黒騎士と悪辣者
【スノウフ国】
《大聖堂・大会議室》
「[嫉妬]と[憤怒]が勝手にサウズ王国に侵攻しておる」
呆れ果てもせず、或いは怒りもせずに。
オロチは坦々と述べる。豪椅子に座し、眉根を歪めながら。
組織の二名を除く面々を前にして、だ。
「……だが計画に支障はねぇ。だろ?」
「その通りだ、[怠惰]。奴等は単純な戦力としては少しばかり劣るのでな」
「よく言うぜ。アイツ等だけでも小国程度なら滅ぼせる」
[怠惰]ユキバは脚を放り出し、机の上に乗せてだらんと頭を投げ出した。
彼の反転した視界で、僅かに道化師の顔が映るが、彼の表情が変わることはない。
いいや、変わるはずなどないのだ。もう一度調整し治した、その機械人間が。
「それよりも問題はシャガル王国じゃないかしら? 彼等なら心配ないけれど、このまま攻め込まれたら双方に被害が出ちゃうわ」
「レヴィアの言う通り、目下成すべきはシャガル王国とギルド残党の連合軍の撃退になる」
「数人でも向かえば終いだろう。だがオロチ、我とヌエは手を貸さんぞ」
ヴォルグの言葉に、場が一瞬凍り付く。
然れどオロチとレヴィアは何ら変わらぬ表情で、いや、苦笑さえ含みながらそれを承諾した。
解っておるわ怠け者め、と。オロチはそんな憎まれ口さえ叩きながら。
「シャガル王国の殲滅には儂とデュー、ダリオで向かう」
「…………」
応答の言葉は、ない。
知り得る限り最も忠誠高かったはずの黒騎士は、何も言わない。
黒き兜の双眸さえ何も応えず、何も述べず。
「……返事はどうした、デュー・ラハン」
「今一度、機会を貰えませんか」
「機会だと?」
「四天災者[斬滅]、若しくは[災禍の]……、いえ、[獣人の姫]スズカゼ・クレハを抹殺する機会を、今一度」
小石を沼に投げ入れたかのような静寂だった。
一度はざわつこうと、誰もが同じ結論に到り、静まり返る。
沼のへどろに飲まれる意思のように、深々と。
「……デューよ、解っておろうが。貴様では、否、儂等でさえ四天災者と真正面から撃ち合って勝てる保障はない。無論、スズカゼ・クレハは今、その四天災者と共に行動しておる。どのみち小娘を殺すとなれば戦闘は避けられん」
「方法はあります」
「あの小娘は如何に貴様等であれど最早折れはせぬ。猛毒への抗体さえ作ってしもうたでな」
「[天霊化]すれば、良い」
沼に沈んだ小石は、浮き上がる。
沈むはずだったそれは泡沫が如く。
皆の中に、波紋を投げかける。
「解っておるのか? それは」
「人間として、個としての顕現ではなく、[天霊]としての自己召喚。天霊本来の力を存分に出し切る代わりに自己が持ち得る魔力全てを消費する……。でしょう?」
「……平たく言えば死じゃぞ、それは」
天霊とは魔力の集合体だ。
それが自身を召喚して消費し尽くす、ということは。
ただ己を個として現世に置くだけではないーーー……、存在せぬ肉体を自身で喰らい尽くすということ。
天霊にとって、魂を捧げるに等しい所行。
「だが、それに見合った力は得られる」
「ならん、認めぬ。ここで戦力を失うことに何の意味がある。意地を捨てろ、デューよ。我等が理想郷を前にして死すつもりか」
「道に背く事の、何が生ですか」
理解している。
現状のまま、彼等に対して毒たり得ぬ自分の勝率など無に等しいことを。
天霊化してもなお五割、否、四割に到れば奇跡であることを。
それでも、それでもだ。
己のやり損ねた事から、精霊のための、天霊のためにあるべき世界の為に成し損ねた事から目を背けるなど。
出来るはずなど、ないのだ。
「俺は死の生より、生の死を選びます」
漆黒の騎士は円卓に手を着き、立ち上がる。
続いて返される踵を、或いはその背を止める者は居ない。
止められるはずがないのだ。その者の暴走を。
或いは、覚悟という決死の道を。
「…………」
きっと、もうこの組織に戻る事は出来ないのだろう。
漆黒の騎士はある種の確信を持って、空間を後にした。
今自分が行っていることは組織の枠組みを逸脱した自己満足だ。
それを行ったとして組織に利益が出こそすれ、損失になる可能性の方が遙かに高い。
それでも成さねばならない。自分が生きる為に、この後の世界の為に。
「にゅふふーん」
ふと、そんな彼の背にもたれ掛かる一人女性。
何やら気抜けた笑い声と共に、彼女は漆黒の騎士へと抱き付いたのだ。
誰よりも悪辣であり、誰よりも[強欲]なその女は。
「……ダリオ、君まで」
「いや、だって気に入らないじゃん? ホントはポッキリ折れて全部終わるはずだったのにさぁ? 何か急に立ち直って無茶苦茶にされるとか」
「そういうのじゃなくて、今回のは……」
「だーかーらーさー」
にししっと嗤いながら、彼女は漆黒の兜へ唇を近付ける。
貴方を困らせるのは私の役目だ、と。
冥界の幽霊ーーー……、略して冥霊。
既に死した私だからこそ。
元の姿を持たぬ、死の中に生きる私だからこそ、成せる事がある。
「真正面から殴り合うのは結構。けどさ、やっぱり悪には悪の生き方ってのがあるじゃん?」
その者、ダリオ・タンター。
スズカゼ・クレハだけではない、大国一つを騙し続けた者。
己の姿を持たぬ、悪辣者。
「私達は二人で冥霊。だったら最期までーーー……、ね?」
読んでいただきありがとうございました




