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獣人の姫  作者: MTL2
決戦・後
655/876

想望へと到る者

【雪山岳】


「ーーー……ぁ」


ゼルは静かに、膝を折る。

眼前の両腕を組んだ大男を前に。

積雪へ崩れゆく肉体と、その身を流れる鮮血。

口鼻腔より溢れ出る、鮮血。


「ゼルさっ……!」


同様に、スズカゼもまたその身体を積雪の上へ投げ出していた。

指先一つ、動かない。溢れ出る鮮血と漏洩する魔力は、魂の欠片が抜け出るように。

動かない。体が、どうしようもなく、動かない。


「大丈夫だ、死にゃしねぇ……」


そうは言っても彼の身体は最早限界を迎えていた。

両腕を失った上に煌鉄の剣帝(アウロン・エイゼルデ)、及び耀鉄の剣神(ルドロン・シヴァーデ)の多重発動。

魔力は底を突き、肉体は限界を迎えて、いいや、最早超えている。

彼がこうして生きているのは奇跡と言えるほどに。


「スズカゼちゃん! 大丈夫!?」


瓦礫を避けながら、レヴィアはスズカゼの元へと走り寄ってくる。

彼女はその側に直ぐさま膝を突いて水球を発動、スズカゼの傷を癒やす。

擦り傷や切り傷も、全てが治癒の水が癒やしていく。

疲労さえも、その水に溶けるが如く、染み渡るように。


「ゼルさんも、癒やし……て……」


「喋っちゃ駄目! 彼よりも貴方の方が重傷なのよ!?」


必死で治療するレヴィアの肩を叩く、巨大な掌。

段々とスズカゼを癒やす水球は静かに縮み、枯れ果てる。


「オロチ……?」


「今しかない。四天災者は退いたが、奴はまだ生きている」


「けれど! スズカゼちゃんはこんな状態なのに……!!」


「あの男のように、我々の想像を超える人間がまだ存在する。実力は劣り魔力も劣り、それでもなお抗ったあの男のようにな」


オロチが振り返った先に立つのは両腕を組んだ巨漢。

その男は動かない。表情一つ揺らがさず、修羅が如き憤怒を刻んだまま、不動だった。

不動にて、死していた。


「急ぐしかないのだ。解ってくれ」


レヴィアは悔しそうに、酷く悔しそうに、掌を握り締める。

白雪のような純白色の肌に血が滲み、それは静かにスズカゼの頬へと滴り落ちた。

彼女の傷付いた肌を流れていく紅色。涙のように滴り、流れていく紅色。


「……こんな状態で、降臨を行わねばならん事は我が不徳の致すところだ。然れどのぅ、行わねばならん。今こそが幾億の刻の中で赦された、唯一無二の刹那なのだ」


オロチもまたスズカゼの隣に跪き、その華奢な手を握り締めた。

弱々しい。今にも枯れ果てそうな、脆い手だ。

それでもこの手が、世界を救う。救済の差し手となる。


「スズカゼ・クレハよ。今こそ貴様の望んだ復活の儀を行う。貴様の身には途轍もない負荷が掛かり、よもやすれば死ぬこともあろう。然れど、気を強く持て。気を強く持てば持つほど貴様は強き器となろう」


