少女の根幹にあるもの
「いかんな……」
ヴォーサゴは自身の布地に覆われた双眸で、眼球には映らぬ視界を眺めそう呟いた。
誰が選んだかは知らぬが、余程性格の悪い者が奴等を寄越したらしい。
冥霊ーーー……、自分もまたギルドに属していた故に名前を知らぬはずなどないが、その二人が天霊という事は知らなかった。
無論、奴等がスズカゼ・クレハという存在の監視役であり、彼女の心を折る為に存在していたことも、同様に。
「今の連中は精神的な物から見れば違い無くスズカゼ・クレハの天敵じゃ。対峙させることさえ躊躇われる」
「……如何、なさりますか」
「要素を一つ一つ取り除く他あるまいて。スー、貴様はあの獣人三人組とチェキーの護衛に舞われ。我々が相手取れば連中も貴様を超えて奴等を狙う暇はないはずじゃ」
「御意……」
彼女は樹木を召喚すると共に後退、唖然としている超獣団の前に幾重もの盾を形成していく。ぎゃあぎゃあと喚く声が聞こえるが、スーには大した意味もないだろう。
さて、これで弱者を護るというスズカゼ・クレハの精神的弱点は封じた。
しかしそんな物は一つに過ぎない。いや、或いは軽度の物でさえある。
ハリストスから聞いた上で最も厄介なのはあの二体の存在そのものだ。
自身の故郷と呼ぶに相応しい国を壊した張本人達ーーー……、それを前に、スズカゼ・クレハが冷静に居られるかどうか。
「ま、無理よねぇ?」
巨竜の眼前、首無し馬に跨がる漆黒の騎士の頭上に舞う紅蓮の影。
悪鬼羅刹が児戯と思える程に眼を滾らせて。
静寂に蔓延る屍が如く、悍ましき刃。
「来たね」
計算通りだった。
単純な真正面からの衝突で彼等がスズカゼに勝てるはずはない。
然れど真正面からでないのなら、一縷の正気がある。
そして彼等はそれを一縷から万里にする力を、持っている。
「冥獄の門」
現れるは黒闇の獄門。
全ての憎悪を押し込めたかのような恐怖。全ての悪意を滾らせたかのような悪寒。
もしココノア達がスーによる樹木で周囲を確認出来ていない状態ならば、間違いなく彼女達は気を失っていただろう。
嘗てギルドで顕現したそれよりも遙かに、否、比類さえ烏滸がましい程に禍々しいそれを前にして。
「疑似世界!」
巨竜が消え去り、元の人型に戻ったダリオはその身を獄門へと擲った。
漆黒の闇に飲まれていく身。まるで溶けるかのように沈んでいく様は傍目にさえ肌が粟立つかのような嫌悪感を覚える。
然れどダリオは歪んだ、或いは無邪気にさえ見える笑みを浮かべたまま、消えていく。
「私はただ変貌するだけの魔法なんだけどさー」
獄門は、穿たれる。
生物の臓腑を緩やかに握り潰すが如く、抉れていく。
造形物ではなく、彫刻物ではなく、生物のように。
刻々と、その黒闇を変えていくのだ。
「私の魔法ってさぁ? ぶっちゃけ姿変えるだけの地味ィな魔法なのよね。ま、変装とか潜入じゃ充分役立つし血肉さえ喰らえば特性や記憶も模造出来るんだけど、やっぱり本体より能力は劣っちゃうの」
大翼が空を舞う。
人間の形だった。然れど人間ではなかった。
真っ黒に塗り潰された顔面と、胸元で幾千もの蛇のように蠢く腕。
漆黒の、闇より這いずり出て来たかのような、腕。
「だからまぁ、これぐらいのズルは赦してよね?」
クロセールだった。
その闇の腕が貫いたのは、否、掠めたのは。
彼は刹那にーーー……、いや、最早意識すらしていない直感で胸前に琥珀の盾を展開し、弾いたのだ。
然れど、銃弾すらも弾き返して傷一つ付かないはずの盾は、容易く砕け去っていて。
「あ、外れちゃった。流石はギルド主力の一人かしら」
「ダリオ、遊んでる暇はないよ」
「んー、でもまぁ、やっと本気で暴れられるんだし少しぐらい時間くれない?」
「あのねぇ、スズカゼ・クレハを相手取るのは流石にーーー……」
「あぁ、それなら大丈夫!」
彼女の顔面に振り下ろされる一閃。
万物を斬り捨てる一撃がその醜く、一切の彩りを持たぬ無限の闇を滅す。
はず、だった。
「スズカゼさん」
にこやかに微笑む、サラ・リリエント。
ただ顔面だけがその者となり、嘗ての朗らかな笑みを浮かべている。
それだけでスズカゼの刃は止まった。己の腕が軋むことさえ厭わず、止めた。
止めざるを、得なかった。
「出来ないですよね? 貴方の根幹にある物だから、貴方が戦う理由だから、貴方が生きる意味だから、出来るはずがない」
闇の腕が彼女の顎先を跳ね上げる。
刹那に伸びた首へ奔る黒閃。吹き荒ぶ血霧。
然れどその傷とて刹那にして回復し、焔の端となる。
消え散る火花を拭うは鮮血。潰すは鮮血。覆うは鮮血。
空で弄ぶように、嘲笑うように、ダリオによる幾千の闇の腕がスズカゼを襲う。
再生しては斬り裂かれ、再生しては斬り裂かれーーー……、お手玉のように、肉を抉り、弾き遊ぶ。
「死なないってのも困りものよね?」
サラの顔のまま、彼女は微笑んでいた。
ただ眼前で紅色に塗れては燃えていく彼女を嘲笑うように。
欲し求めた日々の、平和な笑顔のままで。
「そのまま、夢の中で死になさい」
彼女の胸元から這い出る幾千の腕。
それは今までの数本程度とは比べものにならないような数だった。
たった数本でさえ彼女を落下させない速度で斬り刻む事が出来たのだ。
その数千倍の腕を前にすれば、最早原形を保つことさえーーー……。
「小童めが」
かつんーーー……、と。
荒野に突き立てられる老人の杖。
彼を中心として旋風が吹き抜けた、気がした。
誰もがその方を向いたのだ。己の髪を揺らすでもなく、肌を撫でた訳でもないが。
それでも、向いた。
「弱い、弱い、弱過ぎる。如何様な物かと暫し見てみれば……、何だ? その様は」
あの者が神の器と言うのだから、その程度乗り越えると思っていた。
高が偽物だ。取るに足らぬ児戯ではないか。
それすらも乗り越えられない。それすらも斬り捨てられない。
温すぎる。甘すぎる。弱すぎる。
見て、いられない。
「教えてやろう、小娘。その手合いにどう対応するか……」
嗄れた手で歩んでいく。
杖が一度、二度と大地を付く度に皆は一歩後退った。
自然、ダリオの手元にある首根を掴まれたスズカゼもそちらへ視線が向く。
「魔老爵の力……」
その老父に絶対的な力はない。
あるのはただ老練故の知識、そして経験。
真っ向にして戦えば一時として持たぬであろう老父。
然れどその歩みに迷いはなく。
「とくと、見るが良い」
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