刹那に浸蝕す
魔老爵。
ギルドでも最古老のパーティーとされ、人員は老父一人という非常に珍しい構成である。
依頼は殆どこなさず、統括長補佐のご意見番として日々を過ごしていた。
だが、かといってその実力がないという訳ではない。
嘗ての騒動ではギルド大半の市民を操るという超越的な魔法技術を見せつけた、が。
「ヴォーサゴ老。まさか私達をギルドに在籍していた頃と同等に見てない?」
ダリオは嘲笑うように腕先の女性を放り捨て、大翼を羽ばたかせると共に着地する。
空を舞うスズカゼはオクスによって保護こそされたが、その手先は酷く震えていた。
無理もないーーー……。彼女の根幹にある物と、恐怖の権化を同時に見せられたのだ。
最悪の相手。今のスズカゼにとって、あの二人は最悪の相性だ。
「……フーと下がるぞ、オクス」
「だがクロセール、ヴォーサゴ老一人で戦える相手ではないぞ……! あの方は精神干渉魔法に長けてこそ居るが、攻撃手段はない!!」
「馬鹿を言え」
彼の頬には汗が伝う。
一度だけ、たった一度だけ彼の戦闘を見た事がある彼は。
魔老爵の本質を知っている、彼は。
「あの老人ほど広域的に、継続的な攻撃が出来る者は居ないぞ……!!」
こつり、こつりと。
老父は杖を突き立てながら、緩やかな足取りで歩んでいく。
傍目に見ればただ老父が歩いているだけにしか見えない。別段、奇妙な事はない。
然れど対峙しているダリオとデューからすればーーー……、その老人の足取りは果てしなく、悍ましい。
「……デュー、何か魔力が溢れ出してんだけど」
「あの人を舐めてるのは君だよ。あぁ……、スズカゼ・クレハまで放り捨てちゃって」
「だってぇ……、あんまり馬鹿馬鹿しいこと言ってるからぁ」
あわあわと慌てるダリオの額が撥ね、彼女はあぅっという小声と共に仰け反った。
二人は、当のダリオでさえ何事かと額を見る。
そこにあったのは小石だった。地面に幾らでも転がっているような、小石。
然れどその指先程度の小石が風で巻き上げられるはずもないし、況してや額が当たるほどの勢いで飛ぶはずもない。
となれば、理由は一つ。
「どうした?」
こつり、こつりと。
否、そんな小さく華奢な音ではない。
地響き、地鳴り、地揺れ。大地が唸るかのような轟音。
二人は互いに視線を外し、空を見た。地を見た。
逆転した、天地を見た。
「儂を前に余所見とは偉くなったのう、小童共」
精神干渉魔法とは他人を操る魔法だ。
いや、他人というのは語弊がある。そこに思考のある生物であれば獣でも植物でもある程度は操れるのだ。
だが、所詮それはある程度でしかない。知能が殆どない獣は操れないし動くことの出来ない植物など枝葉一枚動かせるかどうかだ。
それがただ一般的な精神干渉魔法で、あれば。
「……なぁーに、これ」
ヴォーサゴの精神干渉魔法の域は、言うまでもなく常人の域を超えている。
然れど、その超えているが余りに異常過ぎるのだ。
老父にとって操るのは精神、即ち脳ではない。
その生物に刻まれた遺伝子だ。
「無理矢理に行動を捻曲げてるんだ。いや、干渉しているんだ……!」
人間は歩く、食べる、寝る。
その様々な行動を親に習わずして行える。
他の生物も然りだ。ただ常識的な行動を当然の様に、当たり前のように行える。
それはその種が永き時の中で培ってきた情報の恩恵に他ならない。
故にヴォーサゴはそれを手中へと収める。全ての生物ーーー……、例え微生物であれど、動くという最低限の活動を、種が死渇する程の領域で動作させる。
地中、空気中、或いはそれを構成している鉱石でさえも。
全てが、彼の手中にある。
「ん、んっー……、これちょっとマズくない?」
「だから遊ぶ暇はないって……」
「うぅ……、でもちゃんと始末は付けるからね! ほら」
闇の腕が岩盤や幾多の樹木を切り裂き、全てを打ち払う。
幾ら浮遊し、幾ら巨大でも所詮は自然物。
強大で高密度の魔力を纏った闇の腕からすれば肉塊よりも柔く、脆くーーー……。
「そうだろう、貴様等はそうするだろう? それで、良い」
一本の腕が、ダリオの胸を貫いた。
誰の腕でもない、ダリオ自身の闇の腕が。
連なるように他の腕も有り得ない角度で湾曲しながら彼女の四肢を穿っていく。
何が起こったのか、本人でさえ、否、本人だからこそ解らぬままに、穿たれていく。
「え、ちょっ、は?」
瓦礫も、樹木も、全て囮。
必要なのは一瞬だった。ダリオの意識が何かに逸れる一瞬。
ヴォーサゴにとって重用なのは周囲の物でも敵対する物でもない。
相手の精神に入り込む刹那。例え如何なる強者であろうとも決して逃げ得ぬ刹那。
「喰らうぞ、刹那。掴むぞ、一瞬」
ダリオの顔面さえも全てが闇に埋もれていく。
己の闇故に防ぐ手立てなどなく、己の腕故に避ける手立てなどなく。
一撃さえ当てれば死すであろう老父を前に、彼女は最早手も足も出る状態ではなかった。
「欲が過ぎたのう、小童」
こつり、と。
その杖突音と共に、ダリオは自身の腕で喉元を引き裂いた。
猛り狂うかのような絶叫さえ響く暇はなく。
その代わりに降り注ぐのは、鮮血の雨。
「侮っていたと認めざるを得ないね」
その者は大剣を抜く。
首無し馬に跨がった、[傲慢]は。
「本気で……、行こうか」
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