことはない。
然れど言葉ならば、と。彼女はそれを選択した。
選択した、が。
「無駄だよ、それはね」
刹那。
彼女の顎先が切り裂かれる。
空を舞う紅血が大地へ散りばめられた直後。
バルドの腕先を白炎が切り裂き、皮膚さえも焼き裂いた。
「ッ…………!?」
「この距離でも仕留められない、か。……互いにね」
仮面は依然変わらずして、双腕の指先に六本の槍を召喚す。
彼は一切の距離を開かない。火傷により皮が剥げた片腕さえも庇わない。
六本の、何の変哲もない槍。それを携えたままに次弾を収束する少女へと突貫する。
「このッ……!!」
降り注ぐ閃光。一閃の白焔。
射線を逸らす等と言う、甘えた行為が出来るほど余裕は無かった。
ファナが殆ど無造作に放ったそれはバルドの胸元に向く、が。
まず一本。槍一つ犠牲にした防御。
投擲ではない。文字通り捨て身の盾として、槍を犠牲にしたのだ。
「理解しているんだろう?」
幾ら砲撃を放とうと、全て弾かれる。
一発、二本目。一発、三本目。一発、四本目。
次第に詰められていく距離。その度に焼け果てる槍。
失っていくのはバルドだ。ファナの一撃一撃は確実に彼の槍を消している。
だと言うのに、切迫するのは彼女の表情だった。
一歩狭まる度に息が切れる。一身縮む度に眼が開かれる。
何故だ、何故当たらない? 何故だ、何故撃てない?
何故、何故、何故ーーー……?
「私達は弱いんだよ」
最後の、一本。
これを焼き尽くして再び距離を取る。
バルドと接近戦はマズい。武器召喚という、死角を突く術に長ける相手とは。
それに対し自分は威力に長ける中距離、遠距離特化の魔術だ。
距離さえ取れれば、再起の機会は、ある。
「けれど私と君の間には決定的な違いがある」
最後の槍が、消し飛んだ。
ファナは同時に距離を取ろうと片足を退いた、が。
その脚を貫く、一本の切っ先があった。
「ッ……!!」
自身が知る限り以上の、召喚精度。
ファナは予想を遙かに上回れたが故に、刹那の失速を見せてしまう。
命取りとなるには充分過ぎるだろう。しかし、奥の手は、ある。
「白炎連鎖ッッッ!!」
吹き上がる白き爆炎。
自身の流血を通した魔力による強大な一撃。
嘗てのそれよりも磨き上げられた白炎は天を劈き、雲を散らす。
例え如何に防御を固めようと、その上から焼き尽くす一撃だ。
武器風情を幾ら召喚したとしても、この一撃は、決して。
「違いを教えよう」
誰も、居なかった。
真正面から愚直に突っ込んで来ているはずの男は。
槍一本の灰燼だけを残し、消えていたのだ。
文字通り影も形も無く、消えていたのだ。
少女の脇腹にーーー……、一刃を残して。
「ぁ、がッ…………!?」
誰も、居ない。
真正面から愚直に突っ込んできた男さえ、居ない。
だと言うのに、彼女の脇腹には刃が刺さっていた。
何も無いはずの空間から突き出された腕先に握られし、刃によって。
「それはね、覚悟だよ」
空間転移。
何も存在しないはずの空間から、彼が出現した理由だ。
何という事はない、武器の代わりに自分を召喚しただけのこと。
ただ、それが彼が持つ奥の手だということ。
バルド・ローゼフォン個人が持ち得る、最大の魔法という、だけのこと。
「我々は弱者だ。いいや、私はきっと真正面から戦えば君にも、当然スズカゼ・クレハやメイアウス女王にも勝てないだろう」
骨を裂き、肉を抉られる感触。
そんな、傷口から溢れる鮮血は男の腕を伝っていく。
彼の焼け焦げた腕に混じるように、伝っていく。
「それでも私は戦うんだよ。目的の為に、理念の為に。……何もかもを犠牲にして、強者に食らいつくのさ」
白炎が、炸裂する。
自身さえも巻き込みかねない一撃。
下手をすれば自殺に等しい行為だっただろう。
それでもファナは一刻も早くそれから離れたかった。刹那さえ、惜しかった。
「解るだろう、ファナ」
同じ弱者だというのに。
長き時を共に過ごしてきたというのに。
家族であった時さえ、あるというのに。
「君が、弱い理由が」
こんなにも、遠いーーー……。
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