少女が犠牲にしてきたもの
「……!?」
ただ、困惑。
何が起きているのかスズカゼには解らなかった。
疾うに死んだはずの者達が今、自分の前に立っている。
護ってくれるように、立ってくれている。
「永かったわ」
イトーは踵を返し、彼女の前に膝を折る。
少女の掌は震えるように、鮮血に塗れた頬を伝い撫でた。
涙を流しながら、決して償えぬ罪に涙を流しながら、伝い撫でたのだ。
「聖死の司書を創り、対策兵器の思想に年数を重ね、世界の抑止力に協力を仰ぎ、器と接触し、その身に私の因子を埋め込み、ツキガミへ適応率を上げる為に残骸を混入させたーーー……」
イトーは、全て一つの為だけに動いていた。
己を召喚、変換した者達への復讐。
その者達の目的を阻止する為だけの、復讐。
「私は、スズカゼちゃんを利用したの」
スズカゼの頬を伝い撫でる掌は、肩へと伸びて。
その身を静かに抱き締める。抱き締めざるを、得なかった。
「私の因子により貴方は性癖や身体能力が変貌していった。貴方という人間を、私は歪めていったの」
彼女の計画の歯車が狂ったのはゼル・デビットの行動だった。
全て順調に行っていた彼女の計画が、狂ったのは。
スズカゼ・クレハを犠牲にし、その身に宿ったツキガミごと彼女を殺すという計画が、狂ったのは。
「貴方には恨む資格がある。呪う資格がある。憎む資格がある」
結果、全ての計画は気泡に帰した。
ただ、今動いているのは泡沫でしかない。
全てが弾ける前の僅かな泡沫。水面に上がり逝くだけの、泡沫。
「全てが終わった後、私を殺しても良い。けれど、今だけはーーー……」
その身を抱き締める腕に、一層力が込められる。
彼女への同情ではない。ただ、贖罪のためだけに。
「協力して、頂戴」
彼女の独白が終わると共に、スズカゼの傷は治癒し切る。
幾つもの裂傷も、枯渇し切った魔力も、その球体の中で、漸く。
そして間を置く事もなく彼女は少女の抱擁を解くように立ち上がる。
けれど決してその手を離そうとは、せず。
「……正直、赦す云々はどうでも良いんです」
言ってしまえば、イトーがやっていた事はオロチと何ら変わらない。
目的や結論こそ違えど、結局は自分を利用して何かを成そうとしていただけだ。
その過程にある犠牲や意味など理解しようともしない。
いいや、理解した上で、踏みにじっている。
「誰が悪いだとか、自分が弱いだとか、何も出来ないだとかーーー……」
何度も悩んで、何度も悔やんで。
挙げ句の果てに背中まで、押して貰ったのだから。
投げつけられる悪意に、叫びつけられる憎悪に、喚きつけられる怨恨に。
立ち止まることはもう、無いから。
「そんなモンはどうでも良いんです」
彼女は歩む。
その先、人間である事を捨てた化け物達に並び。
彼女は決意を背に宿すのだ。人間を捨てた自己を、スズカゼ・クレハを保つ自己を。
決して剣を捨てぬと誓った、決して立ち止まらないと誓った、自己を。
「私はただ、歩むだけだ」
刹那。
彼女の眼前に降り立つ、二つの影。
「それは結構」
{だが砕くぞ、その歩み}
顕現する黒闇の雷雲。
黄金の閃光を滾らせ、万物を喰らう牙となり。
その一撃は天より無慈悲に降り注ぐ。
{愚天の奏者}
雷鳴は砲弾となりて、彼女の眼を覆う。
骨欠一片すら残さぬ絶対刹那の雷撃。
一撃でさえ真正面から受けるには余りに重く、往なすには鋭く。
「チカチカ眩しいだろーが」
然れどその一撃は剣閃の元に容易く斬り伏せられる。
ヴォルグとてそれは承知の上だ。例え一つの森々を吹き飛ばす一撃だろうが、奴等を殺すには到らない。
本命はこの虫払いではない。この、背後。
「皇王の全芒」
ヴォルグの背後より影を落とす、一撃。
全能者、またの名を全属性掌握者ーーー……。
全ての属性を掌握する者のみが仕える、万物を統べる皇の魔。
「さぁ、どう受けます? 五属性統融の一撃です」
魔力の一撃への対抗策は二つある。
一つ、属性に叛する属性、即ち火ならば水を、水ならば雷を、雷ならば岩を、岩ならば風を、風ならば火を持って制すこと。
一つ、その魔力以上の魔力を衝突させ、相殺させること。
単純に有り得るのは後者だ。しかし、全能者たるハリストスの魔力を上回るなど、居るはずがーーー……。
「高がこの程度で?」
指先、一本。
「……あはは、本当に」
世界さえ貫く一撃は。
万人の、否、億人の魔術魔法を凌駕する一撃は。
たった指先一本で、弾き飛ばされる。
「化け物だ」
幾多の魔術魔法が入り交じり、事象限界という名の亀裂が世界を奔る。
消滅の輝きの中、残ったのは全能者の微笑みだった。
ここは退きましょう、と。然れど次に会うのはそう遠くありませんよ、と。
言葉なくしてそう語る、微笑み。
「……忌々しい」
衝撃の滅光の果て。
その者達の姿はいつの間にか消え去っていた。
メイアウスはそれを確認するまでも無く、イトー達に視線で合図を送る。
最早崩壊は免れぬこの世界から去るべきだ、と。
そして者達はそれに抗うはずもなく、次元の裂け目から姿を消した。
ただ一つーーー……、忌々しき笑みという爪痕を、残して。
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