暗闇での問答
【大監獄】
《最下層・看守室》
じゃらり、と鎖の音がする。
それが己の発した物でない事をスズカゼは知っていた。
その鎖の主が何者であるかも、知っていた。
「……また、来たんですか」
彼女の眼前に立っていたのは、齢十にも満たぬほどの少年。
草臥れた白色の衣と四肢に巻かれた、薄汚れた白が彼の持つ色だった。
この薄暗く、いいや、最早暗闇である牢獄の中ではよく映える。醜いほどに、映える。
「……えぇ、来ましたよ」
少年は褐色の唇を動かし、僅かに俯いた。
顔と首元だけから微かに覗く肌色は闇に溶けるように不気味。
然れど、スズカゼはその少年に警戒の意思は見せていない。
もう幾度も、彼はこうして来ているのだから。
「この大監獄に投獄されてもう何年か……。少なくとも四国大戦が終わった頃に私は此所に投獄された」
少年は足を一歩前へと引き摺った。
同時に彼の足首を縛る鎖がじゃらりと音を立て、床地を擦る。
その先にある巨大で重鈍な鉄球など物ともしないように、平然と。
「だから、今の世界がどうなっているか解らないんですよ。けれど全ての中心に居たという貴方なら話は聞けるはずだ」
「……別の人の所に行けば良いでしょう。私が話せることは、何もありませんよ」
「貴方はいつもそうですね。まるで自分は何も出来ないと言っている様にさえ思える」
スズカゼの口から否定の言葉は出ない。
事実、そうだ。仲間一人守れず、仇一つさえ討てず、救った仲間に認めて貰うことさえ出来ずーーー……。
結局、そうなのだろう。自分は無力で、何の資格もない人間なのだ。
何も出来ない、人間なのだ。
「どうやら、貴方には転機が必要なようだ。もう利用されるだけの運命から脱する転機が」
「……何が言いたいんですか」
「僕は何も言いませんよ。ただ、日々の中を平穏に過ごし、この美しき世界を保てれば、それで良いと思ってる」
僕は良くも悪くも枯れ果ててしまった。
この世界に絶望したのに、それでもまだ希望を求めている。
まるで、一度は陽から身を隠したのに、死刑台の上で再び太陽を崇める囚人のように。
僕は、嗚呼、僕は、どうしようもなく我が儘なのです、と。
彼はそう呟き、スズカゼの前に腰掛ける。
小さく華奢な体は、精々スズカゼの半分ほどしか無いだろう。
褐色に纏われた、濁りの白々も闇の中で映えこそすれど、決して存在を増す物ではない。
然れどスズカゼの瞳には、その少年が、ただ物静かで何処か達観したその少年が。
余りに、大きく見えてーーー……。
「……スズカゼ・クレハ。貴方のように歪な存在であれども、地上で過ごした時間は確かであったはずだ。ならばそれを僕に少しだけ分けてください。僕はどうしようもなく、餌を求めるひな鳥が囀るようにどうしようもなく、地上の事が知りたいのです」
「貴方なら、外に出るのは容易いでしょう。ならば外に出て見れば良い。貴方の思うように、貴方のやりたいように」
「駄目ですよ。僕は咎人だ。赦されざる存在だ。……嗚呼、確かに僕が光を望めば手に入るでしょう。しかし、それを成してはいけない。人を人たらしめるのは自戒であり、自責であると僕は思っていますから」
「……自戒は喪失を、自責は焦燥を生みますよ」
「えぇ、そうでしょうね。貴方の言葉には真がある」
何処か楽しそうに、少年は微笑む。
いや、現に彼は楽しんでいる。眼前の虚ろな少女との会話を。
嘲笑う訳でもなく慈愛の笑みを浮かべる訳でもなく、純粋に、楽しんでいる。
「……貴方は何者ですか」
幾度となく言葉を交わしてきたように。
スズカゼもまた、問う。幾度となく問うてきたその言葉を。
だが、返ってくるのはいつも同じ言葉。決して変わらぬ、言葉。
「僕はただ世を見る怠け者です。人ではなく獣ではなく、そして魔でもない存在です」
「だったら、貴方はいったいーーー……」
「それを知るにはまず貴方が自分の存在を知るべきだ。自分は何者かを、ね」
じゃらりと音が鳴る。
少年は立ち上がると共に埃を払うと、静かに息を吐いた。
いつも通りだ。彼はこうして会話が終わると共に足下の土を払う。
もう何度も、繰り返された光景ーーー……。
「嗚呼、そうだ」
然れど。
今までとは違う、一言。
「最近、この周囲を嗅ぎ回ってる連中が居るそうですよ。誰かは知りませんが、彼等を目撃した看守の一人がその言葉を聞いたそうです」
踵を返し、拳ほどの厚さを持つ鉄扉に手を添えて。
彼は僅かに振り返り、緩んだ口元と真っ白な歯を見せて、笑う。
「スズカゼ・クレハは何処だーーー……、と」
少女の瞳は見開かれ、欲す為の言葉が溢れ出す、が。
それに応える者は最早居ない。鉄扉は開いた痕跡すらなく、依然変わらず佇んでいる。
何も、変わらない。何も、ない。
故に少女は息を詰まらせる。先の言葉に恐怖を感じたから。
もう誰も私を求めないでくれ、と。もう誰も私に近寄らないでくれ、と。
何も持たぬ少女は、無力で虚ろな少女は、ただ。
懺悔と後悔と求助の言葉に、身を委ねながらーーー……。
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