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獣人の姫  作者: MTL2
決戦・後
653/876

彼が欲したる物は手元に


「くはは、くふ、くは、ふ、はは」


噴出する血流に擬えるが如く、嗤う。

己の脇腹、臓腑に到る傷から溢れ出る鮮血と呼応するように。

理解出来た。漸く、理解出来た。

求めていたのは強者だ、或いは己と同等の領域に到る存在だ。確かにそれは間違いない。決して違いなく、求めていた。

然れど気付いていなかったのだ。その強者に何を求めているのか、同等の領域に到る存在に何を欲していたのか。

血だ、肉だ、骨だ。

この鮮血が、何より潤してくれる。決して渇く事なき灼炎の精神を。

ただ、この紅色の鮮血だけが。


「くははははははははははははははッッッッ!!!」


咆吼に等しかった。

その男が、溢れ出る嗤いを抑えようともせずに。

ただ、それは咆吼に等しかったのだろう。

禍々しく歪んでいくその姿に相応しいと言うべきか。

嗤叫の姿に、或いは一瞬で癒着していく裂傷に。


「称賛しよう」


四天災者。

その意味を真に理解していないのは人か、或いは自身か。

恐怖すべきはこの存在が到達点ではないということ。

ただ、この男にとっての通過点でしかないということ。


「人も、災禍も、全てが我が糧」


通過点のための礎、或いは踏み台。

何故、気付かなかった。この時まで、何故。

ゼル・デビット。この男だけが到るに等しい力を持つ。

信念を無くした小娘や災禍の僕共にはない、力がある。


「解るだろう? 欲すだろう? ゼル・デビット」


深緑の眼に映るその四天災者の姿を形容する術を、ゼルは持たなかった。

双対の角、紅蓮の眼光、裂嗤なる牙、背の中枢より撓る強固な尾、魔が如き大翼、大地を裂く鋭爪。

悪魔、と。お伽噺や神話であればそんな陳腐な表現も赦されただろう。

然れど現実を前に、そんな表現が赦されるはずも、ない。


「お前も、死を欲するはずだ」


誰一人として彼の言葉に反応出来ず、誰一人として両足を動かせない。

ゼルの眼を覆う紅掌が、歪む。紅が深緑を濁すように、歪む。


「その義手なき耀腕こそが証だ。欲さぬのであれば死んでいたはずだ。欲さぬのであればその魂を捨てていたはずだ。だが、貴様は戻ってきた。こうして、また俺の前に」


同じだ、と。

人としての死を望み、領域の死を望み。

欲する。自身と同等を。

心の底より欲する。思惑を捨てて殺戮に浸る術を。

欲している。人としての、死を。


「なぁ、ゼル・デビット」


貴様こそが。

[斬滅]や[魔創]、[断罪]には無かった渇きが。

自分と同じ、[灼炎]と同じ渇きがある。

ならば理解出来るはずだ。この俺の渇きを、理解してくれるはずだ。

殺戮にこの身を窶す、渇きをーーー……。


「……俺は人間だ、イーグフェンリー}


殺意を前に腕は動かせない、脚も震えて動かない。

それでもただ、その言葉だけが彼の口端から零れた。

人間の尊厳として。化け物に到らず怪物にならない為の、尊厳。


「そうか」


ゼルと同じ方向から見ていたスズカゼだからこそ、彼の隣に居た彼女だからこそ、見ることが出来た。

今の今まで嗤うことしかしなかったその男が、一つしか表情を持たなかったその男が。

酷く悲しそうに、酷く泣きたそうな顔で、落胆する姿を。


「……残念だ」


強者故に、絶対。

強者故に、孤独。

欲していたのは仲間や友ではなく、己の、死。


灼炎の堕天翼(レーヴァテイン)


