雫は雪地に沈む
【スノウフ国】
《国境線》
「それじゃ、私達は行ってくるわね」
漆黒の甲冑を纏う者は巨大な竜に跨がり、デモン達を見下ろしていた。
デューとダリオはスズカゼ達を、デモンとヌエ、道化師はサウズ王国の反抗組織を潰すためにそれぞれ行動を開始する。
彼等にとってそれは蹂躙だった。
例え神に目覚めようとも、大罪の具現化であるデューとダリオにとってスズカゼ以外は有象無象でしかない。無論、彼女の甘さも知っているが故に、それは蹂躙であった。
反抗組織に到っては言うまでもないだろう。強いて注意すべきならばジェイドという不安要素のみだが、これもまた有象無象の塵芥。注意するほどの物ではない。
繰り返そう。これは、蹂躙だ。
「皆さん、お気を付けて」
「そちらもお気を付けて」
物言わぬ二人に代わり、ヌエは彼等を静かに見送る。
いや、その豪嵐に近き羽ばたきを前にしては静かになどと言うのは最早些細事以下であろうが。
「……では、我々も向かいますか。目的は直ぐ其所ですので」
皆は白銀の大地に背を向け、歩き出す。
殲滅が為に、殺戮が為に、蹂躙が為に。
最早、それは決まり切った事であった。例えツキガミという絶対的な存在がなかったとしても、彼等の行く道を阻むものはないし、遮ることは出来ないだろう。
誰一人としてそれを疑う者は居ない。居るはずもない。
ただ一人、全能者を除いてーーー……。
「躍動が聞こえる」
彼の者は去りゆく二つの背中達を覆うように瞼を伏せる。
その耳に伝うは虚空の唄。星と命運が紡ぐ無儚の詞。
天より降り注ぐ、幾億の星々。魂の、輝き。
「さぁ、見せてください」
有終の美を、と。
その者は笑う。躍動を始めた世界を前にして。
ただ、楽しそうにーーー……。
《城下町》
「…………」
空の果てに消え行く、巨大な竜。
その失われた太古が羽ばたく姿を瞳に映しながら、彼は静かに佇んでいた。
絶対的な強者として力を持てども、それをどう振るうべきか知らぬ、優しき者。
獣として生まれ落ち、異端としていき、人としての優しさを知った、ただ一人のーーー……。
「ダーテン団長」
そんな彼の背中から投げかけられる声。
彼は静かに振り返り、濁り切った瞳を揺らがせた。
悲しそうな、まるで誰かの死を嘆くかのように悲しそうな、一人の女性。
いいや、事実彼女は嘆いているのだろう。自分という存在の、死を。
「……ラッカル、君の持ち場は此所じゃないよ」
「構わないわよ。どうせ誰も攻めてこないわ」
「そういう問題じゃ……、いや、今の僕に言う資格はないね」
ダーテンは力無く微笑み、再び彼女に背を向けた。
話が終わったからと言えば、その通りなのだろう。それだけなのだろう。
しかしラッカルからすればそれは逃避にしか見えなかった。これ以上何も言わないで欲しい、と。そう逃げているだけにしか、見えなかったのだ。
「……なぁーにが四天災者よ。なぁーにが[断罪]よ! 貴方なんかただ逃げてるだけの臆病者じゃない!!」
何も、応えない。
大きくて、誰をも護る背中が、今のラッカルには小熊のそれにしか思えなかった。
彼は強くて優しい。自分が知っている四天災者より何倍も何倍も。
それなのに、彼は。この表舞台で唯一生き残っているであろう四天災者は。
今、どうしようもなく、弱々しくて、臆病で。
「フェベッツェ様を……、お婆ちゃんを蘇らせたいって気持ちは解るわ! でもね、そんな事してあのお婆ちゃんが喜ぶと思う!?」
「喜ばないだろうね。フェベッツェ様はきっと僕の事をお叱りになると思うよ」
「だったら、何で!!」
「……ラッカル、君とピクノ、そして僕は彼女の最期を看取った。だから、彼女が何を言い残したかは覚えているね?」
その言葉を突き付けられ、彼女の喉は絞め上がる。
この戦乱の中、何も出来ず死に逝く己を悔いるかのように。
然れどそれを自分達に悟らせないために彼女は、こう言ったのだ。
ごめんね、と。いつものように慈愛に満ちた笑顔を見せながら、ただ。
「あの人の最期の言葉はありがとう、と。ただそれだけで良かった。それだけであるべきだった」
「……言い直させるとでも言うの? もう一度、生き返らせて」
「無理だと言う事は知っているよ。けれど、今のこの国を救うには彼女の力が要る。彼女無くしてスノウフ国は、フェアリ教は立ち直れない」
この国のためなら、民々の為なら僕は何でもしよう。
例えそれが悪魔との契約になろうともーーー……。
彼の、その言葉が言い終わるよりも前に、ラッカルの華奢な腕がその背中を殴る。
強靱無比な肉体を持つ獣人からすれば、それは文字通り痛くも痒くもないだろう。
肉体的には、痛くも、痒くも。
「何で皆……、居なくなっちゃうのよ」
白銀の世界に、雫が落ちる。
彼女に掛ける言葉を、彼が持ち得るはずなど無かった。
求めているのは自分も同じなのだろう。嘗て皆が望んだ世界を。
故に自分は犠牲となって良い。こんな異端な力を持つ、自分など。
嘗てフェベッツェがその言葉を否定してくれたけれど、自分もまたそうであると納得したけれど。
やはり今は、あの時のようにはーーー……。
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