男が懐より抜いたのは一つの宝石箱。

いや、宝石箱というには余りに無様。一切の装飾はなく、一切の華美はない。

だと言うのに、それは瞳を覆ってしまいたくなる程に神々しく、美しい。

見る者の心を奪うとはこの事だろうと確信できる程に、美しいのだ。


「これは魂魄となる」


「……魂、魄?」


「この世の生命の根源。万物の祖の魂だ。これを使い、今この場で貴様の仲間を復活させる」


緩やかにその宝石箱が開かれ、それは現れた。

白雪や純白という言葉では表せぬ、最早透明に等しき程の白。

輝きは魂を狂喜させるかのように眩く、精神を覆うように優しい。

美しい。それ以上の言葉がない程に、美しい。

少なくともスズカゼは、これ以上美しいものを、知らない。


「見惚れるのは後だ。早く、始めるぞ」


オロチに支えられ、スズカゼは傷だらけの身を引き起こした。

彼女が向かうは山岳の中心。いいや、今はもう陥没地の中心と述べるべきか。

全ての瓦礫が、先程まで万物を滅す物が居たその場所へと、彼女は万物の祖を持って、歩む。


「スズカゼ殿!!」


その彼女へ、叫んだのは一人の騎士だった。

フェベッツェ教皇の言葉を伝える為に走ってきた彼女達ーーー……、デイジーとサラ。

二人が眼にしたのはオロチに支えられ、陥没地の中心へと歩んでいくスズカゼ。

酷い傷を負ってもなお、歩むスズカゼの姿。


「……デイジーさん、サラさん」


「何と言う傷を……! 今すぐ、今すぐ治療を!!」


「ゼルさんを、頼みます」


彼女は微笑んだ。

三年前のように、あの時と同じように。

またあの日々を取り戻す為に、微笑んだ。


「……デイジー、私達はゼル団長を」


「だが、サラ!」


「あの人は覚悟を決めましたわ。成すべき事を成そうとしている」


だから、私達は自分達の成すべき事を成しましょう、と。

彼女はデイジーの手に応急処置の道具を手渡した。

弱者の強さがあるべき時だ。それは解っている。

けれど、何も出来ないのはやはりーーー……、歯痒い。


「ここから、どうすれば?」


「願い、欲せ。貴様にはその資格がある」


オロチの言う通り、スズカゼはその魂魄を胸に陥没地の中心へと手を翳す。

大地は揺らめき、幾多の瓦礫は枷を失ったかのように空を舞い、躍動は大陸全土へと伝わっていく。

それが何かの前触れである事は、この世に存在する物、全てが理解出来た。

躍動は次第に大きく、大きく、大きく、然れど、静かに。

己の掌に何かが収束していく事に意識を集中させながら、スズカゼはぞくりと背筋に走る寒気を覚える。

これがオロチの言う負荷なのだと、直感的に理解出来た。

気を強く持てば持つほどその負荷は大きくなるように、スズカゼへと襲い掛かる。

然れど彼女は負けず、ただ意識を強く持つ。


「三年……!」


三年、耐えた。

己の体を蝕む自己嫌悪に、仲間の骸の姿に、三年耐えた。

だから、今こそ取り戻す。今こそ、あの日々を取り戻す。

その為に全てを犠牲にしてきた。だから、今こそ、今こそーーー……!