星の一角を喰らう灼炎の翼。

魔と墜ちたその男が放つ、殺戮の一撃。

自身の眼前にある掌へ収束されていく魔力を前に、ゼルはただ静かに瞼を閉じた。

勝てるはずなどない。この男は異端に極まる存在だ。

このまま静かに、万物を溶かす業火に沈むのが、今の自分に唯一赦された救いなのだろう。

全てを放り出して、全てを放り投げて、ただ己の無謀さだけを胸に、沈むのが救いなのだ。


「だけどよ}


きっと、楽なのだろう。

何もかも投げ出して、沈んでいくのは。

きっと、とても、楽なのだろう。


「それが出来るなら}


それが悪いとは言わない。

選択肢の一つだ。誰かが決めた規則や論理に従う必要はない。

自分は人間であれど、それ以前にゼル・デビットという一つの存在だ。人間という種族の論理に従う必要などない。

だから、全て捨てて良い。誰かが糾弾しようとも全ては後の事なのだから。


「此所には、居ねぇよ}


繰り返そう。今一度繰り返そう。

ゼル・デビットという男は優し過ぎた。強者にあるべき傲慢もなく、強者にあるべき冷徹さもなく、強者にあるべき強欲もない。

ただ一人の男として強さ如何に関わらず剣を振るい、護るべき物を護ってきた騎士だ。

故に、彼は強い。故に、彼は弱い。

護るべき物を、信念を持つ彼だからこそーーー……、未だ剣は折れぬのだ。


「ゼルさっ……」


叫びかけた少女の前で全ては起こる。

四天災者の片腕は飛び、ゼルの腹部が灼炎に喰い千切られる。

刹那にして無刻。それは男の足掻きだった。決して折れぬ、不屈の男。

抗い、見せる。勝利などという有り得ぬ希望に縋ろうともせず、ただ一つ。

己の信念の為に成すがべく、剣を振り抜いた男が見せた、奇跡。


「安い、対価だ」


「抜かせ}


腕一本、臓腑一つ。

致死に到る裂傷を前にして、刹那の時が生まれる。

然れど止まらぬ。永劫とも想えるその中でさえ。

四天災者とサウズ王国最強の男は、未だ、止まらぬ。


「ぬぅううううううううううううううえぁああああああああああああッッッッッッッッ!!!!」


全てを斬り裂いたのは轟咆だった。

天より降り注ぐが如くその男の巨腕は大地を穿ち、イーグとゼルの狭間へ拳を振り落とす。

衝撃は山岳一体のみならず山岳全てを破し、幾多の岩盤を抜けて大地の流脈さえも吹き上げた。


「……オートバーン」


失望したぞと続かんばかりの落胆の声。

然れどその大男は謝らない。謝罪の言葉一つとさえ吐かない。

彼が我が儘に生きたように、この男にも成すべきことはある。

護るべき物があり、戦うべき相手が居る。


「故に、貴方という刃を失う訳にはいかんのです」


嗤いたければ嗤え。

蔑みたければ蔑め。

恨みたければ恨め。

然れど、成らぬ。我という存在が此所にある意味を消す事は。

我が遺言は全て[天修羅]と[操刻師]に託した。ならば多くは語るまい。


「殿はお任せを」


「……馬鹿が」


己の享楽か、部下の覚悟か。

その二つを天秤に掛けたとき、イーグがどちらを取るかなど筆舌するまでもない。

ただ過ぎ去るその姿を背に、大男は両足を大地へと突き刺した。

迫るは何だ。耀剣か、紅蓮の刃か、巨大なる岩掌か、水弾の嵐か。

嗚呼、全てだ。先の暇は彼等に再起を与え、己の命絶を迎えるに到ってしまった。

然れどまだ、まだ。死なぬ。例え望み通りの死に様であろうとも、天は仰がぬ。

倒れる訳にはいかない。それがあの人の道となるならば。

ただ今一度ーーー……、この身を軍へ捧げよう。

我が肉体、ただ天命が為に。



読んでいただきありがとうございました

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