不義者達は我道を征く
【スノウフ国】
《大聖堂・廊下》
「……そうですか、メイアウス女王が生存していましたか」
仮面が如き笑顔は未だ変わらず、窓から差し込む白光を受ける。
謀叛の主が生存していたというのに、それでも男の表情は変わらない。
否、変わるはずなどない。その仮面が、歪むはずなど。
「ふむ、君の父親も生存していたようですね。グラーシャ君」
「……えぇ、はい」
「ははは、[嫉妬]と[憤怒]なんて似合わない称号を付けられた者同士、厄介な身内に悩まされるようだ」
渇いた革靴の音が、止まった。
彼は踵を返しながら、半月のように笑顔を作る眼をグラーシャへと向ける。
その姿は余りにおぞましく、或いは恐ろしく。
故に何処までも沈むように、その中に光はない。
「組織内部での我々の信頼は失墜している。解りますね、グラーシャ君」
「……死んだはずの身内が互いに生きていた身ですから。それでも私より貴方の方が、立場は面倒なのでは?」
「えぇ、その通り。貴方の父、ヴォーサゴ・ソームンはあくまで計画に邪魔だった一障害でしかないが、私の元主は計画阻止者たる存在だ」
ならばどうするか、と。
組織の信頼を失いかけた彼等が如何なる行動を取るか。
簡単な話だ。全ての根下を潰せば、良い。
「……し、しかし、サウズ王国は」
「えぇ、一度はデモンさん達が襲撃を失敗させました。何でもニルヴァー・ベルグーンの救援が原因だとか……」
「だとすれば、です。ヌエさんやデモンさん、道化師さん達が失敗した時点で私達だけで襲撃しても意味は……」
「ありますよ? 私ならば、ね」
彼は自身の眉間を指差し、私は猛毒だと呟いた。
この組織には薬になるが、あの国には猛毒だ、と。
それは事実だろう。この男はあの国の全てを知っている。
サウズという王国の継ぎ目も、脆部も。
「まぁ、意趣返しと言うよりは意趣真似です。オロチさんがスズカゼ・クレハにデュー君やダリオさんを仕向けたように」
「つまり……、溺め手を?」
「えぇ、私達は弱いですから」
そう笑む男は、確かに弱者だった。
真正面から戦えば、きっとこの組織で最弱であろう。
故に卑怯で卑屈で卑悪。故に謀略、計謀、詭謀を巡らせる。
最弱故に、ただ仮面を被るしか脳のない道化のように。
「抗いましょう、グラーシャ君」
グラーシャの背筋が、僅かに凍った気がした。
それが本当に凍てついたのであれば、どれ程安堵出来ただろう。
僅かにしか凍てつかないという事が、逆に、恐ろしく。
「我々のような弱者だからこそ……、出来るはずだ」
バルド・ローゼフォン。
この組織の中で唯一、目的を明確にしない男。
だからこそ、疑問に思う。彼は何を望むのだろうか、と。
ツキガミが魂の生き様を望むように、ハリストスが有終の美を望むように、オロチ達、天霊が精霊の世界を望むように、デモンが闘争の世界を望むように、ユキバが果てなき未知を望むように、ダーテンがフェベッツェの蘇生を望むように。
自分がたった一度のやり直しを望むように。
この男は、何を望むのだろうか。
「貴方は……」
問うべきではない。
「……いえ」
この男の、闇に沈むかのような、否、闇よりも深い眼。
余りに悍ましく、恐ろしい。余りにも暗く、黒い。
その深淵の源が、底なし沼の根源が何であるのか、など。
問うて返ってくる答えを、理解すべきではないのだろう。
「何でも、ありません」
グラーシャは首根を下げ、瞼を閉じた。
今は彼を信じよう。例えそれが深淵だろうと、底なし沼であろうと。
自分には確たる目的があるのだ。過去の、たった一瞬をやり直すという目的が。
その為ならばーーー……、仲間を見捨て、悪にさえ染まると決めたのだから。
「ならば、結構」
バルドはいつも通りの微笑みを浮かべ、半身を返す。
再び空虚な廊下に響き渡る革靴の音を耳に、彼等は征く。
一人は己の不義の地へ、一人は後悔の象徴が居る地へと。
赦されざる、大罪共達は。
【???】
《???・???》
「……遂に動いた、か」
彼等は、ただその場に居た。
果て無き荒野、世界から見捨てられたその場所に。
幾千幾多の瓦礫が積み重なったその場所に、座しながら。
「俺は契約通りに動く。……貴様は、どうするつもりだ」
「私も動かざるを得ないだろう。時が来た……、そう言うより他あるまい」
「ふん、忠義もここまで征けば狂気だな」
隻腕の男が放り投げたのは一本の剣だった。
元よりその者が持つ名刀より遙かに逸したーーー……、恐らく国一つでさえ動かすであろう、神作。
「……豪華な、豪華過ぎる見送りだ。鍛錬に付き合って貰った上にこれでは一生涯掛けても礼を返せんな」
「高が勘を取り戻す為だけの模擬戦を鍛錬とは言わん。阿呆が」
男は忌々しく吐き捨て、懐から煙草を取り出して最後の一本を咥え込む。
空になった煙草箱は捨て去られ、瓦礫の中を転がっていった。
いいや、この大陸の中で唯一残った大地の上を転がっていった、と言うべきか。
「流転の世界、か。一度はその渦より逃げた身でありながら、再び飛び込むか」
「その為の泥舟はこの一年で積み立てた。無論、共に沈むための道連れもな」
「……全く、やはり貴様は狂者だ」
「貴様にだけは言われたくないな」
荒野に一陣の風が吹き抜ける。
その風が吹き終わる頃にはもう、彼等の姿はないだろう。
この流れ征く世界で、立ち止まる暇などあるはずもないのだから。
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