「……到る、か」


オロチの呟きはそれを指し示す。

彼女の前に、現れる白き肉塊。

それは肉であり、形であり、造形であり。

故、彼女の思い描く、一つの型となる。


「……ジェイド、さん」


大地に降り立つは漆黒の体毛。黄金の隻眼。

三年前、守れなかった者。三年前、死した者。

その者の魂が今、蘇ったのだ。


「ジェイドさっ……」


気付けば、スズカゼの頬には涙が伝っていた。

永かった。三年と、いや、幾億という刻は。

彼を待ち、彼等を待ち、ずっと、ずっと、苦しんできた。

それでもなお、今、漸くーーー……、救われる。


「……」


ジェイドは静かに瞳を開き、涙するスズカゼを映す。

彼は己の両手を眺めつつ、空を見上げた。

一度は死したこの身が、再び地に降り立った。

それが何を示すのか、眼前で涙する少女が何をしたのか。

全て、理解、出来る。出来るからこそ、出来てしまったからこそ、己の役目なのだと思う。


「スズカゼ・クレハ」


スズカゼの眼前、白銀一閃。

彼女の涙で潤んだ瞳の中にそれは煌めいた。

オロチの咆吼と共に、彼の片腕を裂き鮮血を散らす刃。

ジェイドの放った、刃。


「何故俺を生き返らせたッッッッッッッッッ!!!」


それは、怒叫だった。

理に叛し、己の身を再びこの世に降ろした少女に対する、憤怒。


「貴様は、俺をーーー……!!」


怒りの牙はオロチの豪腕によって振り払われ、岩壁へと叩き付けられる。

腕の裂傷から飛び散った鮮血はスズカゼの頬に付着し、涙と混じって大地へと落ちた。

紅色に濁って、墜ちた。


「……適正は見えた、か」


銃撃の音が、轟く。

スズカゼの心臓を貫く、一発の弾丸。

虚空を貫くその銃声に、誰が反応できただろう。

撃たれたスズカゼも、殴り飛ばされたジェイドも、重傷を引き摺るゼルも、それを手当てするデイジーも。

誰も、反応できない。

反応できたのは、そう。

全てを知っていた、オロチ、レヴィア、そして、サラ。


「良くやった。冥霊(ハデスト)ダリオ・タンター」


オロチの言葉と共にサラの顔は崩れ、別人のそれとなっていく。

皮が剥がれたのではなく、変装を解いたのでもなく。

ただ、溶けるように、変わる。


「……サ、ラ?」


呆然と、言葉を失って、デイジーは彼女を見上げていた。

自分の親友だった女性が、全く別の存在へと変貌していく姿を。


「サラなんて女は居ないわよ。ずっとね」


「……サラを、サラを何処へ」


「言ったでしょう? サラなんて女は居ないの。あぁ、正確には居た、というべきかしら? 尤も、今はサウズ王国の下水道で骨になってるでしょうけど」


「貴様は……、貴様はいつから!!」


「聞こえなかったの? ずっと、よ。貴方がスズカゼ・クレハの護衛に任命されてから、ずっと」


私はサラ・リリエントだったわ、と。

女の銃口はデイジーの胸元に向けられ、放たれる。

虚しく響く銃声の中、ただ虚空だけが広がっていく。

闇夜に等しき、その企みだけが、虚空として。


「刻は来た」


永かった、と。

崩れゆく少女の目の前にある魂魄を掴み、オロチは天へと掲げ上げた。

空に刻まれし紋章は光を降ろし、器へと降り注ぐ。

虚空の中より現れるのは一つの存在。シャガル王国にてスズカゼに乗り移った、一つの。


{ツキガミ様}


オロチは、天霊オロチは両頬を歪ませ、嗤う。

待ち侘びたその者の降臨に。魂と器を用意し、待ち侘びたその者の降臨に。

何と永かっただろうか。全ての魂の欠片を集め、器たる存在を異世界から呼び寄せた、その刻は。

然れど今報われる。全てが、今、成されるのだ。


{ツキガミ様! 今こそ降臨なされよ!! 災禍を滅し、この星を救うのです!! この、人間という災禍に蝕まれし星を!!}


ツキガミと呼称されし、降臨者。

それは静かに己の手に収まった槍を振り被り、少女へと狙いを定める。

己の器へ、精霊と人間という境目を持ち、強き意思を持つ、己の器に相応しい存在へーーー……。


「……させるかよ」


弾ける、音がした。

何かが弾け、撥ねる音が。

それが、彼の最後の足掻きであり、最悪の抵抗であるとオロチが気付くのは。

彼がーーー……、ゼル・デビットが降臨者の槍に貫かれた、その刹那。


{貴様ぁあああああああああああああああッッッッッッッッッッッッッ!!!}


咆吼など無意味に、虚空は波紋する。

両腕を失った男の胸を貫き、その者と成り果てる降臨者の姿は。

虚空の中に、波紋する。


「……何、で」


少女が見ていたのは、何だったのか。

死に逝く仲間、消え逝く仲間。ーーー……変貌する、仲間。

何一つとして届かない。何一つとして得られない。

平和な日々も。過去の日々も。

ただ、彼女は、何も出来ない。

無力なるその者は、ただ、その意識を闇へと閉ざす、ばかり。



読んでいただきありがとうございました

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