決意の差違
【サウズ王国】
《城壁上・東門》
「デイジー……!」
苦しく、押し殺したようにリドラは言葉を吐き落とす。
実力的に勝るとは思っていなかった。死んでいないだけ、儲けものだろう。
それでも崩れ去った何かが、彼女の中で崩れ去った何かが、もう戻らない気がして。
「……次は、私が食い止めるのよね。リドラさん、もう避難は済んだわね?」
「あぁ、フェネクスも……。だが、ここから避難するのはお前だ」
リドラの掌にある宝石が輝き、彼の周囲に数体の妖精が召喚される。
火、水、雷の妖精。三体同時とは言え、所詮は召喚初心者が召喚するような妖精だ。
それらを持ってあの男に敵うとは、到底思えない。
「子には母が必要だ。……あの子はまだ幼い」
「それを言うのなら国には頭が必要なのよね。この一年、ニルヴァーを探す為に私は此所でお世話になった。だから、その恩返しなのよね」
「ナーゾル大臣が居る。……何も心配はない」
白衣を翻し、彼は城壁の下へと歩んでいく。
彼の双眸には覚悟の灯があった。然れどその覚悟は抗いではない。
最早自死のーーー……、如何なる屍を晒そうと構わないという、意思。
今から対峙するであろう獣には決して認められないであろう、意思。
「……解らねぇな」
やがて降り立った彼と対峙するは黄金の獣。
その両腕にて万物を砕く、暴食にして破壊の獣。
「テメェ等は何でそんなに抗う? 力もねェくせに戦おうとする? そんなので楽しいかよ、負けるのが楽しいのかよ」
「貴様には解らないだろう、デモン・アグルス。人には芯があるのだ。それは貫き磨き続ければ鋭く、強くなっていく。何人にも決して折れぬ芯となる」
「……今、テメェはそれを自分で折ろうとしてるんだぜ?」
「磨き続ける最中で折れるのならば、本望だ」
拳撃が城壁を破砕する。
一切の容赦なく一切の躊躇なくして彼の一撃は豪風と共に亀裂の烈火を奔らせたのだ。
その一撃はリドラの頬先を抜けて、ただ揺らがぬ眼をなぞるように。
「……折るつもりも、ねぇくせに」
「無論だ」
雷撃の閃光が獣の視界を塗り潰す。
同時に鬱蒼とした熱風が彼の顔面を覆い尽くした。
高温の湯気だ。息苦しささえ覚えるそれを前に、獣の本能がこう伝えた。
マズいーーー……、と。
「爆ぜろ」
水素爆発。
ただ水の精霊による蒸気と火の精霊による火種では起こりえない現象。
それを成せるのはリドラの頭脳による高速演算と計算力による物だ。
尤も、そんな物程度で[暴食]の獣を殺せるはずなど、ないのだが。
「か、ッはーーーーーー……!!」
然れど、刹那。
酸素の欠乏と皮膚表面の損失。
黒炎と肉の焼ける異臭にデモンは噎せ返る。
そうして明け開かれた口に突っ込まれる、一つの魔石。
「臓腑の筋力までは鍛えられまい」
引き抜くと同時に、リドラは貧相な脚でデモンの腹を蹴り飛ばした。
無論、鋼鉄が如き獣人を蹴り飛ばしたとて、吹っ飛ぶのは自分だ。
だがそれで良い。接近して巻き添えになるより、余程。
「ーーーー……ぅぷっ」
くぐもった破裂音と噴出する黒煙。
直後、まるで湧き水のようにデモンの口腔や鼻腔から黒血が溢れ出す。
彼の四肢は震え、指先は痺れ切れるように痙攣していく。
見開かれ、焦げ付いた視界は未だ雷撃による目潰しで再生しない。
一手、重ねて二手、三手。弱者が頭を捻りきり、死を覚悟した一撃だった。
「っか、はァ……!」
だが、未だ死せず。
獣は嗤い猛るかのように黒血全てを嘔吐した。
幾多の瓦礫に伝う黒が、やがてリドラの足下まで伝っていく。
明らかに致死量だ。そもそも体内で魔法石を暴走させた事による爆発を受けて生きている時点で有り得ない。
この男は、いったい何処までーーーー……。
「ケハッ……! 飽きねぇなァ、この国はよォ……!!」
自身の焦血に塗れた牙を剥きながら、嗤う。
自死を覚悟していたはずだ、この男は。
だと言うのに抗ってみせた。自身を殺そうとしてみせた。
何が違う? 先の女と、いったい何が違う?
あの女は自死するつもりで挑んできた。この男もそうだ。
だと言うのに今自分は嗤っている。あの女とは違って、己は。
「……時間を掛けすぎだ」
刹那、リドラの身にデイジーが投げつけられ、二人は瓦礫の山へと叩き込まれる。
衝撃は土粉と灰燼を巻き上げ、白煙を吹き舞わせた。
次第に回復してきたデモンの視界に映るのは、紫透明の結界を掌に浮かべた道化師の姿だった。
彼は幾多の結界による弾丸を瓦礫へ撃ち込むと共に、白煙を無視して突き進んでいく。
「道化師……、手ェ出すなつったろーがよ」
「遊ぶだけの時間はない。この世界に余裕など……、何処にもない」
不快を溢れさせるように、デモンは足下の瓦礫を踏み砕く。
その眼に爪痕を刻むように、ただ鬱陶しそうに。
「……サウズの、残党は?」
「ヌエが相手取っている。我々も向かうぞ」
「下らねぇ……。勝手にしろ」
踵を返そうとして、気付く。
背筋をなぞるかのような恐怖。否、歓喜。
居なかったはずだ。つい先程まで無かったはずだ。
だと言うのに、それはある。そこに居る。
圧倒的な、強者。
「……お二人とも、助力をお願いします」
彼等が振り返ると共に、その影からヌエが這いずり出てきた。
その頬には鮮血と刃の裂傷。片腕に到っては骨が露出している。
何があったかは言うまでもない。論ずべきは、誰が、だ。
「…………」
現れたのは、黒衣と黒眼鏡に身を包みし男。
外表一つとして晒そうとはしないが、その者は確かにそこに居た。
構えるヌエの様子を見てからもこの男が彼女を退けた者だというのは解る。
しかしこの国にそんな実力者は居なかったはずだ。こんな、人間は。
「……ニルヴァー・ベルグーン」
機械めいた呟き。
道化師によるその言葉はデモン、そしてヌエの記憶を呼び起こさせる。
[八咫烏]の一人、暗殺者として一度はスズカゼ・クレハを殺すも、ギルドの喧騒では彼女に味方し、四年前の大戦にてその身を消していた、シーシャ国の生き残り。
「……あの男は確かに不死だが、ヌエ。テメェを退けられるほど強かったか?」
「いえ、記憶にはありません。ですが」
事実として彼は恐ろしく手強い、と。
彼女はその者を前に、一切の余裕を見せる暇さえなく構えてみせた。
道化師も然り。その男を相手に油断出来ぬことなど理解しきっていた。
然れどデモンだけは違う。いつものように強者と戦える喜びを享受している訳でも、警戒から恐れているわけでもない。
未だ彼の中に渦めくリドラとデイジーの差違という疑問。それが、彼の悦楽を虐げていた。
「……来ます」
しかし、その者が彼の悩みを、世界が彼の困惑を待つはずはない。
ヌエ、道化師、デモン。彼等はその者と対峙する。
言葉一つとして漏らさぬ、黒衣の者とーーー……。
読んでいただきありがとうございました




