忠義者達
{……フフッ}
微笑んで、静かに瞳を閉じる。
神だ何だと持て囃されようと、万物を創造せし者であろうとも。
眷属達の目的が為、目標が為と囀っていたと言うのにーーー……。
気付けば己の享楽に感謝し、願望を叶えるが為に戦っている。
{望み望まれた姿など、所詮は幻影か}
全知全能。神たり得る、その者。
然れどやはり、人々の存在というのは、自身という存在はーーー……。
未だあの頃のように在れとは思えない。
この時が、どうしようもなく、愛おしく思える。
ーーー……愛おしく? 神が、闘争を?
{……面白いな。全知全能たり得るが故に、矛盾する}
神など所詮、幻想の塊だ。
この虚空の世界でさえ、この何も存在せぬ白き世界でさえ。
幻想を振り切れることはなく、矛盾が噛み合うことはなく。
ただ錆び付いた歯車は己の身を削りながら、万餐を謳う。
{そうは思わぬか、小娘よ}
彼女は魔剣を支えにして、立っていた。
支えざるを得ない状況で、立っていた。
「知りませんね。難しい事を考えるのはもううんざりだ」
双眸が神を睨み付けることはない。
然れどその片眼は殺意と憤怒を流転させる。
存在せぬ、もう片方の眼の分まで、だ。
{半身が吹き飛ぼうと未だ戦意を失わず、か。いや、一度はその身代全てが消え去ろうと止まらなかった貴様にこう言うのは無粋か?}
「今まで散々止まってのんびりこんびりやって来た……。だから今更、止まれだの曲がれだの言われても」
焔はその全身を覆い尽くし、骨肉を再誕させていく。
眼が、皮膚が、歯牙が、ただ業焔の中に埋もれていき。
その嗤い裂ける口端が、現れる。
「無理に決まってるでしょうが」
一種の到達点であろう、と。
ツキガミは意識の隅でそう確信していた。
己の器として変換、召喚された一人の女。
眷属の話によると、彼女は幾多の試練を経てその身を神の身代へと淳宇刺せていったという。
故に、確信していたのだ。
彼女はハリストスによって神となった時点で極地に到ったのだ、と。
{……ふむ}
確かに彼女は極地に到った。
然れどそれは神という極地であり、スズカゼ・クレハという人間の極地ではない。
故に、そう。彼女は未だ到達点成り得てはいない。
幻想の塊、神という極地であれども、スズカゼ・クレハという人間は極地に到っていないのだ。
即ち、彼女は。
{未だ歩める、か}
慟哭の咆吼。
獣にさえ近しい、力の塊という余りに暴力的な奔流。
己の肌が焦げ付くのを感じながら、神は今一度槍を構えて見せる。
何度でも受けて立とう、己の矛盾から眼を逸らしてやろう。
今この場でならば、我という一存在として貴様の全てを受け止めてやろう、と。
「戯れが過ぎますぞ、我等が神よ」
大地が翻り、雷鳴が轟き、水流が舞う。
世界の半分を、一つの星さえも吹き飛ばした業焔の一撃。
天変地異と称すに相応しき事象共はそれを容易く、捻り潰す。
絶対的と、圧倒的と、無類的と、嘲笑うかのように。
{……何をしに来た? 眷属達よ}
神を前に、その者達は膝を突きて頭を垂れる。
一人、岩地が如き巨体を抱える、揺らぎ無き忠義なる者。
一人、雷天が如き黄金を靡かせる、傲慢不遜たる者。
一人、流水が如き乱れなき美貌を魅せる、優冷なる者。
然れど皆等しくして、神の徒なり。
{貴様等に示すだけの意味を、我は未だ見せて居らぬが}
「不要である、神よ」
{ヴォルグ、空の賢者よ。何故そう言える}
「我々は人間に永く触れ過ぎた。故に、下賤なる感情を好みに宿してしまった。然れども未だ変わらぬ物がある。例え幾千幾多、有象無象の中に過ごそうとも、決して揺らがぬ物がある」
