硝子の狭間から
【スノウフ国】
《大聖堂・模擬戦室》
「シャガル王国の侵攻して来てる上に、それを迎撃する……!?」
切迫した声を前に、部下達へ困惑の色が広がっていく。
確かに四大国条約は四年前のベルルークによる大戦で破棄されたような物だ。
さらにサウズ王国の国力低下も含めれば既に破棄されていると言っても良い。
だからシャガル王国の侵攻は解らないでもないーーー……、戦力の違いを考えなければ、だが。
「我々にも出動命令が出ています……。どうしますか、副団長」
「どうしますか、って……」
ラッカルは思わず口端を噤む。
現状、この国の戦力を見れば聖堂騎士団など塵芥に等しい。
だが、それ以上にシャガル王国の戦力から考えればこの戦いは間違いなく蹂躙になる。
誰一人として得る物のない、蹂躙。そしてその結果が導くのは大国の終焉だ。
この国が全てを支配するーーー……、奴等の目的の手助けに、なる。
「っ……」
けれど、だけれど。
彼等の侵攻をこのまま放置すれば、被害を受けるのはこの国だ。
幾ら奴等が強いとは言え、それはあくまで破壊的な暴力でしかない。
ご丁寧に兵士一人さえ逃がさず潰せるという物ではないのだ。
残った兵士が何人であれ、彼等はこの国を攻めるだろう。
略奪し、強奪し、凶奪するだろう。
「……私は」
選ぶしかない。
無益な戦いで敵味方を傷付けるか。
この国を危険に晒し、仲間が、家族が傷付くのを見るのか。
「私はっ……!」
彼女は選択を迫られる。
最早、形骸だけが残るこの組織に残された彼女は。
苦悩し、悔苦し、それでもなお選ばなければならない彼女は。
ただ、その選択肢を前にーーー……。
【サウズ平原】
「と、まぁ、今スノウフ国ではこんな事になっているでしょう」
にこやかに笑みながら、彼はそう述べた。
いいや、笑むと言うよりは仮面がその形であると言うべきか。
呑気に歩く彼等の様からすれば相応しいとも言える、が。
隣歩するグラーシャにはその笑みがどうしても造り物のような気がしてならない。
いや、事実そうなのだろう。彼の笑みは、違い無く造り物だ。
「なので我々の行動に世界の視線は向きません。要するにのんびりやれる、という事ですね」
「……の、割りにはここまでアレを使って来ましたけど」
「はは、耳が痛い」
誤魔化しの中にも、やはり笑みはない。
この男は何処まで作られているのだろう。
口か、顔か、体か、心か、魂か。
いいや全てがーーー……、この人の全てが、螺旋仕掛けの人形ではないのだろうか。
今、この人に水を被せれば生々しい硝子が現れるのではないか、と。
何処までも武骨で何処までも鬱陶しい程に眩しい色が塗られた硝子が、照り輝くのではないか、と。
そう、思えて仕方無い。
「まぁ、言い訳をするなら……、そう。今しか片付けられないことを、片付けておきたかったんですよ。それが信頼の回復に繋がるなら、やらない理由はない」
そうだとは思いませんか、と。
彼は問いながら自身の手に一本の槍を召喚する。
踵は返さない。自身の背後に居るグラーシャに視線を合わせる事はない。
否、合わせるはずなどないのだ。グラーシャもまた、その先を見ている。
草原に一人佇む少女を。桃色の頭髪を揺らす、一人の少女を。
「やぁ、ファナ。久しいね」
四年振りかな。
そう続く言葉を前にしようと彼女は何も言わない。
桃色の髪先を揺らしながら、その者と対峙するだけだ。
両腕に殺意の権化とも言えるであろう、魔力を収束させながら。
「聞いたよ。デモンやヌエ、道化師を退けたんだってね? まぁ、ニルヴァー・ベルグーンによる功績の方が多かったみたいだけど……」
「…………」
「……何とか言って欲しいね。寂しいじゃないか」
重々しく。
鉄鎖で縛られたかのような口端は、開く。
風に靡いた髪先から除く殺意の眼光と共に。
「今更、何をしに来た……!!」
四年前、この国を裏切っておきながら。
幾人もの仲間を、部下を、民をーーー……、獣人達を死に追い込んでおきながら。
今更、何をしに来たというのだ。
「まだ奪うのか? あの国から、まだ……!」
「あぁ、それが必要とあらば」
にこやかに、硝子細工は笑顔を作る。
慟哭はそれを砕かんばかりに砲撃を放つが、硝子は軽々しく回避して見せた。
いや、それを軽々しくなどと呼ぶべきではない。
その身一つ回せば一切擦らず回避出来たものを、硝子は敢えて首を軽く流すだけで回避したのだ。
あと薄皮一枚逸れていれば片耳が吹っ飛んだであろう、刹那で。
「……私がここに来たのはね、ファナ。君と同じ理由さ」
幾千幾多の砲撃が、彼を襲う。
然れど一撃さえ直撃しない。毛先一本、薄皮一枚、衣面一糸。
当たらない。当たらない、当たらない。
「ッ……!」
グラーシャはその光景を前に、息を呑んで見詰めるばかりだった。
彼は、バルドはただ歩いているだけだ。何の変哲もない槍を手に、庭先でも歩くかのような歩幅と速度で少女に迫っているだけだ。
だと言うのに、正面から降り注ぐ閃光は一つとして彼を捕らえない。
いいや、違う。彼を、避けている。
「サウズ王国で待ち構えていたなら私に勝てただろう。仲間と共に戦えば傷を負うことさえ無かったかも知れない。……それでも君はここに来た、一人でね」
槍の切っ先が、ファナの首根へ向けられる。
同時に彼女の魔力を収束した掌がバルドの頭蓋へ向けられる、が。
それが直撃する事はない、と。ファナは一種の確信を持っていた。
直撃させられるはずなどない、と。
「……自己満足、だろう?」
硝子の笑みの狭間から除く、嗤い。
仮面の中にある牙は誰を笑うか。
己か、小娘か、運命か。
それとも、また別の何かかーーー……。
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