傍観者たり得る者
一種の諦観だった。
「ここは、私が相手します」
魔剣を構え、彼女は彼等と対峙する。
勝てないことは知っている。いいや、傷一つ付けられない事さえ。
解っている。解っていても、止まれない。
止まれるはずなど、ない。
「皆さんは逃げてください」
守護ではない。
自己犠牲ですら、ない。
「そんな事をッ……!!」
反論したのは、オクスだけだった。
いや、彼女自身でさえ、理解している。
眼前の者達が如何なる存在であるのかを。挑めば、指先一つで命を絶たれるのだろう、と。
この場でまともに戦えるのがスズカゼ・クレハーーー……、彼女だけなのだろう、と。
「……オクス、解るだろう。デュー・ラハンの時とは訳が違う。我々だからだとか、我々こそではない。足手纏いですら、ないのだ」
「だが、ここで彼女を見捨てるという事は!!」
「自惚れるな。見捨てるのではない。死に絶えるのは、我々だ」
白銀の義手が、軋む。
口端を食い縛り、獣らしい牙が唇に紅色を伝わせる。
こんな物か。こんな物でしか、ないのか。
自分の覚悟も、決意も。絶対的な力を前には、何の意味も成さないと言うのか。
「そんな事はありませんよ」
パチン。
弾けるように音が零れ落ち、彼等の世界は一変した。
脚を撫でていた草々は纏わり付く砂に。
頬を撫でる柔風は鼻先を突く潮風に。
草原から、砂浜へ。瞬間移動等と言う次元ではない、紛れもない空間転移。
「貴様ッ……!!」
「そう構えないでください。私は貴方達をどうこうするつもりはない」
ハリストスは優し気に微笑みながら、両手を広げて戦闘の意思がない事を示す。
それでもオクス達は一切の警戒を解かない。彼が、ハリストスという男が危険なのは少なからず理解している。
全能者、全属性掌握者ーーー……、どのように呼ばれようとも、スズカゼ・クレハを神にした張本人であり、嘗ては四天災者と渡り合ったという化け物だ。
「そうですね、クロセールさん。貴方は気付いているのでは?」
「……貴様」
「そう睨まないでください。私は貴方達が望むようにしただけだ」
ハリストスの微笑みに孕まれる、悪意と善意。
彼はただ知っているだけだ。知っているからこそ、そうしただけだ。
スズカゼにとってオクス達は護る対象でありながら枷であるのだ、と。
あの場所に居れば互いに縛り続けるだけなのだ、と。
「後は彼等に任せましょう。我々は傍観者となるべきだ」
「傍観者? ただ見ていろと言うのか。彼女が、スズカゼが堕ちていく様を!!」
「堕ちるかどうかは彼女が決めることです」
拳撃と狩撃が、ハリストスを襲う。
オクスとフーの放った一撃は明確な殺意の元に眉間と首筋を狙った、が。
気付けば彼女達は地に伏し、両腕を鎖で縛られていた。
「繰り返しますが私は貴方達に危害を加えるつもりはない。傍観者であれ、というのは私自身に向けた言葉でもある」
「……解らないな、ハリストス・イコン。全能であるのならばその先を求める理由は何だ。知っているのであれば、成せるのであれば、求める理由などないだろう?」
「知っていて成せるのならば全ては不要だ、とでも? 夢と現実の違いなど今更語らせないでください」
クロセールは眉根を顰め、口端を結ぶ。
夢と現実の違いなど、誰しもが理解している事だ。
それでもなお思う。万物を解すその者が何を望むのか、と。
持たぬ物からすればそれはどうしようもない嫉妬であり、同時に、どうしようもない渇望なのだろう。
「……貴様は何を望む。貴様等ではない、貴様が、だ」
「私が望むのは終始変わりません。私がハリストス・イコンであり、全能者と呼ばれ、全属性掌握者と言われる前から、変わらない」
指先を合わせ、掌中の空を押し潰すように。
微笑ましく、ただ愛する物を覆うように。
慈愛のように、慈悲のように、慈護のように。
そのように、そのように、そのように。
そう、あれかし。
「有終の美を。ただ刹那の、美しさを」
微笑みにあるのは善意と悪意だった。
然れどそれらは別離しない。然れどそれらは違わない。
器の中に泥水と純水を混ぜたかのように、紅色と白色の絵の具を混ぜるように。
彼にとって善意と悪意に差はないのだろう。それらが混在できる、存在なのだろう。
全能者にして全属性掌握者は何処までも歪で、何処までも純粋なのだ。
「……狂者めが」
クロセールはただ、吐き捨てる。
一種の到達点であるというのなら、彼が人間の完成形の一つであるというのなら。
自分は必ずそれを否定する。決して認めはしない。
こんな、こんな存在が、全能者などーーー……。
「狂っているのは世界だ」
静かに、瞳が開かれる。
微笑みの中に、泥粒が堕ちる。
「死を恐れ、畏怖し、憎悪する。一つの物語の終止符を。その美しさを……」
全てを知り、全てを成せるその者が。
ただ欲し、ただ愛し、ただ求める。
全てより美しく全てより綺麗で全てより輝かしい、それを。
「さぁ、傍観者となりましょう。この狂った世界を、永劫という悍ましき物を望む愚者の終わりを」
永劫の友は。
唾棄し、嘲笑う。
「ただ、瞳に刻みましょう」
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