獣と巫女
《スノウフ国・国境線》
「……チッ」
果ての大陸を眺めるように、その男は座していた。
新雪が積もった瓦礫の上は酷く座り心地が悪い。冷たいし硬いし尖っているし。
今すぐにでもこの場を退いて別の場所へ移動したい、が。
体が、どうにも動こうとしないのだ。
「何してるのよ、こんなトコで」
彼の隣に座したのは一人の女性。
[空孕竜]フーセボンに乗り、ふわふわと浮いてくる、女性。
デモンは彼女を前に一度眼光を呻らせるが、相手は引こうともしない。
その様子を見て二度目を諦め、彼は大きく、見せつけるようにため息をついた。
「……なぁーにやってんだ、ラッカル・キルラルナ」
「アンタこそ何やってんの、デモン。黄昏なんてらしくないわね」
「うるせぇ。俺だって色々考えることもある」
「どーせ今日抱くのは誰か、とか下らないことでしょ? 相手してあげよっか?」
「お前獣人とガキなら誰でも良いじゃねぇか……」
魔力の粒子となって消え果てるフーセボンから降りて、彼女はデモンの隣へと腰掛けた。
似合わないとは言われても、確かに彼は黄昏れていた。これからという物を、滅多に使わない頭を使って考えていたのである。
となれば一人になりたいと思うのも当然であろう。霞みに消えかかったあの
地の果てのように、未だ冴えない思考をそうさせる為には。
しかし追い払うにもこの女が退くとは思えない。
となれば、もう居ないものとして考えた方が余程良い。
「ねぇ」
「…………」
「ねぇってば」
「だぁああああああああああああッッ!! うるせぇなぁ!! 俺は今考え事してんだよ!! 解るか!? 悩んでンだよ!!」
「貴方が悩んでも意味ないでしょ」
「うっせぇなァ!! 俺と知り合って一年も経たねぇ女が何を分かった風に!!」
「……それもそうね。だって私、何年も過ごしてきたこの国のことでさえ、解んないんだもん」
彼女は膝を抱え、自身の顔を埋め込んだ。
怖い。この国が、段々と変わっていくことが。
大好きな子の涙さえ拭えぬようになっていく自分が。
ただ眼に見えない何かが変わっていくことが、怖い。
「貴方みたいに何も気にせず、何も護らず……。ただ自分の好むように力を震えればそれはどれだけ楽でしょうね。そして、どれだけ悲しいんでしょうね」
「俺を勝手に決めるなっつったろ。俺は俺の好きなようにやる。その中に護るだの悲しいだの楽だのはねぇ。あるのはただ滾るかどうか、だ」
「……貴方は今、滾ってる?」
微かに、デモンの牙が震える。
今し方黄昏れていた理由を言い当てられたのだ。僅かながらに動揺を見せたとしても不思議ではない。
いや、その場で激昂しなかっただけ上等だろう。或いは、激昂する気概さえ無くなってしまったのかも知れないが。
「何でだろうな。俺はツキガミが齎す戦乱の世を、今とこれからを望んでたはずだ。右向きゃ剣、左向きゃ銃、後ろを向けば槍で前を向けば拳。そんな、世界を望んでたはずなんだけどよ」
「……今の世界はそんな世界?」
「まさか」
ケハッ、と、笑うように息を飛ばして。
酷く落胆するように、眼を細める。
「何処向いても、死人しか居ねぇ」
誰一人として、生きていない。
ただ拳を交わし合っても、覇気の一つさえ感じられないのだ。
四国大戦の時ならば、誰もが生きていた。己の為、国の為と、他を殺して己が生きようとしていた。
だと言うのに今はどうだ。下らない眼前の光景に縛られて、誰も生きようとしていない。
こんな世界の、何が楽しいと言うのだろうか。
「いつからだ? いつからこの世界は、こんなに、詰まらなく……」
「……世界が詰まらないんじゃなくて、貴方が詰まらなくなったんじゃないの?」
やはりと言うべきか、デモンはその挑発にさえ激昂することはない。
然れど、故に彼は自覚する。己の牙が削られていることに。
ただじわりじわりと、自覚する暇さえないほど緩やかに、削られている。
誰がと問われれば世界。何故かと問われれば時代。
戦乱に見せられた獣は、ただ、己の牙が鈍らとなっていることに、気付く。
「……」
彼の手の内にあるのは、一つの宝石。
ハリストス・イコンが言うには自身の魔力の高純度結晶体だと言う。
さらに奴はこう言った。本来であればそれを使用した物は反動に耐えきれず文字通り肉体が内部から破裂して死に絶えます。
無論、例え貴方であろうと決して無事では済みません。
それでも貴方が享楽を望むのであれば、どうぞそれを使ってください、と。
「ラッカル、俺はどうすりゃ良い? テメェのやりてェようにやってるはずなのによ、テメェが何やってんのかが……、解らねぇんだ」
目の前が真っ暗ならば、藻掻けただろう。
しかし今は、目の前が明るくて、何も見えないわけではないのに。
自分が何を見ているかが、解らない。
「……好きにすれば良いじゃない。今まで貴方がそうしてきたように、何も、省みずに」
霧は未だ晴れることなく、果てを曇らせる。
幾度手を伸ばそうとその姿を掴めるはずなどなく。
ただ獣は、己の眼前に広がる物が何か解らず、その瞳を見開くことしか、出来なかった。
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