{問う。それは何か}
「我等が仕える者なり」
ふと、神が眉根を寄せ、喉を詰まらせた。
然れど彼が零す静寂を赦さぬように、或いは猛る荒風を弾くように。
低く重々しい声が、静かに流れていく。
「ツキガミよ。我々は模造とは言え三賢者として貴方に仕える身であります。然れどその実、神が為に捧げられる物は一つとしてない。貴方は望めば星さえ砕けましょう、魂さえ消し飛ばせましょう。しかし、我々にその力はない」
{……それが、何だ? オロチ、地の賢者よ}
「我々が望むのは貴方様が真に降臨なさること。真なる精霊の地を創り出すこと。……その為ならばこの身、全てを差し出す覚悟です」
{我はそれを望まぬ。神たる我が欲すのはただ魂の輝きだ。万物が持ち得るその物の栄光と、極地だ}
では、この差違を貴様は如何とする、と。
神は魂の栄光と極地を、眷属は精霊達の地を。
彼等の間にある差違は余りに大きく、亀裂の狭間さえも深く。
進む道を違え、仕えぬ理由としては充分に足る。
故に答える。故に頭を垂れる。
オロチはただ、そう述べた。
「如何様にもしません」
{……如何様にとも、とは?}
「双方を成すべき術を持つ故にです」
脳裏に浮かぶ猜疑は刹那にして消え失せる。
その巨体は一縷として揺らぎはしない。
否、揺らぐはずなどないのだ。その物が神へ虚偽を述べるはずなど、ないのだ。
魂さえ賭けた忠義へ追随するかのように述べるのは、涼やかに透き通る声色。
「我々は世界の敵となりましょう。幾千幾多の憎悪を抱え、怨恨に呪われ、ただこの身を蝕まれる悪となりましょう」
{……全てを成したが後、貴様等は悪辣として魂を汚しつつ生きるとでも? 海の賢者、レヴィアよ}
「申し上げたはずです。この身、神に捧げるが為だけに存在すると」
ツキガミの堅苦しく固まっていた表情は、静かに和らいでいく。
やがて賢者達が微笑まれているだろうと気付くのに、永久の刹那が過ぎ去った。
決して存在し得ぬその時が示す物を言葉に出来る者は居ない。皆が皆、静かに瞳を閉じて立ち上がり、神へと背を向ける。
{世の不浄を抱えて死すか。賢者}
「それが我等の役目なれば。神」
天槍が、蹲っていた灰色を祓裂する。
オロチ、ヴォルグ、レヴィア。地、空、海の賢者達に迷いは無い。
ただその双眸は先を、一人の器たり得た女を瞳に映すばかり。
{ならば良かろう。見せてみよ、我が眷属よ}
「御意」
巨脚、大地を覇す。
雷鳴と流水の前に、彼は歩み出た。
不動の精神、不屈の肉体。嘗て少女を導いた腕は今、彼女を砕く為に。
己の眼前で刃を構えるその物を、砕き潰す為に。
「我等が忠義の証明と成す為にーーー……}
大気の流れが、変わった。
背筋が凍てつき、舌先が痺れ、眼球が渇く。
己が恐怖しているのだ、と。神なる女はそう理解する。
必然だ。ツキガミという神は本来己の肉体に宿るべき存在だった。
現に今もなお、連中は自身の肉体を器として求めている。それは何故か?
単純だーーー……。この器でなければ意味が無いから。
{礎となれ、スズカゼ・クレハ}
未だ半端な神と撃ち合えたのは奇跡だろう。
神の極地で有り得た己と道途である神でさえ、撃ち合えたのは奇跡だ。
ならばこの者と。天霊として、戦人として、武人としての極地を誇るこの者と。
撃ち合えるはずなどーーー……、ありはしない。
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