大監獄に務める者達
【大監獄】
《最下層・看守室》
「九百九十九号室と零号室の囚人だけは逃がすな」
長髪の、見るからに高圧的な女性は幾人かの囚人を前にそう述べる。
彼女は赤色の髪を掻き分けつつ、自身の眼前に並んだ数十人を前に、だ。
その女性の部下達は毎日毎日聞かされる言葉にうんざりと肩を落としつつ、もう数時間は続くであろう説教に堪え忍ぶ、ばかり。
「……話長いんだよなー」
「今言ったのは誰だ?」
空気が、凍る。
最後尾の新人達の中、二人の視線がその獣人へと突き刺さった。
誰もが言葉を無くす中、刻々と流れていくだけの空気。
しかし、やがては女性の呟きによって空気は溶かされていく。
「新人共は全員廊下の清掃だ」
尤も、罰則という形によってだが。
《第二層・廊下》
「お前の所為だバカ。シシッ」
「な、何でだよぉ! ホントの事だろぉ!?」
「け、喧嘩は駄目……」
蝋燭が照らす、薄暗い廊下。
牢獄のある一室に繋がるその廊下を彼女達は必死に清掃していた。
水を含んだ柔毛箒を地面に擦りながら、その上を渇いた硬毛箒で擦っていく。
薄暗い廊下に似合う汚れは彼女達の清掃によって見る見る落ちていくが、ぎすぎすとした空気が晴れる訳ではない。
「……ったく、私達だって何が悲しくてこんなトコで看守なんかやってんだ。シシッ。我等が[超獣団]は看守が仕事か?」
「だって戦争始まっちゃってたし……」
「でも戦争は終わったじゃねぇか。スノウフ国が漁夫の利宜しく四大国を支配してよぉ」
大戦の顛末は、後に新聞で大きく取り上げられた。
その題名に刻まれていた文字はベルルーク敗北、スノウフ勝利、と。その二言。
端的に述べればサウズとシャガルの存在は無かった。連合として参加したサウズは主戦力であり、当時の権力者であったゼル・デビットを失って国力を地に落とし、中国と成り果てたのだ。
シャガルもまたベルルークが敗色濃厚となると後方からの支援や戦地となったスノウフ国、その周辺に支援を行ったが一度利用されていた立場という地位は回復しきれず、スノウフ国の属国に等しい形となってしまった。
また、ベルルーク国についてだが、こちらは敗戦の責任を取って国土を大幅にスノウフ国へ壌土する事になったそうだ。
だが、一つ。止まるはずもなかったベルルーク国の軍に対する叛乱はぴたりと止まっている。
一年前、戦争が終結する頃に当時の責任者であるバボック・ジェイテ・ベルルークが数百人の兵士と共に一切の武装を捨て、叛乱軍に投降した為と思われる。
恐らくは保身の為に一度は捨てた叛乱軍を頼ったのだろうとまことしやかに囁かれたが、一説には聡明なる彼の、後世に残す僅かな罪滅ぼしでは、という意見もあった。
尤も、それは歴史の中へ埋没していく俗説だろうがーーー……。
「とーもーかーくぅ!! 勝ったのはスノウフ国なんだろ!? だったらスノウフ国で働けば大儲けじゃないかー!!」
「そ、そうもいかないんです……。何だか、今のスノウフ国は空気がおかしいらしくて……」
「シシッ、その通りだぜ。変な連中がフェベッツェ教皇に変わってスノウフ国を支配してるって噂だ。シシッ。……まぁ、フェベッツェ教皇もお歳だったそうだから仕方ねぇんだけどな」
「……私達だって一回見逃して貰ってるしなぁ。無関係じゃないよなぁ」
「せめて勝利を見届けてからなら、報われたんでしょうけど……」
現在、スノウフ国にフェベッツェ・ハーノルドの名称を持つ者は居ない。
戦時中、連合軍とベルルーク軍が激突していた際に急病で亡くなった前教皇が最後の所持者だった。
現在のスノウフ国における最高権力者はダーテン・クロイツである。
元老院も一応は存在しているとされているが、今は最早形骸だけの置物だろう。
今となってはスノウフ国の行く末を決めるのはダーテン、だが。
彼もまた何か不明な集団を引き連れているという話がある。
故にスノウフ国は何処か不穏な空気が流れている、という訳だ。
「シシッ。今でもこんなトコで平和に暮らせてんだ。ちょっと暗いし監獄長は怖いし囚人は恐ろしいけどな」
「それが問題だろぉ!? この前なんか最下層に迷い込んで物凄く怒られたんだぞ!!」
「あ、あの場所には幹部の方々しか行けませんし、囚人も途轍もない人達ばかりですから……」
「……うー」
ぶつくさと文句を垂れながら彼女は、ココノアは柔毛箒へともたれ掛かる。
元より水で湿った床と不安定な柔毛箒だ。彼女がどてんと大きな音を立てながら転ぶのは必然だったのだろう。
そんな様子を前にムーは大きくため息をつき、シャムシャムは慌てて彼女を抱き起こした。
いつも通りの光景だ。彼女達もまた、暫くはこの場所で働いてから何処かへ移動してお金を稼ぎ生きていくんだろうと思っていた。
いや、彼女達だけではない。この世に生きる民々は皆、そう思っている。
戦争が終わり時代が変わろうと自分達の生活は変わらない。ただ老い死ぬ、と。
そう、思っている。
故に気付かない。世界の変貌に、気付かない。
スノウフ国に蠢くその影に、否、この世を蝕むその影に。
気付くはずなど、無かったのだ。
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