一撃に賭けて
{渇きし大地の羨望ッッッッッ!!}
大地が躍動し、黄土の岩盤が幾億の大刃と成りて彼女を襲う。
その破壊力は崩壊と称すに相応しく、着地さえも赦されぬ程の連撃。
スズカゼもまた刹那として大地を蹴り上げようと、幾多の連撃の中で息をつく間もなく、視線の最中を飛び回るしかない。
「このッ……!!」
紅蓮纏いし剣がその巨漢に迫る、一瞬。
岩拳が一身を穿ちて破砕を叩き付ける。
衝撃に圧殺されしスズカゼはそのまま大地の中を二転、三転し、抉り返ったその場で放り込まれると共に、オロチの掌が閉じる。
その合図は即ち、岩牙にして喰尽する指令となる。
{教えてやろう、小娘}
剛脚が大地を砕き、歩む。
その者の四肢は鋼鉄より堅く、その者の意思は万物より揺らがず。
大地を支配せし天霊、オロチ。決して揺らがぬ不屈の者。
{貴様が何年耐えただの、どれだけの怨みを持っているかだの、幾多の困難を超えただのーーー……}
怒気に歪み、阿修羅が如く食い縛られた牙。
小指より折りたたまれる拳はやがて親指によって封じられる。
掌の中に、全てを握り込めるかのように。
{そんな物、我々に比べれば些細事に……}
構える。
最早、疑似的とは言え神と成った者に手加減は不要。
四肢をもいででも連れ帰り、次こそは確実に幽閉しよう。
最悪、次の器を用意することさえ、考慮しよう。
{……いや、違うな}
そんな面倒な事を考えているはずがない。
オロチは自身の脳裏に問うて、容易い答えを生み出す。
違う、言い訳がましい事は捨てたはずだ。己の中にあるのは、ただ憤怒。
狂った歯車への憤怒、些細な羽虫共への憤怒、ーーー……無力な己への憤怒。
解っているだろう。小事を考えてどうにかなる訳ではない、と。
{この憤怒、何処へぶつける物なのやら……}
直後、オロチの言葉を掻き裂く紅蓮の刃。
対する彼は握り締めた拳を全力で、一切の躊躇無くその刃へと放ち撃った。
激突。紅蓮と拳撃の、破壊と崩壊の激突。
衝撃波さえもが周囲に裂傷を刻み、空間に亀裂を走らせる。
最早、周囲は大地だ何だと称すには烏滸がましい程に砕け果て、死の荒野のようにさえ、見えた。
{……そうさな、貴様にぶつければ良い}
「八つ当たり上等って事ですかね……!?」
{然り。恨めよ、スズカゼ・クレハ。貴様は勝手にこの世界に連れてこられて勝手に試練を与えられて勝手に苦しまされて勝手に器となった。恨め、恨むが良い。貴様にはその資格がある}
そうだ、彼女にはその資格がある。
己の地肉を踏みにじり、魂に唾吐く権利がある。
それを成し遂げるだけの、理由がある。
{ならば儂等はそれを真正面から叩き潰そう}
己の腕が、喘いだ。
「ーーー……ッ!?」
魔剣を支える腕がみしりと苦痛の声を滴らせる。
指が、手首が、腕が、肩が。その衝撃に耐えきれず悲鳴を上げているのだ。
世界さえも破砕する一撃に耐えた、腕がーーー……。
{高々数年風情が我等を止められると思うなぁああああああッッッッッ!!}
豪腕が、振り抜かれる。
全てを破砕したはずの腕が砕け、その華奢な肉体さえも次第に粉砕されていく。
引くべきだ。ここは一撃を往なし、次撃に備えるべきだ。
そんな思想が脳裏を渦巻き、次第に体は衝撃を逃がす為の半身となっていく。
受けるべきじゃない。そうだ、往なして、避けて、次こそ、次こそーーー……。
「違う」
鮮血が、舞った。
魔剣を握っていた腕ごと半身が吹き飛び、臓腑と骨肉が砕け散る。
彼女は回避を止めたのだ。そのまま避ければ往なせたであろう衝撃を、真正面から受けきったのである。
拳撃を放ったはずのオロチでさえその様には困惑し、他の者達もまた等しく眼を見張る。
「違うんですよ」
彼女は、スズカゼ・クレハは。
己の衣を、聖闇・魔光を脱ぎ捨てた。
さらには対するオロチを前にして堂々と背を向け、魔剣を拾い上げた。
遂に気が狂ったのかとさえ思う。幾多の死という苦痛を前に、思考を封じ込めたのか、と。
しかし、そうではない。彼女にとってそれは回帰だった。
「数年? 数十年? 数百年? あぁ、そうでしょう。私は貴方達に比べて覚悟も、決意も、信念も、闘争も、苦痛も、悲痛も……、年期が違う。えぇ、及ぶはずなどありはしない」
{……ならば、どうする}
「私は知った」
彼女は再誕した腕で剣を握り、静かに足を引いた。
「たった一粒の涙でも」
自身の正中に刃を携え。
「たった一滴の血でも」
両眼に眼光を宿し。
「たった一人の死でも」
ただ、口端を縛る。
「何かを変えるには充分過ぎる」
彼女にとって、それはやはり違いなく回帰であった。
幾千幾度と繰り返してきた構え。幾万幾億と成してきた姿。
自身が培った乱剣ではなく、彼女はそれを構えたのだ。
正眼の構えーーー……。剣道に置いて、最も普遍的なその構えを。
{……ッ!}
オロチの両眼に映る女の姿が、揺らめいた。
一切の迷いを捨て、一切の弱さを捨て、一切の影を捨てて。
彼女はただ、その人達に全てを掛けるが如く。
{良かろう}
その男もまた、戦人である。
