立って、奔る
【大監獄】
《最下層・通路》
「…………」
純白の刃を振り払い、彼女は漆黒を斬り裂いた。
その場に居る者達が、最早絶命寸前のデモンでさえも。
その美麗さを前に、ただ、口端を結ぶのみ。
「……師匠、いえ、ユキバさん」
焔の雨は降り注ぎ、純白の頭髪に紅色を照らす。
然れどその髪に紅が戻ることはない。衣に、刃に、戻ることはない。
ただ純白だけが、白銀だけが、その身に刻まれて。
「……何だよ? スズカゼ」
「デモンさんを連れて帰って下さい。今は、もう刃を振るいたくない」
「俺が今コイツを連れて帰れば治療できるぞ」
「そうしても良いから、帰ってくれませんか」
直感。
それ以上の言及は死を意味する、と。
彼女に最も与えてはいけない物を、与えてしまったのだ、と。
嘗ての三年間で、自分達は彼女に死を与えてしまった。
故に彼女は死の神となった。死神と、なった。
「……この先は茨で、修羅の道だ。それでも進むのかよ? [災禍の姫]」
「私は、[災禍の姫]じゃない。私は[獣人の姫]だ。サウズ王国第三街領主にして伯爵、[獣人の姫]だ」
「未だ過去に縋るつもりか」
「縋る? いいえ、取り戻すんですよ。これからを」
気付けば、彼は嗤っていた。
ユキバではない。スズカゼでもない。
デモン・アグルス。残り数分程度であろう風前の灯火でありながらも。
彼はその最高の女を前に、嗤っていた。
「……俺は戻ってくるぞ、スズカゼ・クレハ。テメェと殺し合う為にだ」
「何度でも捻伏せます。何度でも、何度でも」
最早、抑え切れていない。
半身が乖離し、否、己の筋肉繊維のみで体を癒着させているだけの男が。
溢れ出る狂気を、溢れ出る歓喜を、溢れ出る悦嬉を。
その顔面を歪ませるほどに、抑えて切れていないのだ。
「……余り興奮するなよ、デモン。今でも気ィ抜いたら体が割れるだろ」
「帰るぞ、ユキバ。コイツと戦うのはもう少し後に取っておく」
「聞いちゃいねぇよ……」
どろどろと吹き出す黒紅。
それを尾のように引き摺りながら、彼は歩き去って行く。
ユキバもまた、デモンの背を追うように瓦礫を踏み越えていった。
漆黒の暗闇へ、消え失せるが如く。
「……さて」
彼女は周囲を見渡し、それを見つけ出した。
幾多の瓦礫の中に埋まる、彼女達。三つの光。
「無事ですか? 皆さん」
彼女の華奢な腕が自身の数十倍はあろうかという瓦礫を放り投げ、彼女達を発掘した。
地面に上半身が埋まって脚だけが出た、その三人組。
嘗て幾度かで会い、シンと同じく彼女を救おうとした、三人組。
「生きてますか?」
「……うっせー。お前こそ生きてんのかよ、シシッ」
「えぇ、私は」
彼女達を引き上げながら、スズカゼは微笑んだ。
いつしか無くしてしまった笑顔を、その頬に浮かべて。
彼が、たった一人の男が自分に与えてくれた、光のように。
「生きてます」
始めに飛びついたのはシャムシャムだった。
瞳に大粒の涙を浮かべて、彼女の名を呼びながら。
次にココノアが飛びついて、それに巻き込まれるようにムーも押し倒されて。
スズカゼはただ彼女達の泣き笑いに連られるように、その瞳から涙を流して、大きく、笑って。
「まだあの小娘を殺そうとするか? 三武陣よ」
「……魔老爵、ヴォーサゴ・ソームン」
老父は瓦礫の上を杖で超え、クロセールの隣へ歩んでいく。
琥珀の瞳がその姿を捕らえることはない。捕らえられるほどの、余裕がない。
眼前の女は敵だ。奴を殺さなければ世界が滅ぶ。
解っている、解っているはずだ、解っているはずなのに。
「ヴォーサゴ殿よ、貴方に頼みがある。聡明者にして人生の先達である貴方にこそ……、頼みたい」
「……何じゃ、若造」
「スズカゼ・クレハを殺さなくて良い言い訳を、考えては貰えないだろうか」
「理屈で動く人間というのは、どうしようもない物だのう」
渇いた笑いは零しながら、老父は顎先の髭を撫で伸ばす。
クロセールならば己に負けず劣らずの知能があろう。然れど、今は回せまい。
今だけは、どうしようもなく、この男も。
「……本来、貴様が殺そうとしていたのは器であるあの小娘だ。だが、今の小娘には神が宿った。ハリストスが創り出した[賢者の石]は奴の存在を一つ引き上げたのだ。即ち」
「神となった、ですか」
「その通り。貴様が殺そうとした器はもう居らぬ。居るのは、神が一人のみよ」
「……ならば、殺せませんな」
「嗚呼、殺せぬな」
ヴォーサゴが合図すると共に、スーは治療道具を懐から取り出して皆の手当を開始した。
いまいち納得出来てないチェキーも仕方無く彼女に協力し始める。
彼女達は、いや、スズカゼ・クレハは光を得た。
具体的な何かを得たわけではない。或いは失いすらしただろう。
然れど彼女はもう転ぶことはない。彼が、シンが託してくれた剣があるから。
信念が、想いがあるから。ただその身に宿るのが決意のみだとしても。
彼女が折れることは最早、決してありはしないだろう。
故に奔る。その先へ、ただ神たり得る少女は。
止まる事無く、奔り続けるのだ。
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