白き回想
「化け物か、悪魔だよ」
路地裏で誰かがそう呟いた。
嘗て、数十年前のスノウフ国。その路地裏で、だ。
それを述べたのは降り注ぐ白雪から逃げるように、路地裏の煉瓦造りに背を預けた男。裏社会での頂点に立ち、このスノウフ国でも相応の発言権を持っている人物。
常であればその男が歩けば人々は逃げ惑い、笑えば恐怖する。男にとってもそれが当たり前の光景であった。
然れども今、彼の前に居る女性が恐怖の一つさえ見せない。ただ微笑んで、礼儀正しく、そして恭しく、話に耳を傾けるばかり。
「まず食料が盗まれた。別に珍しい話じゃねぇ……、貧困地の餓鬼共はよくやる。ただしウチのを盗む奴は居なかったがな」
「貴方達の組織から物を盗むという事は報復を受けるという事ですものね」
「そうだ。だが、その餓鬼はやった。だから部下共は餓鬼を徹底的に痛めつけて貧困街での晒し者にしようとしたのさ」
男は懐から煙草を取り出し、それを口端へと運ぶ。
忌々しき蝿虫を潰すかのように、震えるような指先で。
「逆にウチの者が晒し者にされた。四肢をもがれて吊されてたそうだ」
「……四肢を、もがれて」
「組織間で見せしめにやるから見慣れてるつもりだったんだがな。あんなもがれ方を見たのは初めてだ」
「どういう風だったの?」
「子供の玩具。その例えがぴったし当て嵌まる」
焔を点すと共に白煙を吐き出し、男は眉根を顰め込んだ。
彼の表情を見るに、余程酷い殺し方だったらしい。
子供のと言えば無邪気であろうが、それは裏を返せば無容赦という事でもあるのだから。
「結果、手練れの部下共が何人か向かってな。それも同じ結果になり、俺直属の奴も、そして俺さえも同じ結果になりかけた」
「……貴方までも?」
「アンタだからこそ、俺と凌ぎを削り合ったアンタだからこそ俺の事はよく解ってるはずだ。俺ァこれでも中々に名の通った男だぜ。その俺が、組織の手練れを連れてこのザマだ」
男は白煙を吹き出した。
その煙草を咥えた口端から、白煙を吹き出したのだ。
彼の顔半分は抉れ、その片腕からは鮮血が吹き出している。
それこそまるで、何か巨大な獣にでも襲われたかのように。
「今から組織全勢力を持ってそいつを殺しに行く。アンタと会うのはこれで最後だ」
「……こうともなると悲しいものね。貴方とは立場こそ違えどこの街の平穏を願った仲間だったのに」
「けっ、俺は自分の利益が欲しかっただけだ」
煙草を白雪の上に投げ捨て、男はそれを踏み躙った。
己の鮮血に濡らすが如く、全てを潰すが如く。
「……ま、これから頑張れや。フェベッツェ・ハーノルド。新たなる、北の教皇よ」
それから数日後、彼の組織は消え去った。
その首領の死亡という形によって、一つの組織が消えたのだ。
また、同時期に貧困街の奥地、誰も踏み込まないような場所はーーー……、血の沼になったという。
「…………」
彼女は、いや、フェベッツェは遺体無き墓地の前で両手を組み合わせていた。
あの男は決して良心的な男ではなかった。それどころか人を貶め、悪意に満ち溢れていることもあっただろう。
然れど彼も違い無くこの国を憂い、仲間を思う一人の勇士であった。
「ここに居たのか、フェベッツェ」
彼女に声を掛けたのはボサボサの髪を掻き乱す一人の男だった。
髪型とその草臥れた姿の所為もあるのだろうが酷く不潔に見える、その男。
フェベッツェは彼を前にして膝の雪を振り払いながら立ち上がる。
そしてにこり、と。純白の世界に相応しい微笑みを浮かべて見せた。
「ユキバさん。こんな場所まで……」
「チビガキが呼んでんだよ、アンタを。例の組織を潰した奴に会いに行くんだろ?」
「……えぇ、興味があります。その人物に」
「よくやるぜ。俺ァ怖くて行こうとは思わないね」
「何も貴方に付いてきて欲しいとは……」
「ねぇ、ちょっと酷くない? これでも心配してきたっつーのによぉ」
「あらあら、それはありがとう」
やはりこの女はどうにも苦手だ、と。
ユキバは言葉に出すこともなく、露骨なため息でそれを示してみせる。
良い女だ。だがそれ以上に面倒な女だ。
そんな言葉さえ、付け足しそうになりながら。
「……つーか、俺とチビガキがここに滞在出来てんのは偏にアンタのお陰だからな。流石に死なれちゃ困る」
「歴史の研究、だったかしら。二人で旅をしているのよね?」
「まぁな。あのガキの変態度に付き合うのは酷く面倒な話だが……」
「でも色々と苦労するでしょう? 若い二人での旅路となると……」
「いや、年齢だけならアンタの数倍はあると思うぜ?」
「面白い冗談だわ」
微笑むフェベッツェと冗談じゃ無いんだがと苦笑するユキバ。
美女と不潔そうな男という、傍目に見れば御伽噺か演劇かという光景は人目を引き付ける。
尤も、その場に彼等を見る目は一つとしてないのだが。
ただ白雪が降り積もるだけの白銀の世界に、彼等を見る目など。
「……ま、あんま無理してくれるなよ。アンタが居なくなると俺達の研究が出来なくなっちまう」
「えぇ、気を付けます」
彼等は歩む。
現在より幾十の過去に足跡を刻みながら。
積雪の上を、深々と。
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