豪腕を構え、肩筋を引き、その拳に全ての魔力を凝縮させて。
一撃に、全てを賭ける。
{貴様の愚かなる突貫、受けて立つ}
「愚か?」
僅かに、スズカゼの口端が緩んだ気がした。
然れどその微笑みが、何にも勝る殺意だと知った時。
オロチは己の両足と拳、何より意思を堅く締め直す。
「愚かなら、愚かで良い。愚直なら、愚直で良い。愚鈍なら、愚鈍で良い」
肌が、焦げ付く。
その一言一言に対し、己の全身が恐怖するかのように。
「それで歩んで行けるなら」
刹那。
オロチが咆吼すると共に、豪腕を踏み出した。
一瞬。
スズカゼが慟哭すると共に、華奢な脚を前へ蹴り飛ばす。
{去ねぇぇェエエエエエエエエエエエエエエエいッッッッッッッ!!!}
「斬ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッン!!!」
交錯は、音もなく。
衝撃は、光もなく。
{ーーー……}
「ーーー……」
衝撃波が荒れ狂い、周囲を喰らい潰す。
然れど動かず、然れど述べず。
彼は、彼女は、動かない。
全てを収束させた一撃を放ち合った、二人は。
{……やりおる}
述べたのは、オロチだった。
共に鮮血が舞い、膝を打ち付ける渇いた音が鳴り響く。
弱々しく落ちる手が紅色をなぞり、僅かな飛沫を上げた。
勝敗は決した。違い無く、決した。
その男、オロチの勝利によって。
{だが届かなんだな、スズカゼ・クレハ}
鮮血の中に沈むスズカゼ。
最早、指先一つとして動きはしなかった。
瞼が鉛のように重く、意識は痛みさえも感じる事はない。
終わったのだ。自身の敗北という形で、負けたのだ。
「……あぁ」
不思議と、心に曇りはない。それどころか清々しささえ有った。
全てを出し切ったからだろう。自分の中にある限界を突き破って、戦い抜いたからだろう。
それでも、それでも。
「畜生……」
悔しかった。頬に伝う、紅色の中に流れていく涙が、全てを物語る。
勝ちたかった。奴等を倒したかった。
犠牲になった仲間達の為に、自分は、もっとーーー……。
{貴様を侮辱はせぬ。侮蔑もせぬ。……しかしその手足は、もがせて貰うぞ}
オロチが豪腕を振り被る。
所詮、手加減した一撃ではやたらにスズカゼを苦しめる結果にしか成らない。
故に全力で破砕し、引き千切る。それがオロチの、唯一出来る礼儀だった。
また、スズカゼもそれを理解しているが故に恨み言は吐かない。
いいや、もう彼女にはそれを吐く余力すらーーー……。
「よく頑張ったな、スズカゼ」
くしゃり、と。
その頭を撫でる掌。
{ーーー……ッ!?}
オロチの豪腕は止まっていた。
自身に比べれば数倍も細い腕を前に。
ただ容易く、片腕で、止められていたのだ。
「悪ィな。ホントはもっと速く助けてやろうと思ってたんだが、準備に時間が掛かっちまって……」
その者は不器用な微笑みを浮かべていた。
苦笑するように、申し訳なさそうに。
そして何処か、懐かしむように。
{貴様、何故ここに……!!}
オロチが豪腕を押し切ろうと力を込める、が。
万物を破砕するはずの腕はぴくりとも動かない。
否、動くという事を忘れてしまったかのように、一縷としてーーー……。
「……何故、だと?」
その者の眼が、オロチを捕らえる。
紅色の瞳に渦巻くのは限りない殺意。
オロチでさえもが背筋を凍らせるほどの、激怒。
「決まってる」
彼は、容易く豪腕を打ち払った。
その僅かな衝撃だけでオロチは撥ね飛ぶように弾かれ、大地に打ち付けられる。
即座に体勢を立て直した彼の瞳に映ったのは、一人の男だった。
「人間の生き様を侮辱し、仲間を汚し、魂を嘲笑ったテメェ等を……」
その男は鞘から。
否、違う。ただ奇っ怪な、万物を収納する腕輪という鞘から。
純銀の双角と刃を持った一本の剣を引き抜いた。
「殺す為だ」
鈴音のような、剣音。
オロチは確信する。その者が何であるのかを。
自身達の計画において、最大の朧点と成り得た者。
最も早期に潰し、消し去ったはずの、その男。
{ッ……!!}
直後、オロチの全身を衝撃は襲い喰らう。
ただの一撃、横に薙いだだけの斬撃だった。
世界の地平線を斬り裂いた、斬撃だった。
{これが、これ程の者が……!!}
抉り返った世界の、幾多という瓦礫。
その全てを防御に回そうと、大地の岩盤を豪壁としようとも。
斬撃が防げない。避けられない。躱せない。
ただの一撃が、名も無き無技の一撃がーーー……。
{四天災者……、斬滅……ッッ!!}
迫り上がるような音響を耳にし、スズカゼは少しだけ頬をずらしてその男を見た。
いつも笑っていて、いつも皆の空気を和らげようとしていた、あの人。
誰よりも皆を愛していた、いいや、皆という人間を愛していた、その人。
「メタル……、さん……」
牙を、剥く。
その者は、唯一如何なる国にも属さなかった四天災者は。
誰よりも人間という存在を愛し、その生き様を尊んだその男は。
世界最強の魔剣に認められた、その男は。
「此所から先は、俺が相手だ」
読んでいただきありがとうございました




