全ては虚ろへ
【大監獄】
《最下層・第九百九十九号室》
「……」
寒い。
指先の、いいや、手足の感覚はない。
蹲った自分の四肢に縛り付けられた鎖。
ただでさえ冷たい四肢からさらに温度を奪っていく、冷徹な鎖。
誰も居ない。この虚空には、誰も居ない。
ただ自分だけ。四肢を縛られ、灯り全てを奪われた自分だけ。
無力な、自分だけ。
「……嗚呼」
どうして、生きているのだろう。
自分は、何故。何故ーーー……。
【スノウフ国】
《大聖堂・大会議室》
「…………」
その者は闊歩していた。
革靴を赤絨毯の地に鳴らしながら、闊歩する。
一定の速度で、一定の幅で。まるで機械のようにーーー……。
いいや、そうではない。楽しんでいるのだ。一歩一歩を、楽しんでいる。
それこそまるで、歩くことを覚えた赤子のように。
「……」
その者の隣に、一人の獣人が歩み寄る。
歩み寄る、と言うよりはその少し後ろを歩いているというべきか。
従者が如く、その背後を彼と同じように闊歩する。
響く革靴の音は二つ。いや、三つ、いや、四つ。
段々と増えていく音の中で、ただその者は闊歩していた。
深緑の髪を持ち、真紅の眼を持つ、その男は。
「……」
扉の前に、到る。
先頭の男が止まると共に皆も歩みを止め、静かに待つ。
やがて先頭の男は巨大な扉に手を添えると、それを静かに押し出した。
「……ご苦労、諸君」
彼が踏み行った、巨大な円卓のある会議室。
その場には疎らながらも幾人かが既に座していた。
然れどその者達は全員立ち上がり、先頭を歩んでいた者を前に両足両手を揃え、背筋を伸ばす。
それこそまるで、王の謁見が如くーーー……。
「ツキガミよ」
彼の眼前へ歩み出たのは巨漢。そのツキガミと呼ばれた男の数倍はあろうかという、大男だった。
然れど大男は恭しく膝を突き、彼の眼前へ頭を垂れる。
従者と言うよりは、下僕のように。
「御身の元に」
姿勢を正した者達は皆、彼に追随し同じく言葉を述べる。
ツキガミなる者の背後に属していた者達も同様に述べる、が。
ただ一人、いや、正しくは二人、言葉を述べる者は居ない。
「デモン……、いや[暴食]。貴様、ツキガミ様の御前だぞ」
「……うるせぇ。俺は戦いがしてぇからテメェ等の誘いに乗ったんだ。一年前の下らねぇ茶番も、その為に付き合ってやったんだからな」
大男の、否、オロチを前にして、[暴食]ことデモンは眉根を顰めて牙を剥く。
オロチは呆れるように肩をすくめたが、ツキガミはそれを片手で制す。
「貴方こそですよ、オロチさん。ツキガミ様の前で口喧嘩など情けない」
その男、表情一つ変えずに、笑みの顔一つで何ら変わらず述べる。
幾人かの視線を集めようと、その男の顔は相変わらず変わらない。
いいや、変わるはずがないのだ。その、仮面は。
「……[嫉妬]」
「はは、バルドで良いですよ。そんな堅苦しい名前は気に入りませんから」
「貴様等の[大罪]は真の降臨に必要な物だ。……忌々しい、一年前の妨害さえ無ければ」
「その妨害者が今の器であり、ツキガミ様なのでしょう? そんな言い方はどうかと思いますがね」
オロチの眉根は歪む。言い返せない言葉を前に、より深く。
そんな彼を嘲笑うようにバルドの表情は未だ変わらない。いいや、或いは気に掛けないようにーーー……、か。
「皆、喧嘩しないで、ねっ?」
彼等の空気を前に、レヴィアは何処か引き気味な微笑みを見せる。
然れど空気は変わらず。未だ変わらぬ、錆び付いた歯車のような空気は。
だが、そんな空気を打ち破ったのは意外にも嘲笑うかのような嗤声だった。
「無駄だ、レヴィア。そんな堅苦しい男共に話が通じるものか」
「……貴方は少し傲慢過ぎるわ、ヴォルグ」
「おいおい、[傲慢]はデューの称号だろう?」
「そういう意味じゃなくてね……」
元ギルド統括長にして、件の一件にて死亡したはずの男。
彼は同様に部下であるヌエを背後に、ただ佇んでいた。
いいや、ヌエではない。その者は[白縛]ーーー……、或いは[色欲]と呼ぶべきか。
「我々は未だ目的を達成してはいない」
[傲慢]デュー・ラハン。
[強欲]ダリオ・タンター。
[嫉妬]バルド・ローゼフォン。
[憤怒]グラーシャ・ソームン。
[暴食]デモン・アグルス。
[色欲]ヌエ。
[怠惰]ユキバ・ソラ。
「そして三賢者としての、我々だ」
彼等の目的は過去の大戦、お伽噺や伝承の再現。
嘗て七人の大罪人が存在した。彼等の罪を己に用い、オロチ、レヴィア、ヴォルグが三賢者として役割を成す。
本来であれば必要の無い措置であった。これは全ての準備が整えられた上で、最後の手段であるはずだった。
「だが、必要となった。その男ーーー……、ゼル・デビットがツキガミの器となったが故にな」
彼は。
先頭に立つ者は、変わらぬ眼で世界を映す。
嘗ては深緑だった眼で、今は真紅色の眼で。
喰い千切られた両腕はツキガミの力によって再生し、死にかけだったはずの肉体もまた、同様に。
唯一戻らぬのは、そう。
彼の魂のみ。
「我々には成すべき事がある。真の器は大監獄に封じ込めた。ならば、我々は未だ抗う蛆虫共を潰し、着々と準備を進めれば良い。誤差こそ出たが一年だ。たった一年だ。……我々が過ごしてきた時間に比べれば空を舞う埃にも劣る。だろう? オロチ、レヴィア」
二人は、否、二体の天霊は僅かに顎を引く。
全ての部隊を用意し、成した。然れどそれが少し伸びた。
ならば再び成そう。幾億という年月、人間という害虫、四天災者という災禍に蝕まれたこの世界を取り戻す為に。
その為ならばまた、何にでも犠牲にするという、心持ち故にーーー……。
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