表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣人の姫  作者: MTL2
虚ろなる世
668/876

悲願成りて


【大監獄】

《第五階層・廊下》


「……」


暗い。腕を伸ばせば、指先が見えぬほどに。

足下でさえも、蝋燭より弱い焔が点していなければ何一つ見えないだろう。

それ程までに暗闇。漆黒過ぎる程に、黒。


「……ッ」


いや、それ以上に恐れるべきは殺気。

この大監獄の最下層に投獄されている連中の放つ殺気が、己の背筋を凍らせる。

流石と言うべきか、それとも悍ましいと言うべきか。

大監獄の最下層に封じられた連中だ。余り関わり合いになるべきではないだろう。


「お、おい! 出してくれ!!」


牢の鉄柵に飛びついたのは猿の獣人だった。

痩せこけた頬を必死に裂くが如く伸ばしきり、何度も何度も鉄柵を揺さ振っては金属音を掻き鳴らす。

闇に浮かぶその眼に伝う充血もあって、その者の様子は余りに、余りに恐ろしい。


「私は! ちょっと話が違っただけなんだ!! 騙すつもりなんか無かった!! 私は、私は悪くないんだ!! 私はぁっ!!」


シンは眼を逸らしつつ、奥へと戻っていく。

咎人が投げ込まれるこの世界に彼女は居る。この暗き世界に、彼女は。

焦燥。自身の心が急かす。速く助けろ、と。ただ虚空に叫ぶように。


「そうやって、人は己を責める」


少年は彼の背中を眺め、呟く。

例えその眼前を歩んでいても気付かぬであろう、言葉で。

聞こえるはずもない存在が、ただ呟く。


「幻想は常に己を切迫させ、追い詰める。そこに意味などないのに、在るべき幻想を願い続け、人は幻想と成る」


暗闇へ喰らわれる背中を見送り、彼は微笑んでいた。

幻想は叶わないから、存在しないから幻想なのだ。

君が見るその幻想は、さて、どのような意味を持つのかーーー……、と。


「……?」


ふと、シンは振り返る。

其所に誰かが居るはずなどないけれど、現に誰も居ないけれど。

誰かが居るような気がした。其所で、誰かが嗤っているようなーーー……。


「いや……」


そんな事を気に掛けている暇はない。

最奥は直ぐ其所にあるはずだ。左右の牢の感覚も、段々と狭くなってきている。

いや、そうではない。奥に進めば進むほど牢ではなく鉄扉となってきているのだ。

厳重に、例え暗闇であろうと外界の存在を断つが如く。


「……っ」


それは、あった。

一つ、明らかに魔力での封が施された鉄鎖。

一つ、その鎖の中に通じる怨々しい闇を放つ柱。

そして、最奥にある、黒金の扉。


「此所に、居る」


触れれば腕が消し飛ぶであろう多重結界だ。

恐らく、嘗て見た[封殺の狂鬼]のそれよりも強力で、強固だろう。

自分には解けない。開くことすら出来ない。

自分だけ、ならば。


「……皮肉だな」


この結界を造ったのも、この大監獄を造ったのも、この機会を造ったのでさえ、ユキバ・ソラだ。

彼女を封じる為に全てを整えたのはあの男達であり、彼女を封じたのもまたあの男達である。

然れど、彼女を救うのもまた、あの男の力あってこそなのだろう。


「魔剣……!」


彼の衣服の中より出でし、一振りの剣。

それは牢獄に施された封より禍々しく、悍ましく、恐ろしい。

或いは生命の根幹を愚弄するが如き、或いは人々の息吹を踏み躙るが如き、剣。


「ーーー……一文字」


彼の斬撃は空を斬る。

音はなく、衝撃もなく、感触もない。

然れどシンの眼に歪みはなく、焦りは無い。

ただその一閃が奔った軌跡だけを瞳に刻み、刃を反す。


「景斬」


扉は、緩やかに。

水球が水面に沈むように、緩やかに。

鉄鎖も支柱さえも、全てが。

ただ緩やかに、音すら無く、滑り、崩れる。


「……っ」


鼻腔から歯茎に掛けて、流血。

いや、実際は唾液に血の臭いが混ざっているだけだ。

一太刀であれ、この身を蝕むには充分過ぎる。

然れど未だ死せず。この身、未だ夢叶えずして、死ぬことや無し。


「スズカゼさん!!」


扉の奥、一室。

鉄鎖が音を立てて掻き鳴らされる。

彼は破片を踏み躙り、その者へと駆け寄った。

眼から輝きを失い、四肢から自由を失い、その身に魂を失った、彼女の元へと。


「スズっ……」


彼は、言葉を失う。

スズカゼの参上を理解していない訳ではなかった。

ボロボロになった彼女の姿を想像していない訳ではなかったし、覚悟していない訳でもない。

それでも、それでもだ。

彼女の瞳が、何も捕らえようとしない瞳が。

シンという一人の、彼女を愛した男にとっては。

どうしようもなく、悲しかった。


「…………スズカゼ、さん」


それでも、駄目だ。

今、自分はムー達の強力のお陰で此所に居る。

彼女達が身の危険を省みず協力してくれたから、此所に居る。

だから、駄目だ。立ち止まれるはずなどない。


「帰り、ませんか? 俺は、いや、俺達は貴方を迎えに来ました。こんな所に居ないで、帰りませんか……?」


必死に絞り出した声に、彼女は瞳を向ける。

何も映らない、濁り切った瞳を。

自身を救いに来た青年の姿すら映るはずもない、瞳を。


「貴方なら、また、出来ますよ。皆を救える! 皆を助けることがーーー……」


ふつり、と。

少女は垂らすように、その言葉を述べる。

シンは何も言えなかった。何も、返せなかった。

彼女の言葉に、その言葉に。


「私を、殺してくれませんか」


その言葉を前に、彼は、何もーーー……。



読んでいただきありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