諦めぬ者と引っ繰り返す者
【大監獄】
《第二階層・廊下》
「……多少、手こずったが」
クロセールは頬を拭おうとしたが、ナイフによる切り傷に気付き指先で僅かな氷を作り、傷痕を氷結させる。
応急処置としては余り良いとは言えないが、痛みを誤魔化すだけの効果はあるだろう。
尤も、これを全身に施すだけの余裕はないのだが。
「シシッ……、クソが……」
壁面にもたれ掛かるのはムー。
否、琥珀に輝く壁面に貼り付けられたのは、と言うべきか。
クロセールが取った行動は己の残蔵魔力の半分以上を放ち、この階層全てを凍らせるという物だった。
罠があるのなら全て凍らせてしまえば良い、敵が何処に居るか解らないなら全て凍らせてしまえば良い、という。
それは、普段の彼なら絶対に取らない行動である。
その絶対に取らない行動を取らなければならぬ程に、追い詰められていたから。
「……どうにか、だな。まさかスズカゼ・クレハと戦う前にこれ程の魔力を消費させられるとは」
「行かせ……、ないぞっ……!」
ただ一人、未だ動けるココノアが立ち上がる。
然れどその四肢は琥珀の氷で固められ、全身は裂傷や凍傷による傷から滲み出た鮮血で濡れていた。
彼女の体力は流血と急激に低下した気温によって奪われ、最早立つことさえ困難だろう。
然れど、それでも、彼女は立ち上がる。立ち上がらなければならない。
「アイツは変で嫌で気持ち悪いヤツだけど、私達の友達なんだっ……!! それを、見殺しになんか出来るもんか!!」
「友達と仲間、どちらを選ぶつもりだ」
「どっちもだ!!」
一歩、疾駆。
獣特有の俊敏さを見せ、氷塊に覆われた腕が空を切り裂きて迫る。
クロセールは防御を行おうとはせず、然れど回避を行おうともしない。
その拳が何処へ向かうかを、知っているから。
「……っ」
緩やかに、崩れていく。
体力は限界だった。幾らシャムシャムの回復があれど、治るのは傷だけだ。
クロセールの一撃は相手から体力と治癒を奪う。傷口へ即座に凍傷を与える事によって壊死させる故に。
つまり、ココノアは既に体力が限界であるだけでなく、その身体さえも限界なのだ。
立ち上がる事さえ限界だったのに、そこから攻撃を加えようなどーーー……、不可能であるのは言うまでもない。
「……殺しはしない」
この者達も、例えそれがスズカゼであろうと仲間を守ろうとしたのだ。
せめてその意思に敬意を表して命は助ける、と。
それがクロセールの払える最大限の慈悲だった。
「待、て……!」
脚が、掴まれる。
這いずる様にココノアの手が彼の脚を掴んだのだ。
いや、それだけではない。己に向く銃口とナイフが一つずつ。
「まだ……、抵抗すると言うのか」
「生憎と諦めが悪いんだよ、シシッ」
「……確かに、私達は弱者です。でも」
「私達から諦めを取ったら……! 何が残るって言うんだ!!」
彼女達の咆吼を前に、クロセールは静かに瞳を閉じる。
願わくば、こう在りたかった。仲間を守る為に何もかもを捨てられるような人間になりたかった。
だが、もう遅い。この世界を救うために、自分は全てを捨てたのだ。
だから、止まる訳にはいかない。此所で、止まる訳にはーーー……。
「……待てよ、三武陣」
凍てついた地を、割る音がした。
それは死の足音であり、狂楽の足音であり、崩壊の足音であり。
クロセールからすれば、己の仲間達の敗北を意味する足音であり。
ココノア、ムー、シャムシャムからすれば、転機の足音であり。
その者自身からすれば、戦闘という晩餐を示す、足音であった。
「……貴様、フーとオクスはどうした?」
「言わずとも解ろうが。……ま、殺しちゃいねぇよ。今は看守長が看守共を再編成しながら三武陣の二人を捕縛してんじゃねぇか?」
「……そうか」
クロセールの指先に生成される琥珀の氷柱。
対するデモンは、何も行わない。構えすら見せない。
元より彼は武術や武芸を嗜んでいる訳ではない。ただ本能と衝動だけで戦うが故に、構えはないのだ。
然れど、それを加味したとしても、彼は戦闘状態ではない。
街中を歩くような、食事時のような、酷く落ち着き、警戒さえ見せぬ姿。
「どういうつもりだ?」
「……いや、思いの外コイツ等に削られたみたいだなァ。このまま戦うつもりだったんだが、これじゃァ戦っても楽しくねぇなァ」
「だとすれば……、どうする?」
亀裂が、奔る。
「引っ繰り返す」
彼の剛脚は大地を裂き、幾多に重なる階層を貫いた。
瓦礫の果てに琥珀の氷は砕け、幾多の階層は衝撃の元に崩壊していく。
嵐の中、瓦礫という嵐の中で、クロセールは見た。
その男が嗤っているのを。周囲に散らばる者共などには眼もくれず、ただ瓦礫の最中。
獣の眼光を持って、その先へ狙いを定めているのを。
「……戦闘狂めが」
落ちる、落ちる、何処までも。
引っ繰り返った盤面が示すのは何か。引っ繰り返った盤面の上に残るのは何か。
それは、引っ繰り返した者でさえ知るはずはない。誰一人として知るはずはない。
故に、ただ。この行く末を知るのは、何人もーーー……。
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